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『団地のふたり』とビーダーマイヤー様式

新刊の『また団地のふたり』を読んで、これは著者が鉱脈を見つけたと思った。前の『ジイ散歩』には主人公の偏見を読者に再考させる社会批判的な要素がにじんでいた。それが「毒」にも「持ち味」にもなっていたが、『団地のふたり』の続編にはふたりの関係がずっと続くのではないかと思わせる心地よさがある。

これは「ビーダーマイヤー様式」の一つの成果と言えるだろう。ミステリーでの言い方を踏まえて「コージー様式」と言ってもいいかもしれない。幅広く支持をうけるこの様式は、批評や学問的分析から冷笑され、無視されがちである。それでいながら、根強い人気を得ているのには理由があるはずだ。

小説のモデルとされ、ドラマの撮影現場となった滝山団地に住んだことがあり、団地をめぐる分析を何冊も出してきた原武史に『団地の空間政治学』がある。これは「団地のふたり」では語られなかった部分、あるいはドラマではにじませている部分をえぐっていて興味深い。


原は団地そして鉄道という関係から戦後の政治的な営みを読み解こうとする。別な形で、ドラマの吉田紀子脚本は、団地の建て替えと高齢化社会という要素を取り入れ、それなりに訴えるものがあった。     

ところが、小説の方は、ドラマの無いドラマとして読めてしまうことで、続くわけだ。物語発展ではなく、連続としてのシリーズである。四コマまんがが次の回では前のエピソードを引き継がないようなものだ。まさに「ビーダーマイヤー様式」である。凡庸な繰り返しの「軽文学」だとして、そこに眠っている問題をきちんと読み解かずに一笑に付すわけにはいかない。笑うものは笑われるのである。





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