排除したがる、という言葉に「!」とした
本を読んでいると、偶に「!!」という言葉に遭遇するのだけれど、昨日もそんな言葉を見つけた。
『自分と合わない子はほうっておけばいいのに、全力で排除したがる子』
ちなみに、湊かなえさんの『絶唱』からだ。
まあ、この語り手の本題は、『だからこそバイキング形式で自分のペースで生きていける大学生のときに、取り返しのつかないことをしてしまった』ということなのだが、それはさておき。
小学生の高学年辺りから、そういう子はいたな、と思う。
中学がピークで、高校大学とほとんどなくて、社会人で復活、という感じだ。
高校大学と平和だったのは、ほとんどみんなが、「合わない子とは距離をおいて接しよう」としていたからだと思う。
といっても、断絶しているわけではなく、協力しなければならないときはしていたし、おだやかに過ごせた時間だったと思う。
必要以上に関わらない、は本当にその言葉通りで、必要があるときは、ちゃんと関わっていた。
「自分と合わない人とは距離をおいて付き合う」ができるようになると、結構ラクになる。
合わない人とも一緒に過ごさなければならない状況は、「適度に距離をおいて、それでも協力することはできる」という社会性を身に着けるためには必要ではあると思う。
ただ、「合わない人」かつ「排除したがる人」とうまくやる方法は残念ながら、ないと思う。
まあ、経験値を積んだ大人であれば、そんな人も認めざるをえないような仕事をしたり、人格的なおおらかさを見せることもできたりするかもしれないけれど、そうじゃなかったら早々に周りに相談するのがいいと思うし、うまくできない自分を責めることは全くないとも思う。
という感じで、考えをまとめられたのも、「排除したがる」という言葉を見つけたからだと思う。
「合わない人と、どの程度までうまくやっていかなきゃいけないのかな」なんてよく考えていたのだが、この「合わない人」の中に「排除したがる人」が混ざっていたから、なかなか考えがうまくまとまらなかったのだと思う。
「合わない人」とは、工夫すれば付き合えるけど、「排除したがる人」は難しいよね。
感覚にぴたっとあてはまる言葉が見つかることはうれしい。