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虎に翼 面白かった!
朝ドラ「虎に翼」、面白かった!
法律を、どこか他人事のように思っていた浅はかな自分にとって、深く考え、知るきっかけとなったと思う。
最終回。寅子の言葉
「いつだって私のような女性は五万といますよ、ただ時代がそれを許さず、特別にしただけです」
女が何か主張したり、行動すれば、それはでしゃばりだ、なんて固定概念が、この現代でもいまだに残っている。
だからこそ、寅子の時代に、声を上げ、女性が身を立て、出世することは特別だった。でも、それができるならやっていた、環境が許されるならやっていた、そういう人はたくさんいただろうし、いるだろう。
男でも女でも、それ以外でも、なかなか思う通りに進まない世の中だし、100年前となんら変わってないと思わされることもあるけれど、それでも、雨垂れのように、誰かが声を上げ続け、少しずつ、少しずつ変えてくれた現代を、私は半年前よりも少しだけ、愛おしくなった。
「今回の朝ドラ、脚本家の一方的な主張だった」
なんて意見も読んだが、はて、それの何が悪いのか。
むしろ、この世の創作物に、作者の一方的な主張が入っていない作品があるのだろうか。
モデル本人の人生をきちんと辿っていない、作り直すべき、という意見もネットで見たが、では、正確に本人の人生を辿り、作っていた場合、今と同じだけの視聴率は取れていただろうか。議論は起きていただろうか。
個人的には、法律や裁判官という仕事は重苦しく、敷居が高く感じられる。
よくあるエンタメとしてのテレビドラマや小説であれば、フィクションやコメディ要素が組み込まれ、敷居が低く設定されているように思う。だが、戦争があった時代の人の人生を、「三淵嘉子」の人生を、正確に再現したドラマは、フィクションでもコメディでもない。少なくとも私は、尊属殺の事件など、悲しい気持ちに蓋をするように、目を背き、チャンネルを変えてしまう。配信を再生しない。
改めて、正確に本人の人生を辿る再現ドラマを作っていた場合、作品の良し悪しに関わらず、評価してくれる人の母数は増えただろうか。
多くの人に考えさせる、調べさせる、このきっかけを与えただけで、私は功績だと思う。
ただ、勘違いしてはいけないのは、遺族の意向である。遺族がそれはやめてほしい、そんなストーリーにしないでくれ、と言っているのであれば、即座に変えるべきである。故人の願い、遺族の思いは、本物で、曲げてはならない主張なのだから。
ただ、それは外野からは見えない。
だから実際、私が慮ることも、余計なお世話なのだ。
また、エンタメとして作られた作品は、作者が伝えたいメッセージを最初から入れ込んでいる。テーマやモチーフ、モデルはそれぞれあるが、それをエンタメとして落とし込み、かつ、作者が伝えたい思いを乗せている。その思いをなくす行為は、作品自体を否定しているのと同義である。それは当然、やってはいけない。
人の人生はエンタメではない。だから、過不足があるし、フィクションよりフィクションらしい、面白いことも多々ある。
それを再現ドラマのように、事実をありのまま伝わるよう作り上げるか、エンタメとして幅を持たせることにはなるが、より多くの人が身近に思えるように作り上げるか。
それはどちらも正しい。
方向性の違いだ。
朝ドラとは、連続テレビ「小説」なのだ。だから、エンタメに、フィクション(嘘)に寄るのは悪ではない。大事なのは、何に重きを置き、何を伝えたいか、だ。
寅子の「はて?」という疑問が、声が、愛嬌が、物語を彩っていたように思う。
そして寅子以外のキャラクターへのスポットの当て方、役目、関係性もまた美しかった。細い糸が何本も何本も紡がれ、綺麗な一本になるようなお話だった。これぞ、豊かな人生、というやつなのかもしれないと、少し思った。
私自身の船旅を、きっと少しだけ豊かにした作品だろう、と今思う。