takeuchi yu

熊本県阿蘇郡の山村で暮らしています。本を読んだり、庭木の世話をすることがすきです。仕事は市内へ出掛けます。 日々の感慨を正直に、すこし丁寧に綴るよすがとしたいと思って、ここへやってきました。

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熊本県阿蘇郡の山村で暮らしています。本を読んだり、庭木の世話をすることがすきです。仕事は市内へ出掛けます。 日々の感慨を正直に、すこし丁寧に綴るよすがとしたいと思って、ここへやってきました。

最近の記事

4年

熊本の地震から4年。傾いた家から這い出して、家族4人ヘリコプターで救出され、22ヵ月の仮住まいを経て、いま、贅沢なものではないが、心を落ち着けられる家を再建して暮らしている。 今朝は勉強の方でも、「あっ、こういうことではないか」と気付くことがあって、濃い霧が晴れた気持ちになり、少し文章を綴ることができ、昼には息子たちと椿の油を搾り、夕陽の輝く芝生の公園でサッカーをして、風呂上りに4人で夕餉の卓を囲んだ。こうして何でもないふつうの日々を過ごせる幸運を噛み締めている。 床の下

    • 庭の中の小さな平和

      植物が好きな人は、タイトルをご覧になるだけで、何となくぴんと来るところがあるかもしれません。 世界中に感染症が拡がっている、このような心がざわざわしがちなとき、ただゆったりと樹々の生長を眺める、手入れをすればなおよろしいが、お茶を淹れてただ眺める、というだけでずいぶん心が平らかになってくる。 そのことにとりたてて理由を探す必要もないけれど、とりわけ今は、一刻一刻変化していく生き物である目の前の草木と触れ合うことで、自分自身の生き物としてのさまざまな不充足が補われているのか

      • 小さな離れーA Little Hut I Built

        「震災の後の記録」VII 次男が生まれる頃に、自分も何か形のあるものを生み出したい、と思っていたのかどうかは忘れましたが、何かに憑かれたかのようになって、刃物を研いで木を刻んで作ったのがこの小屋です。小さい子どもたちに「勉強するから静かにしてね」と始終言うのも何だか楽しくないので、庭の片隅に8畳ばかりの方丈を建ててみたのです。梁までは釘を使わず、ほぞを切って込み栓で留めてあります。壁は竹小舞を編んで泥壁に珪藻土を塗りました。地震で丘が動いたために少しばかり傾きましたが、小屋

        • ある大きな木の話(その二)

          「震災の後の記録」VI  西原村の自宅への道は橋の一部が崩落し、ダムが決壊したため、大きな迂回路を経なければなりません。迂回路ですら、ところどころ崖や石垣が崩れ、道を半分近く塞いでいたり、アスファルトがめくれあがり、陥没して地面がなくなっているかに見える箇所すらあります。  そのようななかで片づけに出かけた自宅の郵便受けに一通の封書が投函されていました。それは、電話が不通になったため郵便で安否を気遣ってくださった、私の恩師の一人であり年長の友人でもあった方の奥様からのお手紙

          ある大きな木の話(その一)

          「震災の後の記録」V  震災の只中とその後の三週間ほどの暮らしのなかで去来した思いは、澄んだもの、濁ったもの、忘れたいこと、憶えていたいこと、まことにさまざまです。そしてまだ渦中にあるという気持ちが、余震のあるなしとは関わりなく、なかなか抜けないため、振り返ってそれらを文章に綴るにはすこし時が経つことを必要としそうです。  それでも、壊れた食器棚を新しいものに替え、子供たちの転校の手続きが済み、妻との久びさのちょっとした口論などがあり、日常らしきもののかたちが見えてきた今日

          ある大きな木の話(その一)

          飛行機と折り鶴

          「震災の後の記録」IV ヨーロッパ行きの長い飛行機の中でも、あまり眠らない性質です。 歩き回ったり、書き物をしたり、(あんまり難しい本は読めた試しがないです)、1、2本くらいは映画も観ます。 昨日はそれらにも飽きて、機内食が終わって灯りを落とした後に一息ついたスチュワーデスさんたちとおしゃべりしました。仕事の話から搭乗地の話になり、熊本の震災のことも少し話しました。地元の消防団の人たちの活躍や、先週の講義にほとんどの学生が元気な顔を見せてくれたことや、手前味噌ばかりですが

          飛行機と折り鶴

          地割れを埋める

          「震災の後の記録」III  ところで皆さま、6トンの山砂、しかも少し湿った砂を5時間ほどで動かしたことがありますか。  梅雨が本格的に始まる前に西原村の家の周りの地割れを埋めておかなければと、ずっと気になっていました。やってまいりました。汗と根性出し切ってきました。  1トンはこの後に雨で締まった後に補充するために残したので、実質5トンほどですが、これはなっかなかの重労働です。ふだん主に机に向かって仕事をする者には、英語でいわゆるover the topでした。  砂を4ト

          地割れを埋める

          大丈夫、大丈夫

          「震災の後の記録」II  家の中はだいぶん片付いてきたので、福岡から手助けに来てくれた友人とぼくたち家族と合わせて5人で庭の草を刈りました。積んであった薪を少し炉にくべて刈った草を燃やしていると、かつて住み暮らしていた頃と何ら変わりない家の庭の風情が戻ってくるようでした。  写真は、庭仕事にくたびれてがらんとした部屋のソファベッドで昼寝をする子どもたちです。地震後3か月半ぶりに、生まれ育った家の中でぐっすり眠る彼らを見ていると、ふだん自身には禁じている感慨、地震などなければ

          大丈夫、大丈夫

          White Angel from Prague

          「震災の後の記録」I 一枚の絵を壁に掛けるという小さな仕草であっても、当時の私には、ーー余震のあるなしに関わらずーー、自らの心の中の一つの区切りとなる、たいせつな「儀式」とさえ言える振る舞いでした。 ーーーーーーーーーー (2016年)熊本での4月の震災以来ずっと部屋の隅に(裏返しにして)立てかけていた絵を壁に飾ってみました。  右側の羽の生えた白い人の絵は、若い頃に一人でプラハまで旅したときにふと入った画廊でもとめたものです。段ボールに挟んで鎌倉の家まで持ち帰り、アル

          White Angel from Prague

          Two White Horses

            上 の青い絵は、長男がまだ妻のお腹の中にいた頃、彼が無事生まれてきて成長し、いずれ仕事に就くか成人したときに餞(はなむけ)として贈ろうと思い、当時暮らしていたフランスを去る直前に手に入れた絵です。  "Two White Horses"と題されていて、2頭の優しそうな白い馬が海を臨む丘の上で出会う一瞬を捉えたように見えます。(画面の下方には2羽の鳥もいます)  まだ純朴な中学生の彼も、いつかほんとうの恋をして、いずれは自分の家族を持ち、そして新しい生命の糸を紡いでいくのだ

          Two White Horses

          面倒な役こそ

          持ち回りの区長を今年は引き受けていましたが、今晩区長会での会計報告に出掛け、後は寄り合いを月曜日に終えたら、引継ぎをするだけ、となりました。この手の仕事はもともと得手とは言えませんが、勝手気ままに生きてきた自分には人生修行だと思って、ともかく一生懸命まめに勤めてみました。すると近所の人生の先輩方の私への接し方が少しずつ(更に)温かいものになってきたような気がします。人に(大袈裟に言えば生存を快く)認めてもらうには、やはり自分が何か振る舞いでもって示す以外にないのだな、とこの歳

          面倒な役こそ

          長男の短い留守

           長男が、福島→つくば→東京と学校の旅行で出掛けておりましたが、無事に元気に帰ってまいりました。妻の拵えたおいなりさんを4人でいただきながら、たくさんの土産話を聞きました。  福島ではブリティッシュ・ヒルズなる、英国調の宿舎に泊まり、ハリー・ポッターのような世界を体験し、有名ないわきのハワイアンショーでは「感動の涙を堪えた」そうです。しかも人生初のナンパ(される方)を経験したとのこと。はじめ、「おばあちゃんにかわいいってナンパされたらしい」と妻が言ったのがよく聞き取れず、「

          長男の短い留守

          再生

          That's Life, for this sad joker.

          I had somehow sensed that this was a film that I must see. Not able to go to a theatre timewise, I saw it at home having rented its DVD, watched it twice; in the afternoon with my wife and older son, and alone around midnight on the same day. On the second 'show', I let myself cry at almost every scene, every sad laughter of the clown, every oddly beautiful dance of the pure humane soul.

          That's Life, for this sad joker.

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          二人の師のこと

          私には、自らの拙い言葉遣いを顧みて憚りながら述べることであるけれど、文章の師と言ってよい人が二人いる。一人は1993年の1月に留学中のフランスの小都市でその訃報に接した。下宿の女将さんが新聞を片手に部屋をノックして、「コーボー・アベが亡くなったよ」と驚いた顔をして告げたのを今でもありありと思い出せる。部屋にじっと座しておられず冬の街を明け方近くまでただ歩き廻り、生前に受けた厚意、掛けて頂いた種々の言葉を噛みしめた。ナイフを収集されており、渡仏前に滞在したチベットから遊牧民の短

          二人の師のこと

          ご馳走と花束

          たいせつな友人たちからいただいた花。 奢るのも奢られるのもあまり上手ではない。けれど、ひと月ほど前に、久しぶりにその友人夫婦とゆっくり4人でとっておきの場所に食事に出かけ、「おいしいね」と言いながら子どもたちのこと、村での生活のこと、たくさんの話をしていたら、いつも親切におおらかに笑顔で私たちを受け入れてくれてきたことに、無性にと言っていいくらい、何か感謝したい気持ちになった。スマートさとはほど遠いけれど、「ご馳走させて」と言ってみた。お返しなんて期待していなかったけれど、こ

          ご馳走と花束

          私の英語の失敗

           今日はいくつかやらなければならない仕事が片付いたので、戯文を記してみました。お出掛けの御用が取り止めになるなど、お暇でしたらどうぞお付き合いくださいませ。  恥ずかしい(また長い)昔話です。渡英の予定を延期した長男たちと英語について話をしていて、34年ほど前に、じゃがいも畑が広がる北米の田舎の村で11カ月を過ごした折の様々なドジ、勘違い、へまを思い出して、自分のことながら苦笑し、家族もふだんお殿様のごとく一家に君臨している父親の失敗の数々をアハハと笑っていました。かつて大

          私の英語の失敗