東京喰種を観て/産まれた環境がちがっただけで…
東京喰種というアニメを観ての感想。
喰種とはグールと呼ばれるもの。
姿かたちは、ヒトと一緒。決定的にちがうのはグールはヒトを喰べるということ。
原作は未読なので、アニメを観ただけで語っていくね。
ボクは、このアニメを3回観た。
人によっては、ヒマなヤツと思われるし、3回も観ないと理解できないのとバカにされるかもしれないね。
たしかに、そのとおりやろね。
3回観たのは、その都度、ボクの感じかたが違う、且つ、見落としていたり、解釈が変わってきたりするから、楽しいんだ。
それは、ボクがおかれている環境や立場が変わっているからと結論づけてる。
常日頃、日本のアニメは素晴らしいと考えてる。マンガが普及して、アニメとして、それまで作画でしか楽しめてなかったのが、とまっていた絵が動いて、セリフも読んでいたのが、音声となって聞こえる。
そんなことは、あたりまえかもしれないが、はじめて、その映像や音声にふれたときの感動は言葉にできないくらい素晴らしい体験である。
時代がすすみ、映像も過去に比べ、より洗練され思わず見とれてしまうほどキレイだ。
残酷とみられる映像の裏側に秘められてるのは、扱ってるテーマが練られている。
たしかに、ヒトのカタチをしたグールがヒトを喰らうという設定には目を背ける人も出てくる。それだけで、野蛮だ、子どもには見せられないといった、勝手な大人の判断。
たしかに、分別がつかない子どもに見せても、本来のテーマは理解できない。でもね、理解できないからこそ、大人が教えてあげるというのが、本来の教育では?
なぜ、教育の話が出てきたのか訝しがる人もいるだろう。
でもね、産まれた環境によって立場や物の考え方、食べ物、嗜好などが変わる。
東京喰種では、産まれた環境によってヒトとグールが食べ物や嗜好、全てにおいて変わってくる。このことが、争いを生む。
ヒトが、食べものとして牛、豚、鶏を、あるいは魚を、オノレの信念として食べないと選択したヒトもいるけど基本的には喰らう。
立場が変わり、グールとしては、生きていくためにヒトを喰らう。
本来、生きるために喰らうという意味では同じ。
東京喰種の基本的構造は、生まれた環境が違うから、ヒトはグールをおそれ、グールたちを排除しようとしている。そして、グールたちは自分たちを守ろうとしいる。その齟齬によって生まれる争いや疑念を描いている。
ボクは、その構図は、そのまま現代社会につながっていると考える。
産まれた環境。
大きな視点で見れば、産まれた国が違うから。
身近な視点で見れば、産まれたときの親の財力。あるいは地域。
ボクらが育った時期には社会の授業で道徳というものがあった。それは部落差別を無くそうというカリキュラム。
教育の方針というのは、時代によって違う。むかしは、情報というのは気軽に手に入るものではなかった。
だから、親、地域、国が教育することによって、分別がつかない子どもは育つ。それが、俯瞰で見れば誤った教育なら?
肌の色が違う、信仰しいてる宗教が違う、自分の考え方と違うから…
それが争いを生む。
そんな理屈は、アタマでは理解できるかもしれない。しかし、ヒトには感情がらある。簡単に分かりあうことはできない。
でも、分かりあうというのはお互いの全てを知ることではない。分からないことがあったり、自分とは違うといあことを理解して協力することだ。
東京喰種を全編観て、ボクの感想である。
よく親から言われてたのは、マンガやアニメを見たところで、勉強にはならない。それなら、教科書や参考書を読めと…
ホントに?
マンガやアニメから、学べることは、教科書や参考書に書かれてないことが多い。どんなことでも学ぼうとすれば学べる。
詰め込み式の教育というのも、その時代には、ある意味、必要だったのかもしれない。毒として。
自ら考えるというのを放棄させるのには効果がある。親も教師も政治家などは、自分が言うことが正しいと言い、コントロールしやすいヒトを量産することだから。
これも、一つの洗脳やね。
人が人としてたらしめているものの根底にあるものは何だろう。
それをつきつめていきたい。あくまで、精神的な側面で。科学的な知識は持ち合わせてないので。
自分にできることからやっていくのが、ボクが、これまでの人生で学んだこと。それではまた!
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