注目されたくない願望強めのわたしが、花嫁になった日。
「先に新郎が入ります。その後一旦扉を閉じるので、準備していただいて。扉が開いたらお辞儀をして、一歩前に出てくださいね」
半ばうわの空状態で、式場スタッフさんの話を聞いていた。
「私たちがついているので、安心して、前に進んでください。ステキな日にしましょうね。」
そう声をかけられた後に、扉が開く音がした。
チャペルの扉が開いた瞬間、多くの参列者の視線とカメラを向けられているのがわかった。
一瞬で襲われた強い緊張感と、これまでに向けられたことのないほど、たくさんのあつい視線。
でも、そのしんどさを忘れるほどの、あたたかな光に包まれていることに気づき、何とも言えない気持ちを抱いた。
我に返って、前を向いて、お辞儀をしてから、一歩を踏み出した。
これは、注目されたくない願望強めな花嫁の、人間的な成長ストーリーである。
この日から遡ること、おおよそ1年前。
わたしは、車に乗せられ、とある場所に連れてこられていた。
入籍してから、すでに3ヶ月は経過した頃。
交際して10年の月日が経って籍を入れたため、特別感こそなかったが、それでも、苗字が変わるという儀式的な変化を実感しつつあった。
職場では、「新しい苗字が慣れない」と、名前で呼ばれるようになっていた。他部署の方に報告する時や、親族に挨拶に行った時に必ずと聞かれたことは、「式挙げるの?」だった。
やっぱり籍を入れたら、結婚式をあげるものなのか。
目立つのが本当に嫌で仕方ないわたしは、挙式しない一択だった。
結婚式って、どうしたって、注目を浴びるのは、新郎よりも新婦であろう。
そんな機会、わたしには耐えられない。
割と小さい頃から、そう思っていた。
成人式でさえ、出なかった人だ。
一方、夫は、挙式したかった人。
何より、義母が、結婚式をしてほしかった人。
強引に、挙式決行に持ってこられ、式場見学という煌びやかな世界の入り口に連れてこられたのである。
数ヶ所の式場見学をした後、こじんまりとした会場の式場で日取りを押さえた。注目を浴びたくない、というわたしの要望を受けて決めた式場だった。
決めてからというもの、日常に挙式準備というタスクが追加され、一気に慌ただしくなった。土曜日の仕事終わりに、急いで移動し、夜に式場との打ち合わせの日々である。
なお、その時住んでいた県の隣の県で挙式を行うことにしたため、高速道路を使っても、移動に1時間はかかった。
夜遅い打ち合わせの日は、義実家で寝かせてもらって、次の日に帰ることもあった。
これが、なかなかの労力と気力が必要とした要因だったのだが、仕方のないことだった。
ただでさえ、挙式モチベーションがあがらないわたしは、ひたすらに課題をこなしている感覚。
モチベーションが低すぎる新婦への対応に苦慮したのは、夫も、担当ウェディングプランナーさんもだっただろう。
とってもステキなプランナーさんと、式場だった。そのことは、間違いない。
なかなか気が乗らない新婦への対応にも、嫌な顔一つせず、応じてくれた。
もちろん相手も人だから、裏ではいろいろ言われていたかもしれないけれども。
少しでも、わたしの挙式ハードルを下げようと、担当のプランナーさんは、たくさん考えて、提案してくれた。
提案(一例)は、以下のようなもの。
披露宴での新郎新婦がいるステージの高さは、低めにしましょう。(参列者と同じような視線の高さになるようにするため)
アットホームな雰囲気にするために、お姫様感ではなく、森の中のカフェのような感じにしてはどうですか?
新婦さんは、手作りするのが好きみたいだから、席札も、ランチョンマットのようなデザインにした、クラフト紙を置いてみたらどうでしょう。
ウェルカムスペースに、コーヒーミルとか置いてみるのはどうか?コーヒー豆で、ハートを作ってみますよ!
きっと、こんなお花の感じが、お好みだと思いますよ!このくすみカラーとか、可愛くないですか?
それだけのお金をかけているわけで、よりステキな空間になるような提案や場の空気づくりをするのが仕事なのだろうけど、担当ウェディングプランナーさんに限らず、すべての方に、とても良くしていただいた。
ドレス決めも、前撮り用の和装決めも、直感で選ぶわたしは、そんなに時間がかからなかった。
当時、自分の顔や体格(つまり、自分の容姿)が好きじゃなかったけれど、選んだドレスは、とても気に入った。
ドレスだけでも気に入ったものを着させてあげようとしてくれて、やや予算オーバーしていたところ、目を瞑ってくれた夫には、感謝したものである。
和装にあうように、百均で買い揃えた造花で手作りしたフラワーボールと、扇子。
無論、前撮りのためだけに作った。近くで見ると、粗がありすぎだったけど、写真上では問題なくつかえ、彩りと自己満足を与えてくれた。
「こんな機会、一生に一回しかないんだから、せっかくだし、行っておいで」
お金を出してもらって行ったブライダルエステも、ネイルサロンも、ヘアメイクの打ち合わせも。
どれも、これまでには経験したことないものばかり。
それまでのわたしは、極端に言うと、「自分はお金をかけるに値しない」「煌びやかな世界とは縁がない」と、思い込んでいた。
半強制的に、お金をつぎ込まれ仕方なくこなしていたが、いつしか、自分の容姿を受け入れられるようになり、気持ちも変わってきたことに気がついた。
経験したことがないことを体験できることに、感謝するようになり、わずかな楽しみという芽が出始めていたのだった。
簡単にできるような経験ではないからこそ、その時そのときを大切にしたい。
わたしだからこそ、できること。
結婚式を終えた後、どんな気持ちになりたいだろう。
そのようなことを考えるようになっていた。
式を3ヶ月後に控えたある日のこと。
わたしから、夫に内緒で、担当のウェディングプランナーさんに連絡を取った。
「実は、披露宴で、新郎へのサプライズをしたいのです。」
奇しくも、式当日が、新郎の誕生日だった。
決して、狙いを定めて、その日にしたわけではない(•••と、わたしは思っている)。
他県から参列してくださる方が多いから、三連休の中日にしたかったこと。少しでも価格が安いシーズンにしたかったこと。できるだけ、良い日といわれる日にしたかったこと。
いろいろ考慮して選んだら、たまたまその日になったのだった。
せっかくその日に披露宴があるなら、ふだんはできないお祝いをしよう。
一人作戦会議をして、思いついたのは、式場全体を巻き込んでのお祝い余興だった。
突然誕生日関連のBGMを流す。
新郎の友人に協力してもらって、クラッカーを鳴らしてもらう。
この日のために作った誕生日アルバムを渡す。
夫に隠れ、休みの日を使っては、写真を印刷し、シールを使ってコラージュして、コソコソとアルバムを作成していた。
でも、アルバムは、わたしだけでは完成できない。
というか、それじゃ、この日にやる意味がない。
「参列者のみなさまに、待ち時間にメッセージを書いていただくという、協力していただいて、集まったメッセージは、式場スタッフさんにアルバムに貼ってもらいたいのです。」
これまで、自らの結婚式に対して、一切乗り気じゃなかったわたしから、突然担当プランナーさんに連絡をして、そんなわがままを言ってのけた。
プランナーさんは、「ぜひ、よろこんで!」と、それはもう快く受け入れてくれ、披露宴のタイムテーブルにこっそりと組み入れてくれた。
結婚披露宴名物(?)の友人からの余興は行わないことにしていたので、タイムテーブルには少しだけ余裕があった。
ひとりで外出しても不自然ではない、式前ラストのブライダルエステの日を選び、コソコソと式場に物を搬入した。
サプライズに向けて準備をする、この時に感じられるドキドキ感が、わたしは、たまらなく好きだ。
搬入を終え、ひと仕事やりきった気分になったのは、ここだけの話にしといてほしい。
当日へのカウントダウンは、始まっていた。
直前の年末年始は、全て、式に向けた準備にあてた。
ウェルカムスペースの飾りも、リングピローも、席札も、帰りに参列した方に渡すプレゼントにメッセージ。
作れるものは全部、心を込めて、手作りした。
不格好なものもあったけど、ご愛嬌ということで、大目に見ていただこう、と思っていた。
「もうあとは、風邪を引かずに、当日を迎えるだけ」
そう、わたしたちが結婚式の日取りとして選んだ季節は、冬。
インフルエンザにならないように、この年は、R-1に頼り切っていた。
東北地方ならではだが、当日、雪が降らないこと、参列者の方たちの足元が悪くないことを祈った。
前日の夜は雨が降った(夫の雨男パワーは、この日も健在)けれど、当日の天気予報は、晴れマーク。なんとか天気が持ちそうで、ほっと胸をなでおろし、眠りについた。
緊張で眠れないかな、と思っていたけれど、そんな心配もいらないくらい、普通に入眠していた。
明日のわたしが、笑顔で頑張ってくれる、と信じて。
いよいよ、当日の朝。
朝早い集合だったため、近くのビジネスホテルに泊まっていた。
雨男の新郎を横目に、なんとかもちそうな天気予報を見て、ほっと胸をなでおろした。
「ステキな日にしようね。頑張ろう。」
結婚式当日の朝、そんな約束をして、一緒に会場入りし、準備のために別れた。
着替えとメイクされている時間。
プロにメイクしてもらうことなんて、この先ないんだろうなあと思いながら、ボーッとしていた。
ドレスに袖を通す瞬間が、最もドキドキした。
お互いのヘアメイクを終えて、合流。
彼は、涙を浮かべていた。
―もらい泣きした。
新郎である夫は、一番気をもんでいたことだろう。
なんてったって、やる気のない新婦と、日常会話でさえ噛み噛みなのに、一世一代のスピーチを成功させなくていけないという、プレッシャーを抱えていたのだから。
挙式前に、写真撮影をした時点で、疲れていた。
「本番は、これからですよ」
式場スタッフさんに、笑われてしまった。
そして、挙式の時間になった。
式場スタッフさんの声掛けの後、扉が開いた。
一瞬で、あたたかな光と空気感に包まれた。
ベールを通して見る世界と、ベールを外された後の世界では、まるで見え方が違っていた。
人から見られるのが苦手なわたしは、その環境に慣れるまで、ベールがかけられていてくれて、とてもありがたかった。
正直、緊張しすぎて、自分がどう動いたのか、まるで覚えていない。
ただ、入場と退場の際に感じたあたたかな光と、祝福の拍手と声は、この先出逢えないような、そんな尊さがあった。
滞りなく終え、退場した時、とあることに気づく。
「え、先輩が来てくれてる?!」
ご家族の体調不良で、欠席するとお返事をもらっていた先輩が、わざわざ着物を着て、駆けつけてくれていた。
「披露宴前には帰っちゃうから、写真撮って!」
同僚にそう声をかけられて、応じた。
他県から、挙式へ参列するためだけに、わざわざお着物を着て、足を運んでくれた。
なんてこった。
ふだんのわたしなら、すぐにお礼とちょっとしたお菓子の差し入れをするのだけれども、そんな余裕なんて、あるわけがなかった。
そこまでしてくれるなんて…と、うれしさがこみ上げた。
感謝の気持ちが溢れたけれど、その時はこれっぽっちも伝えられなかった気がして、一度控室に下がった後も、引きずっていた。
わたしは、とても人に恵まれている。
やっぱり、今日という機会は、感謝を表すものだ。
新郎新婦だけでは、成り立たない。
結婚式って、そういうものなのかもしれない。
少しだけ、メイクを直して、披露宴へ。
そう、わたしが最も苦手としている時間の始まりである。
「始まれば、終わりが来る」
「いつまでも続かない」
わたしの頭の中では、これらの言葉が、繰り返されていた。
挙式で感じた尊さとは、違う。
今度は、とてつもない華やかさを感じた。
来てくださった方の間を通りながら、定位置へ向かう。
これまでの人生で、これほど多くの人に、一度に、わたしのことを迎え入れられた経験はあっただろうか。
多くの人が、今を祝福し、今後の幸せを願い、新郎新婦の登場を待ってくれていた。
本当は、一人ひとりへ感謝を伝えるために出向きたかったのだが、そんな私的な時間を取ることは許されず、定位置で待つしかないもどかしさ。
でも、あの日に見た、みなさんの姿は、忘れられないくらい、穏やかだった。
あたたかで、笑顔で、楽しそうに食事してくれて。
テーブルごとで、おしゃべりしていて。
ここは、なんてステキな場なんだろう。
この場の当事者のひとりになれて、よかった。
心から、そう思えた。
それなりに食事内容もこだわって選んだし、甘党夫婦として、スイーツも楽しんでほしいという思いから、スイーツビュッフェタイムも設けたから、楽しんでいただけるはず!と思ってはいたけれど、実際の光景は、とてもあたたかく、幸せそのものだった。
自分たちは食べられなくとも、みんなが楽しんでくれているのを見ただけで、満たされていくのを感じた。
お色直しして登場して。
ちょっとしたゲームタイムをして。
少し落ち着くかと思わせといて、突然のバースデーソング。
新婦presents サプライズバースデー企画 feat.新郎フレンズの始まり。
まさに、リハも練習もなしのぶっつけ本番。
しかも、渡すアルバムの完成形を、わたしは見ていない。
完成形を見ていないわたしが、あたかも「わたしが完成させましたよ」と言わんばかりに、新郎へアルバムを渡す。
クラッカーは、わたしが準備していたけど、友人に渡しきっても1個余ったらしく、義兄が参戦してくれてた。笑
意外に盛り上げてくれて、うれしかった。
実は、そういう注目されることが、好きな夫。
喜んでもらえたようでなにより。
サプライズは、本当にバレてなくて、大成功を収めることができて、わたしも満足だった。
アルバムも、「いつの間に??」って言われたけど、たぶん、式場スタッフさんが完ぺきに仕上げてくれて、問題なかったはず。
式場スタッフと彼の友人への圧倒的信頼のもと、成り立っている企画であった。
その後のプログラムもなんとか終えることができ、新郎新婦と両親が退場した後、その日1日をまとめたエンドロールが流れる。
わたしは、お呼ばれしていただいた時、このエンドロールの時間も好きで、一日に2度美味しい感覚で、感傷に浸ったものだ。
だけど、当事者になると、その映像は、その場で見ることができない。
代わりに行われたのは、担当プランナーさんとのクロージングだった。
まさに、それは、式場を決めてから、その時までの思い出をプレイバックする時間。
「○○○(RaM)さんが、だんだん案を出してくれるようになって。嫌だな、と思いながらも、何ができるかと前向きに考えるようになってくれたことが、とってもうれしかったです。」
担当プランナーさんの目に、光るものがあった。
その様子を見て、わたしもジーンときた。
この言葉を聞いて、「いや、どんだけ迷惑かけてるんだよ…」と過去の自分をぶったたきたくなった。
新婦がやる気なく、新郎の方がやる気があるパターンなんて、もしかしたら、そんなに多くないかもしれない(むしろ、我が家だけか)。
注目されたくない願望強めなわたしが、花嫁になるまでには、多くのハードルがあった。
怖かった。不安だった。
嫌だな…としか思っていなかったが、覚悟を決めて、花嫁になることを選んだ。
でも、いつしか、ハードルは飛び越えたようだった。
もちろん、軽々と飛び越えられたわけではない。
ただ、自分の身の置き方や、困難をクリアするための手段が、いろいろあるということに、気づいただけだった。
わたしが、目の前にある幸せを見ず、自分らしくない、自分の良さを活かしきれないこうありたいという姿になろうと願ってしまった、よくわからない幻想めいたものに向かおうとしていたこと。
これでは、ただ苦行でしかない。
こんな姿を見たところで、だれも幸福は感じられない。
そんなの、頑張って演じきったとしても、偽りのものだと見破られるに違いない。
わたしの願いは、
自分も含めてを、みんなが幸せであってほしい。
久しぶりの再会を楽しんでほしい。
日常の忙しさを少しでも忘れて、あたたかい空気感に、浸ってほしい。
わたしは、結婚式を通して、
家族に、友人に、新郎に、
挙式に協力してくれたすべての人に、
感謝を伝えたい。
これが、はっきりしてから、わたしの意識は変わった。
自分が出来ることに、素直でいよう。
等身大の自分に、できることをやろう。
自分が、自分に近づいた感覚を持てた。
思っていたような煌びやかさこそなかったかもしれない。
それで良かった。
いや、それが良いのだ。
これが、わたしにとっての結論だった。
プランナーさんからの話を聞きながら、会場内でのエンドロールが終わるまで、そんな思い出に浸っていた。
わたしだけでなく、今日この日に立ち会っていただいた方だけではなく、これまで出会ったすべての方のおかげで、今がある。
そんなすべてのみなさまのおかげで、花嫁としての1日を過ごすことができたのは、言うまでもない。
この日に巡り合ったものすべて、最終的に自分で、結婚式をやる意義•目標を見いだせたからこそ、見ることができた光景だった。
一時のものだけではなく、わたしの人生そのものにも、重要な意味をなす道のりだったのだ。
もちろん、わたしとは違って、花嫁👰への憧れを持っている女性も、いることだろう。
花嫁としていられる時間は、限られている。
その時間を迎えるにあたって過ごした時間こそ、儚く、美しいものであり、多くの女性の憧れとなっている所以なのかもしれないと感じた。
一方、いろいろな理由で、挙式をしないという方もいらっしゃるだろうし、挙式するにしても、パターンはいくつもある。
多様な現代だからこそ、暮らしていくのが難しい。
そして、幸せを感じる状況があってもなお、不安になることや困難のハードルが立ち塞がることもある。
なにか困難にぶつかった時。
逃げてもいいし、
正面から立ち向かったっていいし、
見えないものとして、やり過ごしたっていい。
この先、何十年経っても、わたしの心のなかで、花嫁として過ごした時間のわたしが生き続ける。
このわたしが、時には支えとなって、日常で困難があろうとも、必死に考え、心の声を探りながら、自分の中の正解や妥協点を求めて、生き続けていくのだろう。
いくつもの人生の経由点を通過する度に、出会った人への感謝をしながら、今日も、穏やかに暮らせることを願っている。
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