ランチを食べに鉱泉宿(昔)まで
足を踏み入れたとたん、「おっ!ここは、昔、来たことがあるぞ!」と思った。東西に伸びる廊下、その先が行き止まりになって、左の階段を登れば二階の部屋、そして右に階段を降りれば風呂。廊下の突き当たりの下は、現在は駐車場になっているが、かつては中庭があった。それを囲むように回廊がめぐっていて別館に続いている。確か、昔は伝正寺鉱泉『桜井館』と言っていた。後で調べたら、『桜井館』の創業は慶應3年(1869)で、2016年に廃業とある。現在は経営者が変わって『うり坊』と称している。
最近、ここに来たのは、今から約25年ほど前だ。あの時、廊下の壁に温泉の成分表と一緒にこの宿には、太宰治や室生犀星などの文豪が投宿したと書かれた紙が貼ってあったのを覚えている。そして、中庭に置いてあった奇妙な彫刻やら造形物を眺めて、主人の少々変わった好みを知った。風呂は、地下室へ降りた先にあって、薄暗い浴室に御影石の浴槽があった。風呂から上がったら、おばあさんが食事を準備していてくれた。
実は、さらにもっと昔、まだ若かった50年ほど前にも一度訪れている。この鉱泉を知ったのは、親父からもらった陸軍の陸地測量部発行の5万分の1地形図に、加波山の西側山麓にポツリと一つだけ鉱泉記号があったからだ。少年だった僕は、こんなところに温泉があることにひどく興味をそそられて、大人になったら必ず行ってやろうと思い実行したのだった。
今日訪れて、全体の構造は似ていたが、内装や部屋は全く異なっていて小綺麗(近代的)になっていた。僕の感傷などが入り込む余地は無い。部屋は、ほとんどが洋間になっており、真っ白なベッドが並んでいた。別館の一階は、サイクリスト向けの宿泊棟になっており、その隣は「大正館」と称して、かろうじて和室のままで、僅かに昔の面影をとどめていた。
食堂で食べた料理だが、これは僕の好みだった。「山芋の多い料理店」と称するだけあって、山芋尽くしのランチだった。「とろろ汁ご飯」に「大和芋の揚げ物」「山芋と生姜のピクルス」「オクラの和物」と「ヒジキ煮物」などなど。
食堂の大きなガラス窓から真壁の街や田畑を見下ろしながら、ネバネバばかりの食事をいただいた。これも夏らしくて良かった。