満足できる「はたらく」を手に入れる
はたらくこと。人が生きていくためには、欠かせない行動です。はたらくこと自体が目的の人がいれば、はたらいている時間以外の余暇を最大限楽しむために、はたらく人もいる。あなたが今はたらいている目的、もしくはこれからはたらこうとするときの原動力はなんなのでしょうか。
好きな仕事でないとはたらけない。お金を稼ぐことこそが大事である。そんな固定概念は存在しないのだと私は考えます。ではなにが大事なのか、それは「満足」できるかだと思います。
稼げてはいないが、昔から夢見てきた仕事であり毎日が楽しい。今の仕事は好きでも嫌いでもないが、稼ぎがよく趣味へと気兼ねなくお金を投資できる。または、やってみたら案外才能があり、人にも頼られるため気分がよい。各々の意味での「満足」の形があると思います。
この生活にも、仕事にも意味などまったくない。
どこにもいきつくことはできない。
人に誇れるような価値もない。
ぼくはそれらすべてを理解しているけれど、同時に深く満足もしている。これ以外に、この世界でぼくが上手にできることはないのだ。
出典:『爽年』|石田衣良|集英社|2018年4月10日
この小説は一昨年、松坂桃李主演で映画化された『娼年』の続編。シリーズ第3巻における最後の場面です。主人公のリョウは、女の人に体を売る仕事をしています。これだけを聞くと卑しい職業に思えるかもしれません。しかし作中のこの仕事は、リョウにとってはとても高尚なもので、魂と魂の触れ合いのようなものなのです。天賦の才を持つリョウは、様々な女性と触れ合っていきます。
リョウの言葉のように、深く満足し自分なりに納得できる「はたらく」は人生を鮮やかにしてくれるでしょう。ここにおける「はたらく」は仕事内容だけでなく、仕事がもたらす日々の生活までを含めた意味です。才能のある仕事につけるといいかもしれませんが、自分の才能がどこにあるのかなんて、自分ではわかりません。私が得意なことはこれだ、と思っていても実はもっと得意なことがその人にはあるのかもしれない。考え出したらキリがない。
そんな中で自分の中で「満足」を得られていれば、周りにとやかく言われようとも意志が揺らぐことはないはずです。その意思がもし揺らぐ時が来たならば、その時は一回立ち止まり「はたらく」に満足できているのか考える時が再び訪れたのでしょう。強がりはしない。そこから再び「満足」へと軌道修正をしていく。この繰り返しが現代社会を生きると言うことなのだと私は考えます。
仕事は、星の数ほど種類があります。それに加えて仕事をしないという選択肢もあります。やることがほぼ一本道の義務教育。選ぶと言っても選択肢はまだまだ少ない、高校や大学。就職とは、その後に放り出される無限の荒野です。最終的に選んで道を行くのは己のみであり、またその先の結果を享受するのも己です。
限られた一回の人生ならば、深く「満足」できる「はたらく」を手に入れ続けたいと切に願います。