4年
熊本の地震から4年。傾いた家から這い出して、家族4人ヘリコプターで救出され、22ヵ月の仮住まいを経て、いま、贅沢なものではないが、心を落ち着けられる家を再建して暮らしている。
今朝は勉強の方でも、「あっ、こういうことではないか」と気付くことがあって、濃い霧が晴れた気持ちになり、少し文章を綴ることができ、昼には息子たちと椿の油を搾り、夕陽の輝く芝生の公園でサッカーをして、風呂上りに4人で夕餉の卓を囲んだ。こうして何でもないふつうの日々を過ごせる幸運を噛み締めている。
床の下一枚捲ればどんな奈落が口を開けているのか、それは誰にも分からない。そう思うことは暗い諦めとは少し違う、私にとっては生きていく中での覚悟のようなものだ。失ったものを悔いたことはあまりなかったと思う。そしてそれが元通りになって欲しいとも、けしてそうなるとも考えていない。伝わるかどうか心許無い言い方かもしれないが、私はこの、それを想ったときに自分の周囲の世界がしんとなるような、自分が〈ほんとうのこと〉の近くに居合わせるときに感じる静かな哀しみもまた、たいせつに抱えながら暮らしていきたいのだ。