僕は絵を描くのが好きだ。でも僕が好きなのは行為であって画面にそこまで重きを置いていない、質感と色が良ければ満足してしまうのだ。 絵画と言うよりは生活の中の1部を切り取って紙や布に擦り付けてる感覚だ。 実験や研究をしている感覚や日記を描く感覚に近い。 楽しい生活の中に絵があって彼女があって遊びがあって、全て僕の日常の外縁を紡いでいるに過ぎない。 絵を描く理由や内容はどうでもいい、勝手に手が動いて線を生み出したくなる。それがどういうものを作ろうが今の自分には関係ない、身を
絵を描く上でなりたいものとなれるものは分けるべきだと思いました。僕は器用なタイプでは無いのでできることが限られます。 自分の好きなことはどこか心でダサいと決めつける節がありました。 僕にしかできないことがあるならそれを突きつめてカッコよくなればいいなと思いました。 素直に描くことがアーティストとしての1歩なのかなと思う
僕の中ではドローイングと絵画は分裂しています。 ドローイングは自分がニヤニヤしてしまうものを描き、友達とコミュニケーションを取るものだと思っています。 絵画は油絵具やペンキを使って全身を動かしながらタオルや指や筆を使い、物の印象を合わせるものだと捉えている。 ドローイングは軽さがあり、絵画は重さがあるので僕の二面性的なものがあるのかもしれない。 自分は絵画以外の部分から色んなものの影響を受けた方が良さそうだなと思った
浪人は思ったより苦ではないと感じてます。 2次試験がなぜダメだったのかとか多摩美がなぜ落ちたのかとか理由が明確だったので悔しくはなかった。 多摩美は学科落ちでした。 今はもっと素直にやりたいことに取り組んでいます。色々な人の展示に行ったりして学ぶことが増えてきました。 楽しく絵を描ければ嬉しいです。もっと理論と感情を分けた上で制作するとオリジナリティが増すなと思った
藝大入試に行ってました。運良く1次は通ったけれど2次で落ちてしまいました。彼女と違う立場になるのは悲しいけれど 切り替えて今日から頑張ればいいと思いました
今回は受験とは少ししか関係ない話をします。 武蔵美の入試に行く朝、家を出る前に父と喧嘩をしました。 その内容は帽子を脱げという内容でした。 父には室内では帽子を脱げと言われました。しかし僕には理解ができませんでした。僕は人に直接的な迷惑をかけなければいいと思っています。 マナーとかTPOと言われたのですが、それがよくわからないのです。実際僕の帽子というものは自分にとって一種のアイデンティティと化しています、今の時代多様化もしていますし何故帽子をわざわざ脱がないといけないの
今私立大学の試験中です。人生初めての受験ですが思ったよりも緊張はしていないですね。 最近自分が昔より更に好きになったものがあり、それはhiphopです。楽曲に然りバトルに然りやはり音楽はとても面白いです ラップと言う歌唱法ももちろん好きですが、やっぱりhiphopという文化がとてもカッコイイなと思います。僕はthugなこともなければ劣悪な環境で育ってません、 しかし昔から自分は活発すぎて周りに迷惑をかけたり、遅刻や忘れ物が多かったり社会に上手く適合するのが苦手で僕はもう普
僕は結局入直は予備校は取らず家で描く選択をした。ただ講習をとり忘れてしまっただけだが 家で描いたり高校で描いたりした方が案外割りにあっているのかもしれないなと思った。他人のくだらない評価を気にせずにすむので自分の性に合っているのかも知れない 何を描くかよりもどう描くかという視点が僕にとって重要なことだなと感じた。描いた結果出てくる図像よりも描いている過程や動作の方が重要なのだと自分的には感じていて、どのような出力が自分に合っているのかどういうタッチでどのバイブスで色を差し
明日から通常通り、いや今も変わらないか ちょっと絵から離れていたかもしれないな。 なにか向き合い方に違和感を覚えていたかもしれない、ネガティブ思考な自分は変えられないし無理しなくてもなって、今死のうと思って生きないと気が引き締まらない。 自分から見える景色はもっと平凡なんだろう、それでいいのよ。 キャンバスと向き合うのはやっぱ楽しい。アートにしろお絵描きにしろ筆を経由したり指で経由したりすると自分の心に触れている感じがする。 絵の具はやはり素晴らしい、そうとしか言えな
昨日仲良くなった芸大生と語ってきた。 アートとお絵描きの違い的なのを意識出来ました。 自分のやっていることや感じたことや考えたことはやっぱり信じるべきで、もっと自信を持つべきだと思いました。 僕は老子という方の流れるように生きて無駄な努力はするなと言う言葉がどしっと来ました。 何か焦燥感に襲われ無駄な努力をすることが多かった僕ですが、自分のペースで自分のやるべきことをして頑張ろうと思いました
今日から東京の予備校に行くことにしました。 夏期講習も行ったのですが、久々なので緊張しました、学校でテストがあったので遅れていきました。 課題が事件というテーマで食パンと板ガムが配られました。今まであまりイメージ課題はしたことがなかったので戸惑いながら自分が常に悩んでいることなどを思い返してスケッチをしていました。 ですが何かが吹っ切れたのか深いことやエモいことなどがどうでもよくなりくだらない絵を描こうと何故か決心しました そうしたらまさかの講評では上段の合格判定でした
久々に描こうかなと思う。 僕は毒が少し抜けた、自分は強がることで精一杯で自分を愛せていなかったと思った。その通りだ 楽しいことや自分がどういうことをしたいか、正直になってくれ。自分に嘘ついたら絵が薄っぺらくなってしまうから。 もっと頑張ろう。学校も授業がほとんど最後を迎えて過去はどんどん淘汰されていってしまう。今現在をジューシーに生きて、もうない過去に少しでも彩度の高い絵の具を残しておきたい。 壁壁壁
僕は昨日芸大の受賞展示を友達と見に行った。その時に僕が通ってる予備校から藝大に行った方とお会いした。 すごく面白い方だった。物事の考えや思想が明確で表現力が上手い方だった。僕は当時すごく神格化していたがいい意味で同じ人間なんだなと安心した 違うベクトルなので比べるなどはない、身近なことで感じたことなどを常に深く考えて自分を深く知る。それが出来ている方だった。優しい語り口調やフレンドリーな人柄は絵やスケッチブックからでもすぐ読み取れた。こういう人が素直って言うんだなーと
不定期でこれから書いていこうかなって思う。 ふなび二学期に入りまだ1回も上段に乗っていない、基礎科から含めてほとんど下段だった私は慣れっこだったけど、 友達全員上段で自分だけ下段だったことに落ち込んでしまって雨の中濡れながら帰った 俺はもうだめなんじゃないかとか、受かるわけないとか思いながら歩いていた。でも雨に体を委ねていると全てがどうでも良くなる気がしていた。 俺は画面さえ直せば良いって言われてるしクヨクヨしてないで画面を直せばいいんだって。 当たり前の事だったけど