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史跡まで「遠足」に

今年の夏はひどく暑かったので、野外に行くのは避けていた。そのせいで、だいぶ足腰が弱ったようだ。この頃、少し涼しくなってきたので、積極的に歩こうと思った。前から気になっていた場所まで車で行き、適当な所に車を置いて、その周辺を歩こうというのだ。いわば散歩の拡張版みたいなものだ。こういう散歩を「遠足」と名付けた。

今日の遠足は、筑波山の西側、筑西市黒子の「東睿山金剛壽院 千妙寺」である。この寺はもと池だった所に彼岸花を植えた。今頃、満開だろうと期待して行ったが、どうしてだろうか?野山では、とうに咲いているのに、ここは遅れている。土が乾燥し過ぎているからだろうか。本来、彼岸花は湿地を好む植物である。

千妙寺 (左・客殿、右・総本堂(釈迦堂))

この千妙寺の歴史は古く、慈覚大師円仁(794~864)の開基による天台宗寺院である。淳和天皇の勅許により承和元年(834)に筑波山麓に承和寺と称して創建したが、平将門の乱により堂宇を焼失してしまい、その後、観応二年(1351)に、この地に移り、崇光天皇の勅命により再興して千妙寺と称した。それ以降、三昧流の灌頂道場として隆盛し、室町時代から戦国時代にかけては、末寺・門徒寺院700以上を数えるほどだったという。また、周辺の戦国武将らの祈願所となっていたところから、焼き討ちにあう事なく、古くからの寺宝が何と3600点も残されている。聞くところによると、儀式に使う法具を比叡山延暦寺に貸し出すほどだという。僕は、以前、これらの一部を拝観した事がある。

千妙寺の彼岸花が期待したほどでもなかったので、車を南に走らせて、「大宝八幡宮」へ行った。ここには巨木に囲まれた静かな境内があり、いかにも古そうな雰囲気の神社だ。僕は鬱蒼とした樹木の無い寺社は、本物の寺社ではないと思っている。松の巨木の下で休んでいたら、突然、子供たちの賑やかな声が聞こえた。先生に連れられて、付属の保育園の子どもたちが参拝に来たのだ。神様に何をお願いするのかと注意して聞いていたら、皆で「風邪を引きませんように!」だと。これからだんだん寒い季節に向かう。確かに適切な祈願だ。

昼食はまだだったのに気がついた。そこで門前に団子屋があったのを思い出した。「厄除け団子」が名物だという。その団子を抹茶付きで注文したが、団子だけでは腹が膨れない。合わせて「ざるそば」を注文した。そばの味はともかく、場所と店構えの方の「味」は、まあまあだった(笑)。

ゑびすや

この大宝八幡宮の歴史もとんでもなく古い。白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(701)に、藤原時忠が大分県の宇佐神宮を勧請したのに始まるという。八幡様を祀る神社としては関東では最古だそうだ。平将門も戦勝祈願で度々参拝したという。源頼朝が鶴岡八幡宮若宮を勧請し、東京の富岡八幡宮もここから勧請したというから驚きである。

この辺一帯は、平安時代から南北朝時代にあった「大宝城」の跡である。国指定文化財になっている。東国における南朝方の拠点だったが、北朝方の猛攻に遭い1343年(興国4、康永2)に滅んだ。

そうか、ここのご利益に「財運招福」があり、パンフに「特に、近年みられる宝くじの当選祈願による御利益の発揚は、社名に恥じない」とあったから、宝くじで財を成したい方は参拝すべきである。僕は、団子を食べたからもう大丈夫だけど(笑)。




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