ラム子

とにかく一生文章を書き続けたい。 自分が書きたいものが相手に届くには。そんな感覚を身に着けていきたいです

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とにかく一生文章を書き続けたい。 自分が書きたいものが相手に届くには。そんな感覚を身に着けていきたいです

最近の記事

受け入れてもらいやすい形にしてから伝える、という配慮

 現況が、どちらかというとマイナスな状況で、その原因をつくっている人に悪意のない場合(むしろよかれと思ってやっている)、指摘しても受け入れてもらいづらい。  そんなときは、「あなたの行動でこうなっている」と思っていても、それは伝えずに、「今こうなってしまっていると思うのですが、どうしたらいいと思いますか」と、相談する形で言うと、相手も一緒に原因を考えてくれるようになりやすい。 「実は自分も困っている」とか、「今自分はこういう行動をしているけれど、こう動いたほうがいいかもしれ

    • 相手の性格は変えられないけど、自分に対する意識は変えられる。

       当たり前だけど、人には個々の性格がある。  性格を変えるには、本人の強靭な意思が必要だし、そもそも、表面的な性格は変えられても、根本的な性質を変えることはできないと思う。  自分でさえそうなのだから、他人の性格を変えることなんて不可能だ。  ただ、他人の性格を変えられなくても、自分の行動次第で、相手の意識や態度を変えることはできると思う。    例えば、自分に対してマウントをとりがちな人がいたとする。しかし、その人が自分以外の全員にマウントをとりがちなのかといったら、そうで

      • 嫌味を言われるからって、嫌われているわけではない(場合もある)

         どちらかと言えば仲もいいし、相手もこちらのことが好き寄りだという実感もあるのだけれど、時々嫌味を言われて「この人は自分のことを好きなのか嫌いなのか」と悩むことがあった。    そもそも、嫌味を言われた対処法として、私は「スルーする」を選んでいた。  しかし、心理学の本を読んだところ、嫌味を言われたとき、この「スルーする」というのは、一番やってはいけない反応だと知った。  理由は、「言われた言葉を自分の中で何度も反芻してしまうから」ということだが、これにはすごく覚えがあった。

        • 「やらなければいけない」が「やりたい」につながることはある。

           学習塾で仕事をしているのだが、先日、見学の際には、「英語は苦手すぎるからやりたくない」と言っていた生徒さんが、入会時には「やっぱりやりたい」と言って、勉強に取り組むようになったことがある。  無料体験として受けてもらった学習時に、「これなら分かるかも」と思ってくれたみたいだ。  その後の保護者さんとの面談で、「元々は、『英語は分からないから、もう捨てる』なんて言っていたのが、体験を受けてみて、『やりたい』というようになった」と言っていただき、英語も受講していただくことになっ

        • 受け入れてもらいやすい形にしてから伝える、という配慮

        • 相手の性格は変えられないけど、自分に対する意識は変えられる。

        • 嫌味を言われるからって、嫌われているわけではない(場合もある)

        • 「やらなければいけない」が「やりたい」につながることはある。

          短編小説『あなたにこのリボンバレッタを』

           あっ、とでも心の中で声を上げたのが分かるくらいの表情を浮かべて、幸田さんはカウンターの奥から私の方へと小走りに駆け寄ってきた。  腰ほどの高さまである戸を手で押しながら出てきた幸田さんは、返却口の前にいるわたしに向かって微笑んだ。 「こんにちは、真子ちゃん」  先日、この市立図書館で行われた職場体験で見せてくれた笑顔と同じだ。 「こんにちは」  幸田さんの自然な挨拶とは打って変わって、私の声は上ずっていた。 「よかった。また会えないかと思ってたんだ」  そう言

          短編小説『あなたにこのリボンバレッタを』

          短編小説『ショートケーキと二人の約束』

          「吉村さんは、死にたいと思ったことはありますか?」  シマリスを想起させるどんぐり眼を前に向けたまま、隣にいる高峰百合亜はそう口にした。  それは通常であったら、ただ委員会が同じというだけの間柄である私達の間で交わされる話題ではなかった。だけどまあ、このタイミングだったらまだ分かる。 「ないよ」 「私もありません」  高峰さんが私の方を見る。大きくてまるい瞳とばっちりと目が合った。  十一月に入り、秋よりも冬の色が濃くなってきた。先週辺りまでは太陽に照らされ、きら

          短編小説『ショートケーキと二人の約束』

          自分のことが大事

          『自分のことが大事』  そう思うことがとても大切なのでは、とこの頃思う。  これは、「自分勝手にふるまっていい」とか「自分の考えこそが正しいと思う」とか、そういうことではない。  むしろ、心の底から「自分のことが大事」と思っていたほうが、例えば「よかれと思ってやっていたことが、実はそうではなかった」とか、「自分とはちがう相手の意見にも一理あると思える」とか、そういう自分だけの視点に気が付けるのではないか、と思う。 『大事』ではなく、『好き、嫌い』でみると、どうしても「いいこ

          自分のことが大事

          「分かってもらえる」という幻想と希望

          「分かってもらいたい」と思うこと自体は悪くないだろうけど、ただ、「本当の本当に分かってくれる人」というのはごく少数だな、と思う。  表面的に分かってもらえたとしても、それは例えば「そのとき偶々同じ人に迷惑をかけられていたから」というように、その場限りの状況だってある。 「この人になら」と思っていた人に、分かってもらいたいことが伝わらずに落ち込むことがある。  だから、ベースとしては「本当に分かってもらえることって少ない」と思っていた方が、切り替えはすぐできる。  だけど、ふ

          「分かってもらえる」という幻想と希望

          「疑い」の根本に「信頼」がある。

           今の自分のやり方や、価値観、考え、意見等々は、知識や経験、他者からの指摘等で、どんどん刷新されていくものだと思っている。  そのため、「常に自分を疑っていよう」と思っていたのだが、今日ふと、「これって、未来の自分を信じているってことだよな」と思った。    今の自分がもっているものから、今現在の問題は解決していかなければならない。だけど、今は最適解と思っているものでも、まだまだ余地はあるとも思う。  大切なのは、「疑い」の先に(というか根本に)「信頼」があるということ。 「

          「疑い」の根本に「信頼」がある。

          「やさしくいよう」でやさしくできなくなるときがある。

          「やさしい人でいよう」と意識することは立派だけれど、これは行き過ぎると、自分の怖かったり冷たかったりする一面を受け入れられないという弊害につながるのでは、と思う。    前々から、「やさしくすると調子に乗ってつけあがる人ってなんなんだろう」と定期的に頭を抱えていたが、はたと、「『つけあがるな』と思う時点で別にわたしってやさしくはないな」、と気が付き、ついでに「やさしい人でいなければ」という気持ちがどこかにあることにも気が付いた。  よくよく考えてみたら、「やさしい人でいたい

          「やさしくいよう」でやさしくできなくなるときがある。

          ポジネガな状態

          「心配」「不安」「怒り」等々、字面だけみればネガティブに思える感情が必要な時ってあるよな、と思う。    例えば、「あの子がんばりすぎてないかな。大丈夫かな」という心配は、「ちょっと話を聞いてみよう」という思いやりにつながる。 「このままの実力でいいのだろうか」という不安は、「これは必要になりそうだから身に着けよう」という健全な努力へとつながる。 「ちょっとそれは理不尽すぎやしないか」という怒りが、誰かを助けるエネルギーにつながることだってある。  心配、不安、怒り、それぞ

          ポジネガな状態

          ネガティブな感情を受け入れるって

           分かるようで分からないような、と思っていたのだけれど、今は、なんとなく「こういうことかな」と思うことがある。    例えば、誰かに怒りを覚えたとする。だけど、「ネガティブな感情=悪」という図式が頭にあると、そんな自分を否定したくなる。  でも、自分を否定はしたくないので、怒りを覚えさせた相手がどれだけひどいことをしたかに焦点を当てて、自分の怒りを正当化させ、相手を攻撃してしまう。  となると、負のループに陥ってしまう。  もしくは、自己否定に向かってしまうと、それはそれでつ

          ネガティブな感情を受け入れるって

          苦手な人は苦手なままでいい

          「苦手な人は苦手なままでいいのでは……っ⁉」と唐突に気が付いた。  特に自分と関わりのない人ならば、思う存分「こういう人、苦手だわー」と思えばいいのだろうけど、自分の所属している(しなければいけない)場だと、本来は苦手であろうタイプと、がんばってうまくやろうとしてしまう。  うまくやろうとすること自体は別に悪いことではないのだけど、価値観や考え方、感覚がちがう人って、どうしたってうまくいかない。    よく考えてみたら、「この人苦手だな」と思ってしまうこと自体は悪くない。そ

          苦手な人は苦手なままでいい

          「気を遣わなくていい人」?

          「気を遣わなくていい人」というのは、なんだろう? と思う。    偶に、「そんな言い方する⁉」という相手に出くわすのだけれど、その相手が機嫌がいいときは優しいので、多分嫌われているのではなく、「気を遣わなくていい人」認定されているんだろうな、と思う。  相手が疲れていたり何かイライラする出来事があったり、または、少しでも意に沿わないことがあると、こちらを気遣わない言い方をされてしまう。といっても、その人も全員にそうするのではなく、相手を限定している。  遠慮なく言っていい人、

          「気を遣わなくていい人」?

          排除したがる、という言葉に「!」とした

           本を読んでいると、偶に「!!」という言葉に遭遇するのだけれど、昨日もそんな言葉を見つけた。 『自分と合わない子はほうっておけばいいのに、全力で排除したがる子』  ちなみに、湊かなえさんの『絶唱』からだ。  まあ、この語り手の本題は、『だからこそバイキング形式で自分のペースで生きていける大学生のときに、取り返しのつかないことをしてしまった』ということなのだが、それはさておき。    小学生の高学年辺りから、そういう子はいたな、と思う。  中学がピークで、高校大学とほとんどなく

          排除したがる、という言葉に「!」とした

          体重を通して気づいたこと

            お盆期間で、久しぶりに休みが続いている。  そんななか、今日体重計に乗ってみて驚いた。  けっ、結構増えている……。あれ? 休み中とはいえ、いつも通り身体は動かしてるし、別に食べる量もお酒の量も増やしていない。  なっ、なぜ……?  と思ったところで、「仕事してるとき、結構体力気力つかってカロリー消費してるんだな」ということに気が付いた。  といっても、今の仕事は内容的に楽しいし、仕事仲間ともそこそこ良好な関係を築いている(と思う)。  それでも、無意識に使っているものが

          体重を通して気づいたこと