見出し画像

私の血肉となった経験と小説たち

私は小説というものにとり憑かれてからまだ15年程と、生きた年数からは途方も無く短い期間しか経っていない。

更に『遅読』であり、『再読』の常習犯だ。

子供の頃から何度となく小説に手を伸ばそうとはしたものの、悉く私がスラスラと、又はどっぷりとハマるような小説には出会えず、学生時代を終えてしまった。
今になって気付くのだが、あの頃私がもしファンタジー小説と出会っていたら、きっと本の虫になっていて、敷居の高い、それでいて何かを与えてくれそうな気がしてならなかった『図書室』とも、仲良しになれていた事だろう。
しかし、残念な事にそんな出会いはないまま大人になってしまった。

転校した先でいきなり「いじめ」に遭遇し、給食の時間も無視をされると同時にあちらこちらから監視の目があることに気付いていた。
そんな事を撥ね退けるためにとった行動が、読書だった。
教室の片隅にある数冊の本の中からいつも選んでいたのが
【ちびくろサンボ】
それを読みながら給食を食べた。
そんな行動をする私を、担任の女教師とクラスメートは、いつも冷ややかな目で見ていた。

中学に入学して初めて『図書室』へ行った。そこはとても綺麗で、一瞬にして好きになった。何度もいじめっ子たちの目をすり抜けて一人で行った。
でもそれさえも出来ないようにされてしまった。
私が見つからないと『図書室』まで探しに来て、あーだこーだと言っては私を連れ出し、嫌がらせが始まる。

高校に入学した頃には、もうすっかり本との出会いを諦めていた。
(きっと小説を読むなんて、私には無理なんだ)
そう決めつけていた。

家でも学校でも、辛い事ばかりでどうすればいいのか解らず、助けを求める事さえも思い浮かばず、来る日も来る日もやり過ごしていた。
人に裏切られることも別段、特別な事では無かった。
人は人を裏切るもの、それが私の日常、所謂《普通》だった。

でも今になって思えばこの頃に、ファンタジー小説と出逢っていたら、少なくとも私の心は現実逃避をし、救われていたんではなかろうか。
そう思えてならない。

高校を卒業し、住み込みで働き始めた私は睡眠時間2時間の上、激務の毎日が待っていた。私だけに課せられた激務だった。しかも給料も他の人より少ない事が後になって知ることとなる。初任給が2万を切っていた。どの時代の話だろう、とさえ思う。
師匠は体当たりでド突いて来たり、脇腹や至る所を抓ってきたりもしていた。
ある日師匠から言われた。
「あんたは、何を言っても何をしても、顔色一つ変えないから。」と。

そりゃぁそうだろう、小さい頃から殴る蹴るの暴行に暴言の嵐の中、助けてくれるべき母親も無関心。
助けてくれるべき母親などというフレーズは、30を過ぎてから憶えた。
ちっとやそっとの事ではいちいち顔色など変えてはいられない。
そんな私に大人たちは
「愛想のない、可愛げのない子」と言った。

でもこういった私の人生経験の中で育まれた感情というものが、大正生まれで戦争経験者の作家の小説に共感を示させたのかもしれない。

結婚もせず、子を持つことも拒み、人生をかけた仕事も、結局は心と体を壊して辞めざるを得ない状況になり、抜け殻のようになった私を救ってくれたのが小説だった。

仕事を辞める私に『赤毛のアン』好きの方から、こんな事を言われた。

「貴方を見ているとね、アンと重なるのよ。」

私はそれだけで充分嬉しかった。
その方が『赤毛のアン』をどれほど愛し、心の支えとされている事を知っていたから。
そんな物語の主人公と私を、重ね合わせて下さったのだ。
更にその方はこんな素敵な言葉を添えて下さった。

「私の大好きな文章があるの、それはね、

今まではね未来が真っすぐな一本道のように、どんなことが起こるか、先の方まで見通せると思ったくらいだった。
でも、今その道には、曲がり角があるの。曲がり角の向こうに何があるか、今は解らないけど、きっと素晴らしいものが待っていると信じる事にしたわ。見たこともない景色が広がっているかもしれない、初めての美しい世界に出合うかもしれない。

ね、素敵でしょ。きっと貴方もその曲がり角にいるんだと思うの。」

仕事を辞めた私は、迷わず『赤毛のアン』を買って読んだ。
途端にその世界観へと引き込まれていった。

私はその方に誘われるように、どんどんと小説の幅を広めていった。
小説を読んでいる時の私の心はとても落ち着いた。
そして報われていった。
救われた。

私に小説の素晴らしさを教えてくれたのはこの方で、この時が私にとってのベストタイミングだったのだ。

そして私は今その小説家になろうとしている。

もし私の小説を読んで
私の心が落ち着いたように、誰かの心が落ち着いてくれたら
私の心が報われたように、誰かの心が報われてくれたら
そう思っただけで、心が満たされていくのを感じる。

技量が無いのは十分承知の上で
それでも小説を書きながら生活をしていきたい気持ちに迷いはなく

誰一人として同じではない人生の一つを生きて来ただけの私が、様々な小説にいろいろな刺激をもらい、私にしか書けない小説を書くだけ

この曲がり角の先にはどんな景色が広がっているのだろう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?