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コロナ禍に生きる高齢者の心情を考える

九州の南の田舎に住む両親

もうコロナ禍のため1年半以上帰省をしていないが

母親とは定期的に電話では会話をしている。

そんな中、話す内容としては地元のコロナの状況、

近況などではある、たわいもない話だ。


もう両親は75歳になり、余生を過ごしている。

ただコロナで自由に孫とも会えず

好きな旅行や温泉にも行けず

なかなか理想の余生を謳歌しているとは言えないのでは

ないかと心配している。

田舎では相当、コロナ対策に気を使っているのが分かる

「東京から帰ってきた子供と、飲み会したら

クラスターが出たらしいよ」

「東京に出張した人が返ってきて、家族と

バーベキューをしたら

みんな感染しちゃったんだって」

そんなことを話していると東京の民は帰省する

ハードルが

だんだん高くなっているのを感じる。

両親も副反応を心配しながらも、

2回目の接種を実施した。

本当は、接種後の副反応で重篤になる人もいるので

ひやひやしていたのが本音である。

田舎なので感染リスクはかなり低い、それなのに

ほぼ周りの高齢者の人達もワクチンを接種したという

田舎では他の人と異なるということをする

国や県が進めることを信じる

という同調圧力が強いため

ワクチンを拒否するということは選択肢にない。

田舎の様相というのはそういう時に感じるものだ。

そして一人でも感染者が出た場合、すぐに

あのお宅で感染者出たみたいよというのが

伝わるらしい。

田舎のコミュニティは恐るべき、

伝達スピードが異様に速い、

スマホやSNSをあまり円滑に利用していない田舎でも

そのような噂はすぐに、広まる。

最近は外食も控え、立ち話もしなくなった

買い物は人が少ない

朝10前とか

そして、散歩も5時半に行っているらしい

人混みを避けるのに必死なのである。

今までのように旅行や外出が制限されているので

自身の運動不足を心配していた。


運動不足というのは高齢者にとって

大変深刻な問題なのである。


膝や足腰が弱ると、まさに一人で歩けなるということに

つながってくるし

それは介護が必要になる可能性が高い。


70歳を超えるころから

両親のどちらかが介護が必要になる

可能性を考えなければならない。


都会に住んでいる子供たちも、田舎の親が急に病気をし

介護がもし必要になった場合は

なくなく離職をする人もいる。

ただ、東京のほうにマンションなどを購入している

場合は

仕事をしながら、地元に一時的に帰るなど

なかなか難しい選択を迫られるものだ。

母親から

「お父さん、車購入したんよ、

もう最後かもしれないね」

そんな話があった。

田舎は車が必須である。

だが体力的にも父親の長距離運転は

厳しくなったようだ。


高齢者の心情としては、

コロナもそうだし、もし感染してしまったり

別の病気にかかってしまったりと

いつでも、もういつも亡くなるということを

考えて生きているのかもしれない。


コロナ禍を田舎の高齢者に、不便を強いられている


■ 好きな旅行にも行けない

■ 子供や孫にも会えない

■ コロナの収束時期が見えない

■ 長期的にこのコロナの状況続くように感じてる

■ もう終活を考えている


心情を考えるとコロナ禍は高齢者にとって

余生にやりたいことが出来ないという

これでもかと不都合な状況を強いられている


「ワクチン3回目打ちたくないし

早く治療薬できてくれないかな

すぐに家で飲めるような薬は欲しいよね」

ワクチンだけではコロナを抑えられないことを

高齢者でも気づいている

本当に有効な治療薬の開発が待たれる。


また政府の対応にも田舎の高齢者は

うんざりしているようだ。


多くの人が高齢の両親の生活を心配していると思う。


コロナはまた冬に大きな波を迎えると多くの専門家が

指摘している

多くの人のワクチンの効果を薄れてくるころだ

菅総理が次回の総裁選に出ないということを

発表してから

次の首相は誰がふさわしかという

自民党のお祭りが始まった

メディアもそれ一色だ


国民は冷静に見ているはずだ

「そんなのどうでもいい、うんざりだ

勝手にやってろ」

「全国で若者も高齢者もみんなコロナ禍で国民は苦しんでいる

コロナを終息させるために与党も野党もなく

政治家一丸となって、対策考えろ」

これが国民の本音である。









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