小野俊太郎

『シェイクスピア劇の登場人物も、 みんな人間関係に悩んでいる 作品から学ぶ言葉の力』、…

小野俊太郎

『シェイクスピア劇の登場人物も、 みんな人間関係に悩んでいる 作品から学ぶ言葉の力』、『シェイクスピアの戦争 虚構と現実の格闘のなかで』(小鳥遊書房)。

最近の記事

『オセロ』のイアーゴとサンティアゴ・デ・コンポステーラ

テレビでやっていた「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」巡礼。compostelaは俗解では「星の荒野」だが、どうやら「埋葬地」らしい。 Santiagoは聖ヤコブ(James the Great)。Iagoはもちろん『オセロ』に登場する「悪人」。発表された1603年といえば、ジェイムズ一世が王位についた時期でもある。 当然ながら、この関係を巡る読解はすでにある。 Eric Griffin "Un-Sainting James: Or, Othello and the "

    • メソポタミアのビールを再現

      ノースカロライナ大学で教えるTate Pauletteが書いたメソポタミアのビールの本"In the Land of Ninkasi A History of Beer in Ancient Mesopotamia"。英語で書かれた包括的な本としては最初というのが惹句。 シカゴ大学を中心とした学者と五大湖周辺の醸造所グループの共同作業の成果のようだ。要するに、メソポタミアのビールを当時の条件で再現するというもの。 円筒印章に、長いストローからビールを飲む女性たちの姿が浮か

      • ハロルド・ブルームに学ぶ批評態度

        ハロルド・ブルームが述べた、先行者の"priority"を無化するための解釈戦略は、詩に関するものだが、詩を批評に置き換えても該当する。 ①「クリナーメン」 詩人が先行者からそれること。これがなければ、先行者を繰り返す。つまり、凡庸な反復にすぎない。あるいは先行研究や批評の呪縛の外には出られない。 ②「テッセラ」 先行者がし残した作業を自分で完成する。補完あるいは不備な点を繕う。だが、先行者の敵対者ではない。ただし、最後の完成者が裏切って次の段階に向かうこともあるだろう。

        • 「バーバー吉野」という出発点

          「ペンションメッツア」2021に森の人という役でもたいまさこが出ていた。メッツアとはフィンランド語で「森」の意味なので、荻上直子監督作品「かもめ食堂」2006を意識しているのは間違いない。「ペンションメッツア」の松本佳奈が、荻上の「めがね」2007のメーキングビデオの撮影から本格的に映画に携わったという意味でも、クロスしているわけだ。 荻上の出発点となったのが、もたいまさこが主演する「バーバー吉野」2003だろう。「吉野刈り」という髪型を町中の男の子が守らされている設定に、

        『オセロ』のイアーゴとサンティアゴ・デ・コンポステーラ

          「ペンションメッツア」と「チロルの秋」をつなぐ線

          「団地のふたり」に誘われて、小林聡美主演の「ペンションメッツア」2021を見た。松本佳奈作品としてもなかなか秀逸ではないだろうか。それに、こうしたタイプのドラマが意外と作られている事に気づいた。たとえば、市川実日子と中島渉の「A Table!」も似ている。市川は荻上直子作品で小林と共演もしていた。しかも、「ペンションメッツア」には、小林やもたいまさこが出てくるので、シチュエーション・コメディである「それでも猫が好き」が大元にあるのかもしれない。 テーブル(ときにはちゃぶ台)

          「ペンションメッツア」と「チロルの秋」をつなぐ線

          プロムスの最近の女性指揮者たち

          そもそも「女性」とか「男性」という冠をつける必要がどこまであるのかは疑問だが、女性指揮者が然るべき評価を受け、各地のオーケストラを率いている。イギリスの音楽イベント最大のものはPromsだろうが、その節目のイベントを女性指揮者たちが担当している。 去年のプロムスの"First Night"を指揮したのはフィンランドのDalia Stasevskaだった。シベリウスの「フィンランディア」やグリークのピアノ協奏曲などを演奏をした。「フィンランディア」は明らかに従来とは異なる面を

          プロムスの最近の女性指揮者たち

          イルカはスパイになれるのか?

          ノルウェーでは知られていたシロイルカの「ヴァルデミール」が死亡したという。ロシアのスパイイルカではないか、と思われていたというのだが、真相はわからない。ただ、最初の発見時に、サンクトペテルブルク製のハーネスを付けていたというので、天然のイルカではないと思われたのだ。 この記事ですぐに思い出すのが、1973年の『イルカの日』という映画のことだ。アメリカの大統領暗殺のためにイルカを訓練するという話だが、イルカの知性を利用するというのがポイントだが、監督は「ニュー・シネマ」を切り

          イルカはスパイになれるのか?

          氷に潰される船ーフリードリヒの「氷の海」

          崇高性の表現となると引き合いに出されるフリードリヒだが、有名な「雲海の上の旅人」と引けをとらないのが、「氷の海」だろう。圧倒的な氷の力に挟まれた帆船が描かれている。1823年の作品であり、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』1818年の外枠の話を考えると、極地探検家の行く末がこうだったかもしれないと想像できそうだ。 北西航路を探すのに出かけて消息不明となった有名なフランクリン探検隊は1845年に出発したもっと先の出来事だった。だが、カナダの氷に阻まれて、沈没したのだ

          氷に潰される船ーフリードリヒの「氷の海」

          モネの雪景色の「カササギ」

          暑いので、冬の絵を。モネの「カササギ」1868-9。明治維新のころの絵である。構図といい、雪に落ちる影といい、見事である。 美術史的には外光派のウジェーヌ・ブーダンに屋外で描くことを勧められて描くようになったとされる。むろん、チューブの絵の具やイーゼルの発明という補助道具があったせいである。カメラの時代になっていたが、色彩を伴う表現はまだできなかったわけだ。 ブーダンが描いた絵には海岸や帆船といったモチーフが多いので、雪のような景色をモネが描いたことはどう考えていたのだろ

          モネの雪景色の「カササギ」

          [フェルメールの周辺]楽器と小犬とメツーの絵画

          生前フェルメール以上に有名だったアムステルダム派のハブリエル・メツーだが、古楽器(もちろん当時は同時代楽器)を描いた絵を残している。絵画の小道具として楽器も重要だが、静物画のように単に置かれているのではなく、手に取ったり演奏したりする姿が書き込まれている。楽器の在りし日の姿をとどめているのはなんだか嬉しくなる。 若い女性がヴィオラ・ダ・ガンバを演奏している絵は、視線が別な方を向いていてちょっと奇妙な感じを与える。隣で犬がポーズをとっているのもおもしろい。演奏に身を入れている

          [フェルメールの周辺]楽器と小犬とメツーの絵画

          馬とジョン・フォード

          ジョン・フォードの『3悪人』1926が、クリスマス映画の『三人の名付親』1948の元ネタだと知っていたが、アイルランド移民を扱い、これほど問題点を含んだ豊穣な作品だとは思っていなかった。いきなり移民船から始まるのも意表を突くし、サイレント映画なので、ハモニカの演奏とともに唄われる歌詞には音符が散っている。『3悪人』が『アイアン・ホース』1924とともに重要なことがよくわかった。 それにしても、ここでもフォードは馬の捌き方は見事。マイブリッジを起点と考えれば、「映画とは馬であ

          馬とジョン・フォード

          チューリップとアブラムシ

          絵では見たことのあるこうしたチューリップの姿。どのようにかけ合わせたら生まれるのだろうと昔から不思議だったが、突然変異をウィルスが引き起こした成果だという。正確にはアブラムシによって媒介されるウィルスが原因だとか。こちらのサイトに説明があった。 18世紀のチューリップ・バブルを支えた「変種」だったが、1928年に科学者によってウィルスが発見されるまで、理由は不明だったようだ。 Wikipediaに"Tulip breaking virus"という項目があった。それによると

          チューリップとアブラムシ

          当時フェルメールより有名だったメツー

          どんな芸術家も、同時代の人気や評判が死後にも保たれるわけではない。生前は飛ぶ鳥を落とす勢いだったものが、パタリと消え失せることはよくあるし、興味深いことだが、死後になって名声がますます高まる人もいる。バッハやフェルメールなどもさしずめその一人で、今や世界的な名声を獲得しているが、かつて忘れされていた時代があったなど、信じられないほどだ。 デルフト派のフェルメールが生きていた時代、彼よりも評判が高かったのが、アムステルダムで活躍していたハブリエル・メツーである。なかでも有名な

          当時フェルメールより有名だったメツー

          料理のカルパッチョは画家のカルパッチョから

          なぜそうなったのかがよくわからない料理名であり、「諸説あり」の一例である。15から16世紀の画家カルパッチョに由来することは確かなようだが、画家が好んだからとも、その500年回顧展のときにネーミングが考案されたからだともされる。本来牛肉を利用するものが、魚などに対象を広げたのが、「カルパッチョ」の強みなのだろう。 残っているカルパッチョの絵は宗教画が大半で、むろん料理の描写などに乏しい。だが、時折面白い絵がある。「赤いベレー帽をかぶった名もなき男」など好例である。 これな

          料理のカルパッチョは画家のカルパッチョから

          文学研究から料理研究へ進んだ男

          料理評論家は、アメリカでも日本でも個性派が多いが、なかでも異色なのが、Harold McGee(ハロルド・マギー)だろう。イェール大学で有名なハロルド・ブルームのもとでキーツに関する博論を書いてから、food scienceを扱う著書の執筆者となった。玉村豊男が、フランスに言語学を研究しに行ったが、帰ってきたら料理評論家になったようなものか。 もともと物理学の教科書で有名なファインマンのいたカルテクで天文学(と言っても理論物理学のほう)に興味をもっていたらしい。ところが卒業

          文学研究から料理研究へ進んだ男

          「フィールド・オブ・ドリームス」とアメリカの神話

          "Field of Dreams"1989を久しぶりに見て、バート・ランカスターが演じた医者のエピソードなど、何か言及されている気がしていた。アイオワを舞台にした事も含めて、"One Foot in Heaven"1941がつながる気がする。天国への言及、父と子の相克、ここではメソジストの牧師の話だが。フレドリック・マーチが演じているのだから、バート・ランカスターを登場させても不思議ではない。 ”Field of Dreams"で、レイは作家のマンと会うためにアイオワからボ

          「フィールド・オブ・ドリームス」とアメリカの神話