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マジック(手品)が全てを変えてくれた

誰とも話さなかった幼少期


僕は幼少期から会話をするのが苦手だった。

幼稚園で先生と撮った誕生日の写真。思い出アルバムを見返す。
先生のコメントで決まって出てくる言葉が「おとなしい」だ。

「おとなしい」という表現を使っているが、「暗い」子供だった。

実際には幼稚園の記憶があまりないのだが、幼稚園の思い出の品々がそれを物語っている。

小学1年生、2年生もそれは続いた。

グループ下校の時。
同じグループの女の子から、「なんで、何もしゃべんないの?」と言われていたのが、何故か鮮明に記憶に残っている。

僕の家の前に着き、何か一言しゃべらないと、家に入らせないという女の子による謎ルールが課せられた。
当時CMで流行っていた言葉を真似しないと家に帰らせてくれなかった。

僕は命令されるがままに、モノマネをして家に帰る。そんな毎日だった。
今思えば、あれは「いじめ」だったのではないか?と思うこともあるが、当時の僕はそんなことさえも思っていなかった。

「自分」の事でさえ、どこか「他人事」だったのかもしれない。それくらい「自分」とは何か。よくわかっていなかったし、半分捨てていたのかもしれない。

通知表に書かれている先生の言葉は、幼稚園時代と同じく「おとなしい」。
個人面談や家庭訪問では、おとなしくていい子だけど、たまには感情を表に出さないと、ため込み過ぎて爆発しないか心配。と先生と親が話していたのが記憶に残っている。

その後、僕の感情はある日、一気に爆発した。
…それならある意味、面白かったかもしれないが、結果、大人の心配は杞憂に終わり、僕の感情は爆発することはなかった。

それほど自分に興味もなかったし、期待していなかった。
期待していないから、感情が動くことがなかったのだ。

僕の生活は、何も変わらることなく、ずっと続いていくのだと思っていた。

もちろん、しゃべることが出来ないわけではない。

必要性があれば、もちろんしゃべる。

学校の授業で当てられれば、答えを発表する。

しかし、自分から手をあげることはない。
答えがわかっていても、それを主張することはない。
必要だと思わないからだ。

クラスメイトとも話さないのは、必要だと思わなかったからだろう。

小学3年生で訪れた転機

小学3年生の3学期。事もあろうに、僕がクラスの学級委員になってしまった。
立候補する子がいなく、推薦でなぜか僕がなってしまった。

クラスメイトの意図はわからない。みんなやりたくないから、僕にやらせておけ。という、またしてもイジメにも似たものだったのだろうか。

全くしゃべられないわけではない。
必要であれば、きちんとしゃべる。

だから、学級委員としての責務はしっかり果たしていた。…つもりだ。

そして、僕を変える出来事が小学3年生がもうすぐ終わる2月に訪れた。

卒業する6年生とのお別れ会と称して、各クラスで6年生と一緒に給食を食べる行事があった。
その行事の中で、クラスで出し物をするということになった。学級委員の僕が代表して何かやって欲しいと先生にお願いされたのだ。

いま思えば、なんという無茶ぶりだろうか。

先生に反論することもなく、僕は考えた。

でもどうしていいかわからなかった。
人前に立つことのない僕がわかるはずもなかった。

僕は父親に相談した。

そして父親が出した答えは、なんと「マジック」だ。

そう。手品である。

当時、なぜ父親がマジックを知っていたのかは謎のままであるが、父親はロープを使ったマジックを僕に教えてくれた。

ロープをハサミで半分に切る。
切れたロープの端と端を結ぶ。
おまじないをかけると、結び目がスルスルと取れて、切ったはずのロープが1本になる。

こんなマジックだ。

僕は家で何度も練習して、6年生のお別れ会で発表した。

そしたら、どうだ。

拍手喝采である。

生まれて初めての経験だった。

その瞬間、僕はみんなの注目の中心にいた。主役は6年生のはずであるが、完全に僕が中心だった。

「気持ちがいい」

そう思ってしまった。

それから4年生になり、マジックに夢中になった。
身の回りにあるものを使ってマジックをして、クラスメイトを驚かせていた。

いつの間にか、僕はクラスメイトとしゃべるようになっていた。

そして、中学にあがり、環境が変わった。
一旦マジックのことを忘れていた。

しかし、また転機が訪れる。

中学2年。転入生がやってきた。その転入生とは気が合い、よく話していた。

その転入生は、なんとトランプマジックが好きだったのだ。

僕はマジックをしていたことを思い出した。

いつしか、その転入生と競いあうようにマジック覚え、見せあっていた。

中学、高校ではクラスメイトにマジックを見せるようになり、コミュニケーションの一助となった。

大学では奇術同好会に入った。
マジックが好きな人が集まる、傍からみたら変な集まりだ。

マジックを見せ合いながら、それはすごい。でももっとこうした方がいいのではないか。
理系の大学だったせいもあるのか、マジックなのに議論が白熱した。

小学~高校のときは、ただただマジックをしていた。
大学になって、もっとこうした方がうまく見せられる。
この時、相手は何を見て、何を考えているのか、魅せ方まで追求するようになった。

学生時代の小さな歩みが大きくなるとき

大学を卒業し、社会人になる。
学生のときとは違い、交流の幅はどんどん広がり、
プロマジシャンとの交流もするようになる。

プロのマジシャンはすごい。
見せ方はもちろん、佇まいから、しゃべり方、誘導の仕方、全てのことが勉強になった。

本業はサラリーマンではあるが、合間合間にマジックの依頼もいただくようになった。

企業でのパーティの余興として。

結婚式の2次会の余興として。

子供会の余興として小学校の体育館で。


プロマジシャンとコラボでショーもするようになった。


プロマジシャンと打ち合わせをし、一つのショーが出来たのはかけがえのない経験となった。

あの、全くしゃべることのなかった子供がー。
クラスメイトと交わることもなく、距離をおいて教室の隅にいた、あの子供がー。

舞台に立ち、人の注目を浴びている。

グループ下校で流行りのCMのモノマネをしないと家に帰らせてくれなかった、あの子供がー。
「自分」を捨てていたあの子供がー。

これほど180度変わるなんて、あの頃想像していなかった。

人生は辛いことももちろんある。思う通りにいかないこともある。
でもそれで終わってはいけない。

前を向いて、一歩ずつ歩いていこう。
大きな一歩でなくてもいい。

少しずつ積み重ねれば、ある日振り返った時、大きく前進しているから。

やがて想像していなかった未来がやってくるから。

今の僕なら言える。
「自分」はここにいる。

人生は面白い。

~Fin~


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