うまい話2~寿司「浪花」
タクシーの運転手さんが教えてくれた店の前にやってきた。白木にすりガラスの戸口から明かりが薄暗い路地に漏れている。白い木綿の暖簾を上げ店内に入った。時間が早いせいか他に客はいない。
「ラッシャイ!」 明るく清潔そうな店内に威勢のいい声が響く。なめらかな白木のカウンターに座った。艶のある黒いプレートに箸だけがセットされている。
和服の女性が洗い礫を入れたガラスの平手水鉢とおしぼりを静かに置いてくれた。プレートの向こうに置かれた封筒が示され、中のメニューを広げて見た。とりあえず雪・ 月・花のにぎりの内、まん中のを頼みビールをもらうことにした。五十前の健康そうな大将が早速テキパキと取り掛かる。
よく冷えたビールが細かい白泡とともに快い苦味と刺激を喉に通したところで大将が「どうぞ」と見事なウニを置いた。待ってましたとばかりに口に入れる。パリッとした海苔の感触に次いでシャリがほぐれ濃厚な味が口の中一杯に広がり、最後にウニ独特の磯の香が抜けていった。「うまいっ!」いきなりウニで始まるコースに驚きながらいやが上にも期待が増す。すかさず白身のにぎりが出 た。「フグです」とさりげない大将の言葉に歓声を上げつつ、まず目でしげしげと味わう。白く透明な白身の真ん中を七味の粉が少しオレンジ色に染め、ほのかにアサツキの小口切りの緑が透けて見える。口の中に入れるとザクッと潔い歯ごたえで白身がかみ切られ、ピリッとした刺激と淡白な深いうまみが快美感を生む。旬を過ぎ始めているものの、下関に来た甲斐があったというものだ。うまい寿司を食うと口の中で花が咲くように感じるとはよく言ったものだ。素晴らしい。
白木の台にイカ、トロ、エビ、と並ぶ。どんどん食べる。「おいしいねぇ」という声に満足そうな大将が笑顔で「この辺りは魚が良いから」と言う。網でなく一本釣りでとれるやつは岩場で良いものばかり食っているからうまいんだ、と蘊蓄を傾けながら鯛の松皮造りをにぎってくれた。皮の部分の上品な弾力が身上だ。淡白ながら魚の主席を占めるのもなるほどと頷いてしまう。続いて車エビ。青い燐光を僅かに放つ尾、半透明な身が新鮮さをアピールしている。たまらず口に入れると甘みがじんわ尾がりと広がり、贅沢さと至福感に嬉しくなってしまった。
締めは蒸しアナゴ。ツメの甘辛い味と濃厚で柔らかい身が強い印象を残し、鮨のコースを堪能した満足感を与えてくれた。最後にほのかに暖かいものを食べることでほっとするようなほのぼのとした気持ちが残ることがわかる。実に心憎いばかりの演出だ。
もうこうなったら止まらない。ワクワクしながら竹の皮のお品書きを物色し、〆サバ、さよりと矢継ぎ早に注文する。どれもうまい。なんと言っても極め付けは白魚。これは絶品だった。たおやかな姿そのままをシャリの上に幾筋か並べてにぎり、ごく細く切った海苔でまとめた腕の見事さ。一気にほおばるとわずかにユズらしい酸味と香気が立ち上品な味わいが消えてゆく…。これはもはや芸術品だ。
最後にとどめとばかりに巻寿司を詰め込む。様々な味が口の中でにぎやかに躍りほうれん草らしきもののザクッとした歯ごたえが楽しみを与えてくれ、まさに目を開かされた。
どれも腕の冴えが光る高貴かつしなやかに洗練された味である。心身ともに大満足。これほどの鮨は生まれてこのかた初めてだ。生きてて良かった。満たされてあがりをゆったりと飲む。大将はちょっと誇らしげにこちらの満たされた様子を見ている。
ガラッと戸が開いて二人連れの客が入って来た。そろそろ潮時だろう。勘定を済ませて外へ出た。ビールで火照った顔に夜風が心地よい。幸せに満ちた良い夜になった。
(1995/3/28)