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愛するということ
4月4日、イースターとかどら焼きの日とか色々見たけど、私にとっては他でもない、愛犬ラムちゃんの誕生日でした🥚
そして先日の3月24日も私にとって大切な日、6才の時に出会って23才でお別れした家族の命日
人に軽々しく話せない、本当は覚えておきたい全てを書き残せなかったのは、いつまでも湿っぽいなんて思われたら嫌だったから。動物を飼わない人にはきっと分かってもらえないかもしれない、でもわかってもらえなかったら心が壊れてしまいそうだったから。
一周忌を先日迎え、やっと消化できてきたこの思いを残しておきたいと思います。
出会い
小さい頃から犬が大好きだった。道端で犬を見かけると追いかけ回したり、ときには大きい犬に乗ろうとして飼い主に怒られたりした。何回か噛まれたりもしたけどそれでもダイスキ!だった。
だけどなぜか我が家は犬を飼えない一家だった。6歳で新築のマンションを買って引っ越したけどその家もペットが飼えなかった。(今思うとこんなに好きなのになんでだよ!)
だからある日下校したらリビングにいた父に「みゆ、犬とりに行くよ」と言われたときの衝撃は忘れられない。
いつも冗談ばかりの父だったので絶対嘘ついてると思って何度も、ほんまに?嘘?!って聞いた。
でもそれは本当で、知り合いのお家に行くとまだ生後1ヶ月の、手のひらに乗るくらい小さなミニチュアダックスがいた。
両親が頼んだのではなく、私が犬を飼いたいことを知っている知り合いが強引に話をもってきたそう。
かくして本当はだめなのにその後17年に渡りマンションで犬と暮らすことに…🐶(今となっては周知の事実)
小学生(ラムちゃん0~5才)
犬の名前は父がつけた。
うる星やつらのラムだっちゃ★のラムちゃんからとりました。ネーミングセンスがいいかどうかはさておき、今ではラムちゃんしかありえないので良い名前!
赤ちゃんのラムちゃんはママや兄弟と離れた心細さで、ずっとくうくう鳴いてた。
そんなラムちゃんが可愛くて可愛くて、学校から帰ったら一番に「ラムちゃんは?!」と母に聞いて、一緒に時間をすごした。
お散歩に行ったり、一緒にソファでお昼寝したり。平和。。
家で追いかけ回して走り回ってたら母に怒られたこともあった。若いラムちゃんはよく吠えよく遊び、走り、よく眠った。ラムちゃんと私は友達みたいな関係だった。
中学生(ラムちゃん6~8才)
このときは結構ターニングポイント。
小学6年生から体を壊したり朝起きられないことが増えた。今思えばおそらく第二次性徴のホルモンバランスの変化に耐えられなかったのだと思うけど、いつもだるくて眠くて人並外れて疲れやすかった。
朝全く起きられないのでよく遅刻するようになって、なぜか普通のことができなくなった自分が嫌で許せなかった。中学のときは数カ月学校に行かなくなったりした。家で当たり散らしたり暴れたりする。母は悩む。私だってそんなことしたいわけじゃないのに。最悪の状況だった。
私も母も家にいるときはよく怒ったり泣いたりした。父は仕事で家をあけることが多く、姉は無関心。そこで助けてくれたのがラムちゃん。
私と母が喧嘩していると、必ずやってきて私のそばに座り、私の手やら足を舐めて落ち着かせようとしてくれた。母が悲しんでいるときも同じように。
あのときの家の状況は全部私のせいだけど、嫌すぎて忘却したいあまり記憶も朧気なくらい、人に全部は話せないくらい、本当に最悪だった。それをそばでそっと見守り、支えてくれていたラムちゃん。
友達のようだったラムちゃんが心のお守りに変わった。私が大事にしたかったのに当時できなかった母を守ってくれた。あんなに小さいのに大黒柱のようだった(父がだめなわけじゃ全くない)
高校生(ラムちゃん9~11才)
そんな中学を終えて高校時代は、体の変化にも慣れたのか普通に過ごせるようになり、毎日ばりばり部活!
忙しすぎてあまり散歩に行かなくなった。
再び結びつきを強めたのは高校三年生になった頃。
私はどうしても早稲田にいきたかったし、同時に吹奏楽部を8月の引退まで続けたかった。
両立することにきめて、朝は7時に起き学校と部活、20時位に部活が終わって23時半まで自習室にこもる、かえって1時に寝る、という生活が始まった。
ここで息切れしそうな私を助けてくれたのもまた、ラムちゃん。
夜眠るときにハウスの前で「ラムちゃん、寝るよー」と声をかけると、のっそり出てきて伸びをして(絶対)、私の部屋までついてきて、毎晩一緒に眠った。
その時間だけに毎日、心の底から癒やされてまた翌日も頑張れた。
冬にはラムちゃんをおんぶして、その上からコートを着て勉強した(あったかい)
大学以降(ラムちゃん12~17才)
高校を卒業、第1志望には落ちたもののそれなりの志を持って東京の大学に行くことになった。
東京の大学しか受けていなかったので、こんなに大好きなラムちゃんと離れることは、すんなり受け入れていた模様。
だけど大学生の私は年に3回は家族や友達やラムちゃんに会いに帰省した。
家を出たときのラムちゃんは12才。人間にするとおばちゃんからおばあちゃんへの移行期くらい。
毎日会う家族は気づかない変化に、私は4ヶ月ぶりくらいの対面のたびに敏感に気づいた。
赤ちゃんのときから見てきたラムちゃんがどんどんおばあちゃんになっていく。
どんどん会う時間が大切になって、日常のラムちゃんをたくさん写真におさめた。ただ健康で生きてくれることを願うようになった。
これは2019年の年越し、ラムちゃんを連れて母と父の地元に帰省したときの写真。
このときでもう15才だったのに、すっごく遅いけど久しぶりに走ってはしゃぐラムちゃんを見て、心のそこから幸せだった。
最後の旅行だった。家族できれいな景色を見られてよかったね。この写真が本当に宝物。
2020年の年越しも家族で、ラムちゃんも一緒にしたけど、そのときはあまりにも老化が顕著でこれが会うの最後かもしれないと思った。泣きながら東京に帰った。
お別れ
2020年の3月、コロナが少しずつ騒がれ始めてるころ、会社で働いてたら母から連絡があった。
「ラムちゃん、亡くなりました。みゆ、4月までになんとか元気にさせたかったけど、会わせてあげられなくてごめんね。」
それをみた瞬間会社なのに泣き崩れて、急いで自宅に戻り、泣きながら準備をして、飛行機に乗って実家に戻った。道中ずっと泣いていた。まだ見てもないのになんでこんなに止まらないのか自分でも不思議なくらいだった。
ラムちゃんが死んだのはよく晴れた日で、その日まで食欲もなかったけど最後に大好きな納豆(謎)を食べ、母に抱っこされて亡くなった。
大きな病気で苦しんだりもせず、完全なる老衰で、幸せな死だったはず。
だけどなんでこんなに悲しいのか。仕方がないことなのに。何がそんなに悲しいのか、分解する前に涙が出る。
私にとってこれは物心ついて以降初めての身近な人の死だった。死の前にはみんな平等で無力、誰もにそれはやってくる。当たり前のことなのにはじめて実感して怖くなった、生きていることがすごいことに思えた。この感覚は言語化するのが難しい。
その日を境に私はものすごく涙もろくなり、1年間色んなことですぐに泣いた。ふとした瞬間にラムちゃんを思い出して泣くことが月に一度は必ずあった。
だけど1年たって、どうしてこんなに悲しいのか、涙が出るのか、やっと最近わかってきた。
私がなくしたのは大きな愛
大人になると恋愛の経験もいくつかある。その過程で私は、すきという気持ちを受け取るのもある程度の負担がかかり、それを押し付けるのは迷惑になりうることを知った。
好意が迷惑なんて悲しすぎるけど本当。
だけどラムちゃんは。家族みんなから向けられる大きな愛を一身に受けて幸せそうにしてくれた。
好きだと言ってもらうよりも、まっすぐに向けた愛情をただ受け取ってもらえることがどれだけ幸せで心を救ってくれるか。
ずっと一緒に暮らしてたから、私のだめなところも嫌なところも誰よりもよく知ってるね。
それなのにただそばにいて、全部受け入れてくれた。
私がなくしたのはただの犬じゃない、大きな愛だったと気づいた。
救ってくれる言葉
死んでしまったときはあまりにも悲しくて、この気持ちを抱えたままでは日常にもどれないと思い、東京に戻り会社に行くと同時に気持ちに蓋をして忘れようとした。
だけどなぜ悲しいかもわからない状態で蓋をしてしまったから、ずっと不安定で思い出しては泣いていた。
そんな私の心を救ってくれた言葉がある。
愛された犬は来世で風となり
あなたの日々を何度も撫でる
(次は風としてあなたを撫でるから
いつもの散歩道で会おうね)
その子のことを思い出すと
天国のその子の周りにきれいな花が咲く
これはそれぞれ別のツイートなんだけど、初めて見たとき号泣して、それから何度も見返している。
私は大きな愛を亡くしたと思った。
でもその愛は確かに私の人生の宝物としてずっとずっと消えずに心にあるんだとわかった。
死んでしまったとしても一緒に過ごした日々は、一生消えずに残ってる、私の頭にも、ラムちゃんの中にも。
たまに、家族が全員揃うことはもうこの先二度とないんだと思うとすごく辛くなる。ラムちゃんが揃っての家族だからね
でも、ラムちゃんが愛した家族だから私もずっと大事にして、天国のラムちゃんを悲しませるようなことがあってはいけないと本気で思える。
この記事のタイトルは社会学部出身なら知っている、エーリッヒ・フロムの名著。
彼はその著書の中で「愛するとは技術である」と言いました。
もしもそうなら、私に愛する技術を授けてくれたのは、間違いなくラムちゃん。
私は東京にいて会えない間もただ、ラムちゃんが健康で幸せで穏やかに家族と過ごすことを願った。それは見返りを一切求めないただまっすぐな愛だったと思うから。
そしてこれからの人生も絶えることなく天国のラムちゃんの幸せを願う。
私にこんなきれいな気持ちを教えてくれてありがとう。いつか必ずまた会って、ぎゅっと抱きしめさせてね。