寝ている人はもう明日に行っているのかと思っていた
休日の昼寝は起きた時に、後悔と幸福を同時に感じることはありませんか?それはせっかくの休日を昼寝に使ってしまったという後悔と、昼下りにまどろみから目覚めた幸福感によるものではないでしょうか。私も昼寝から起きた時その感情を抱きます。
昼食後に自分の部屋にいると、どうしてあんなにも眠くなるのでしょうか。訪れる眠気に逆らわないでベッドに横になると心地よく眠りに落ちることができます。昼間の強烈な眠気を、眠りたくても寝付けないことがある夜のために、とっておけたらいいのに。この時期は、少し寒いくらいの冷房を部屋に効かせて、布団にくるまって寝るという少しの「無駄」を楽しむ寝方が私のオススメです。
人間というのは、1日の約3〜4分の1を寝て過ごしています。一日中活動していては疲れ果ててしまうため、この時間は削ることなく身体を休める時間にあてるのが大切です。そして徹夜をする場合を除いて、睡眠という行為は「明日」を迎えるための行為です。 私の友人に「小さい頃、寝ている人はもう明日に行っているのかと思っていた」と言っている人がいました。この考えはすごく素敵だと私は思います。他人には他人の時間が流れていて、自分には自分の時間が流れている。だから自分以外の人が寝ている時には、その人の時間の流れではもう明日を生きているのかもしれない。
時間というものがテーマとなっている物語は多いです。私が今まで読んだ物語でお気に入りなものに『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』という作品があります。この作品の中に、
「ぼくたちはすれ違ってない、端と端を結んだ輪になって、ひとつにつながってるんだ」
出典:『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』|七月隆文|宝島社|2014年8月20日
という言葉が出てきます。この作品の主人公とヒロインは、それぞれ違う時間軸を生きています。それでもその時間軸が交差した一瞬に互いを愛し、幸せな時間を過ごすのです。一期一会という言葉があるように、現実の私たちの人生も巡り会った人には何らかの意味があると私は考えています。相手に抱く想いが尊敬や愛情、はたまた反面教師や嫉妬かもしませんがその感情はきっと自分を成長させているはずです。かりに人生を物語に置き換えたとして、主人公(私)と関わりがある人物には登場した意味が何かしらあるはずだということです。推理小説において一回もセリフのない人物が犯人であることがないのと同じように。
私自身の物語もまだ半分にすらたどり着いていないと思いますが、すでにたくさんの人に出会って、たくさんの影響を受けています。常に周囲の人に対してアンテナを張って、様々な経験や知識を吸収していけたら、人間的に成長していけるはず。そのことを意識して生きていきたいです。