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【自作小説】クロッカスの舞う夜に。#14

14

 旅行2日目、残す工程を時間通りに通過しながら帰路についた。

 申し訳ないから遠慮したのだが「疲れただろうし」と、車を返す前に家まで送ってくれた。この後彼は車を返して帰宅するそうで、彼の優しさに甘えさせてもらう事にした。

 彼から帰宅の連絡が来たのは、それから1時間半ほど経ってからだった。電話越しに「2日間運転ありがとう、次は私の運転で行こうね。しかも家まで送ってくれて本当にありがとう」と感謝を伝えた。

「初めての旅行楽しかったよ、こちらこそありがとう」長時間の運転で声色が疲れているように感じたので、ゆっくり休んでねと伝えて電話を切った。

 彼と次に会える日が、月を跨ぎ2週間も先だった。「仕事終わりに少しでも会えたりしない?」と提案してみたのだが、仕事が長くなる日や予定があるとのことで、会えないらしい。

 仕方がないと、我慢しようとこの時は思ったのだが、1週間ほどでその我慢も尽きる事になった。彼の家でご飯を作って待っていれば、彼の負担も軽減されるだろうと思った。

 寒いので鍋を作って待っていようと、スーパーに寄ってからゆい君の家へ向かった。

 久しぶりにゆい君の家に来たが、相変わらず綺麗に片付いていた。今朝干したのであろう洗濯物を畳み、タンスへしまう。

 彼の仕事が終わり、家に着く時間に合わせて夕食の準備をする。残りは火にかけるだけというところまで用意を済ませて、サプライズで帰りを待つ。

 20時ごろ、玄関の鍵が開く音がした。扉が開き「おかえりなさい」と出迎える。当たり前だが、家にいると思っていなかったので彼は心底驚いた顔をしている。「来てたの?来るなら言っといてよ」と少し不機嫌そうな声だった。

 何も言わずに待っていることに意味があったので、事前に伝えてはこの企みが破綻してしまうのだが、今そのことを言うと火に油を注ぐような気がしたのでやめた。

「喜んでもらえるかなってご飯も用意したから。先にお風呂入ってきな」

「ありがとう、入ってくる」そう言って彼はお風呂場へと行ったのだが、どうも様子がおかしい。これと言った理由が思い付かないのだが、何か怒っている気がした。

 今日は来る日では無かったかなと少し後悔したが、ご飯を2人分用意してしまっているので、帰る訳にもいかなかった。

 それから40分後、浴室からドライヤーの音が聞こえて来たので、放置され冷えた鍋を火にかける。ある程度温まったところで、食卓に準備したカセットコンロへ移動させて、彼の着席を待つ。

 部屋着に着替えている彼が、リビングへ戻ってきて着席する。コンロの火を着火させ、飲み物を準備していなかったため、冷蔵庫の扉を開けた内側の棚に置かれているペットボトルを出す。他に必要なものが無いかと冷蔵庫の中を覗いて探していると、「愛佳」と、乾いた声で呼ばれる。持って来て欲しいものがあるのかと思い、背中を向けたままの体勢で「何かいる?」なんと応答をする。

「そうじゃなくて、話がある」その瞬間、考えたくないが嫌な予感がした。

「どうしたの、そんなに改まって」そう言いながらお茶を注いだ二つのグラスを持って、彼の向かいの席に座る。

 帰って来た時から様子が変だったのだが、今もそれは変わらない。若干俯きながら、目線は目の前の食器のあたりを見ている。

「今日もそうだけどさ、こうして急に家に来られるといくら彼女でも困る」

「ごめん。忙しくて会える時間が無さそうだから、ご飯用意したら喜んでくれるかなって思って」

「気持ちは嬉しいけどさ、それって愛佳が満足してるだけじゃないのかな」

 いくらなんでもその言い方は酷いと思ったが、今ままでもこうして何も言わずに家に行くことがあった。

「それならもっと早く言ってくれれば良かったのに」

「1回言ったことあるよ。けど愛佳はいつもそうなんだよ、分かったって言うだけ。何も言わずに家に来る事だけじゃない」

「でも…」ゆい君から不満を言われたことは今まで無かった。無かったのか、私が良いように思考転換していただけなのか。とにかく、驚きと悲しみで言葉が出なかった。

「仕事で忙しくて疲れてる時も、会おう会おうって。悲しんでほしくないから多少我慢してる時もあったけど、そろそろ疲れたんだ」

 優しい人ほど不満を溜め込むというが、本当にそうだったようだ。今日に至るまで一度も不満のようなものを言われたことが無かった。それに安心しきっていた自分がいたのかもしれない。

 ゆい君のことを知らない人にどんな人か紹介する時、一番に優しい人と話していた。「優しい」それは褒め言葉であると同時に、その人を優しいという小さくて窮屈な檻に閉じ込めていたのかもしれない。優しいから、あれもこれも許してくれる。聞いてくれる。知らず知らずのうちに、ゆい君を檻に閉じ込め、苦しませていたのかもしれない。周りから優しいと言われている人ほど、繊細な心で傷つきやすいものなのかもしれない。

「そんなこと思っていたんだね。ごめん、気付けなかった」私はそんな自分の身勝手さに反省した。

「もう良いんだ、過ぎた話だから。けど、この先もって考えると彼女としては一緒にいれないかもしれない」

 その言葉はもう、別れを告げているのと同じだった。別れを決めている人との関係は修復できない。出来たとしても、お互いの心の隅に靄がかかる。

 ゆい君の優しさに漬け込んだ自分の情けさ。そのことに心底後悔している。ひとつ言えるなら、ゆい君も溜め込まずに話して欲しかった。

「もう一緒に入れないんだね」

「一緒にいてもお互い幸せになれない。別れよう。これ、1人で食べ切るからもう帰ってくれ」

 あまりにあっけない突然の別れに、私はまだ実感が湧いていない。火にかけて時間の経った鍋の沸騰している音が、冷たい沈黙をさらに悲しくせる。


 自宅へと帰り、いつもなら家に着いた連絡をするのだが、それも出来ない。夕飯を食べていなかったが、こんな感情で食べる気も起きずお風呂もシャワーだけで済ませた。

 美咲に電話をかけようかと思ったのだが、今日は真人君と会うと話していたのでそれも出来なかった。

 電気を消して、日付が変わる前に寝床に入った。もしかしたらこれは夢かもしれない。朝起きたら、何も変わらない日常が私を迎えてくれる。そうしたら今までの自分を改めよう。悲しい出来事から逃避するように、どこか期待をしながら目を閉じる。

 朝になり、当たり前のように昇る朝日を浴びる。分かっている、昨日の出来事が夢ではないことくらいは。

 これといった目的の番組はないが、とりあえずテレビをつける。朝の情報番組ではクリスマス特集を放送している。そこでふと、1年前にホテルの予約をしていたことを思い出した。ゆい君は覚えているのだろうか、キャンセルをしなければならない。

 同伴者の私でも、彼の名前を出せばキャンセルくらいは出来るだろうと思い、電話番号を調べて受話器を耳に当てる。

 私とゆい君の名前と電話番号を伝え「少々お待ちください」と確認のため数秒ほど保留の音楽が流れる。昨日の今日でキャンセルはされていなかったのだが、遅かれ早かれキャンセルをすることにはなる。キャンセルの旨を伝え、唯一残された彼との繋がりも、これで全てなくなった。



 その日の昼頃、美咲に別れたことを伝えると「ご飯でも食べながら話そう」と外に連れ出された。指定されたお店に行くと、すでに美咲は入口あたりで待っていた。

「思ったより元気そうで良かったよー」と安堵の表情を浮かべている。妙に重たい雰囲気を出してこないあたりが、美咲なりの気遣いだと思った。

 案内された席につき、テーブルに置かれた花に目がいく。周りを見るとテーブルごとに花が置いてあり、卓番の代わりに花で違いをつけているお店のようだった。花瓶の下には花言葉が書かれた紙も置かれており、思わず二人で目を合わせる。

クロッカスーーー愛の後悔、切望

 タイミングが良いのか悪いのか、まさに今の私を表しているようだった。それが逆に面白く感じてしまい、軽く吹き出してしまった。美咲も笑った私を見て笑う。

「ごめんね、笑い事じゃないのは分かってるんだけど。ドンピシャすぎて。愛佳も笑う余裕があって良かったよ。今日泣き出したらどうしようって事ばかり考えてきたから」

「この花のおかげで笑えたかも。このお店選んでくれてありがとね」

 きっぱり別れてしまい、相談することもないのであとは普段通りの女子トークになった。

「イニシエーション・ラブって言って、恋の通過儀礼って意味なんだって。だからほら、世の中に男はあの人だけじゃないし、これを糧に次の恋愛は幸せになれば良いと思うよ。無責任なように聞こえるかもしれないけど」

「恋の通過儀礼か——そうだよね、他にも男はたくさんいるもんね」

 美咲に会うことができて、切り替えることができた。そもそも恋愛体質な人間では無かったので、別れたことで長い時間引きずることもない。ただしばらくは、1人での時間を大切にしようと決めた。

#15 最終話へ続く


第2章「Short hand.」閉幕
次回最終章「Overlap.」
是非第1話からお読みください。

#1

自作小説「クロッカスの舞う夜に。」の連載
眠れない夜のお供に、是非

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