やっと会えた。弥勒は十年前に初めて会った時と同じお姿でそこにおられた。広隆寺の境内にある霊宝殿の広間に入り参拝する人々の列に加わってゆっくりと弥勒に近づいていく。少し目を伏せ、あるかないかの微笑みを浮かべた頬に右手の指を近づけ、右足を半跏にして座っておられる。長い間の念願であった再会を遂に果たすことができたのだ。 静かに弥勒の前に立った。赤松を削ったノミの跡が焦げ茶色の表面に見えるほどの距離だ。じっと見ていると強い想いがこみ上げてくる。何と穏やかな、何と美しい神秘的なお
タクシーの運転手さんが教えてくれた店の前にやってきた。白木にすりガラスの戸口から明かりが薄暗い路地に漏れている。白い木綿の暖簾を上げ店内に入った。時間が早いせいか他に客はいない。 「ラッシャイ!」 明るく清潔そうな店内に威勢のいい声が響く。なめらかな白木のカウンターに座った。艶のある黒いプレートに箸だけがセットされている。 和服の女性が洗い礫を入れたガラスの平手水鉢とおしぼりを静かに置いてくれた。プレートの向こうに置かれた封筒が示され、中のメニューを広げて見た。とり
暖簾をくぐり土間を抜けるとあまり広くない煤けた店内で豊かな体格の女将がにこやかに迎えてくれた。まずビールと背ごし、塩焼きを頼む。カウンターの中の水槽が青く光り、中では二十匹以上の鮎が激しく泳いでいた。大将が毎晩高知に行って物部川などで釣ってくるとのこと。なかなかすくえず気性の激しさが伝わってくる。 大将が準備をしている間に自家製のウルカを貰った。箸ですくって口に入れると塩の粒がジャリジャリいい、かなり塩っぱい。ところが味を感じようとすると急に涙が滲んできた。うまいのだ。
台風が通り過ぎた後の街を抜け、手に吟醸酒を提げておなじみの鮎の店の暖簾をくぐる。大将と飲んで、と女将さんに酒瓶を渡した。以前持参した銘柄も仕入れてあると明るい笑顔で言われ、何となく嬉しい。 カウンターの中の水槽には産卵期を迎えた大きい型の鮎が多い。よく日に灼けた大将が出てきて今日釣り上げた一番の大物を披露してくれた。30cm近い。力に満ち堂々たるその姿に圧倒されたが、さすがに色もくすみがちで特有の香りが薄くなっており、季節の終わりを感じる。夏前なら水面で鮎がピシャッと跳ねた
11月に妻と中尊寺金色堂を訪ねた。平泉駅を降りて毛越寺を散策し中尊寺へ。何はともあれ金色堂だ。坂道を登り到着、列に続いて覆堂の中へ。 おお、これが。薄暗い堂内で照明に照らされた仏たちはみな金色に輝いていた。中央の須弥壇に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に地蔵菩薩が三体ずつ、最前列には持国天と増長天。林立する仏像のみならず柱や壁にも金や螺鈿などのきらびやかな細工が。 素晴らしい。救いを求める衆生のあまた祈りを九百年にわたり身に浴びてきた仏たちがそこにいた。 荘
<NAVIノートの広がり> 平成20年3月、これらの取組について東京で発表の機会に恵まれた。いくつかの学校から問い合わせがあり大いに興味を持っていただけた。 その中の一人が福岡の高校で進路指導主事をされていたS先生だった。私の提示したコンセプトをもとにS先生はさっそくセルフマネジメント習得のための手帳作りに取り組まれた。当初は私たちと同じNAVIノートを試されたが、後に業者と高校生用の手帳を共同開発をされたと伺った。それは一週間見開きバーチカルタイプの手帳で非常にコンパ
「多田です。作曲家の」そういって先生はいつも私にお電話を下さった。 初めて先生のお声を聞いたのは2003年、第一回全四国男声合唱フェスティバルの時だった。四国中の仲間を集めて巨大な富士山を舞台に現出させる夢がかなう、その思いを込めて私が書いたプログラム原稿について、とても気に入ったよ、とおっしゃっていただいたのだ。まさに天にも昇る心地だった。 男声合唱などまったく知らないまま大学のグリークラブに入団し知人の下宿の小さなラジカセで生まれて初めて「富士山」を耳にした。「麓には
どうしてスマホをいじっていると頭の動きが悪くなるのか、なぜ書写が効くのか、娘の勉強を見ていて分かった。 スマホやネットの情報は頭に溜めなくていいからだ。 頭の奥に蓄えておかなくても何度でも好きなように呼び出したり参照したりできるから。 頭の中で何らかの操作を行うためには、その対象を頭の中に置いて操作する。だから頭の中に溜めておく器が大きければ複雑な思考も可能になる。 でもスマホやネット依存になって自分の中に溜められる量が極端に減ってしまうと息の長い思考をする
<教職員の声> しかし、それ以上に活用率が上がらないのには、もっと大きな問題があった。使い方が分からない、ということだ。そしてそれは教員側の問題でもある。 平成19年の終わり頃からNAVIノートに対する疑義が強く唱えられるようになった。活用率が上がらないのに高い金を払って買う意味はあるのか、という批判である。 メモを取る習慣をつけさせるなら市販の薄いノートで十分じゃないか。なるほど確かにそうだ。確かに単にメモをとるのに使うだけなら高すぎる。 だがセルフマネジメント習得
怒りはなぜ起きるのでしょうか。 私は、怒りは自己防衛の感情だ考えています。 ちょっとした例を考えてみましょう。 一匹の犬が怒り狂って吠えまくっているのを想像してみてください。 その犬はどのような理由からそんなに吠えているのでしょうか。 犬は何かに向かって吠えていますよね。 近くを通った不審者?散歩中の他の犬?目に見えない何か? それは犬にとって攻撃すべき存在です。 自分にとって脅威であり自分を守りたいと思わせる存在なのです。 近所の飼い犬が聞き慣れた足音には
<オリジナルリフィル> 学校生活にフィットするよう、リフィルは本校独自のものを考案したり少しずつ改良したりして運用している。例えば高校では6時間の区切りが日常なのだが、学生用のマンスリーは市販品にはない。 最初は「超」整理手帳にならって見開き8週間で作ったのだが、一般にはカレンダー型がなじみやすいという要望から月曜始まりのカレンダー型にした。一日の枠を左右に分割し左側を8段(6コマの授業+放課後2段)に区切ってある。 活用を進めるために、各分掌とも連携し様々な取組を試み
聞いた話じゃによって確かなところは分からんが まことに恐ろしいことがあったげな 昨日の夕刻、ひょう六は婆を迎えに行き家に連れ帰った 兄の助けに月に一度は婆の世話をしておるのじゃ 婆は齢九十と一つ 杖を頼りに歩けるには歩けるがおつむりは年相応に呆けておる 婆を家に上げいつもの場所に座らせ、ひょう六が荷物を片付けておった時じゃ 急に婆が後ろで「これは苦いのう!」と声がしたのじゃ 振り返ったひょう六は肝が冷えた なんと婆は痒み止めの白い液薬を呑んでおったのじゃ
<就活NAVIノート> 他所にないなら自分で作るしかない。そう覚悟を決めかけていた折も折、学校に日本能率協会からカタログがDMで送られてきた。開いてみて「就活NAVIノート」という商品が目に焼き付いた。大学・短大の学生が就職活動をするための教材をA5サイズのシステム手帳に納めたものらしい。 https://pub.jmam.co.jp/book/b359455.html さっそく取り寄せてみた。バインダーは真っ黒の塩ビ、リングは金属製でしっかりしており、中には就活用の各種
<A5版システム手帳> いろいろとやってみたが私にはやはりシステム手帳がベストだ。しかしリフィルを切り出す作業はもうイヤ。さてどうするか。 そう考えていた時、ふらっと入った文房具屋でA5サイズのシステム手帳を発見した。折しも学校現場ではB判からA判へと規格が移行しつつあり、A4用紙の印刷が容易な環境となった。 A4を半切して6穴を開ければA5判のリフィルができるから、A5システム手帳を採用すれば校内で独自のリフィルが簡単・安価・大量に自作できる。そうかこれなら、と大きく
<ザウルス> それからしばらくして、私は使い慣れたシステム手帳から一旦、手を離すことになる。知人からザウルス(電子手帳)をいただいたのだ。自作ダイアリーをバイブルサイズに切り出すのに疲れていた私は、システム手帳を置き、電子手帳によるマネジメントにすべて移行することにした。 ザウルスはバイブルサイズのシステム手帳より小さく薄く軽く、携帯性に優れており、パソコンとの連携もとれ、様々に工夫されていることがよく分かった。いつでもどこでも思いついたことを気軽にしかもキレイな文字(活
<ToDoリストの思想> ToDoリストは単なる備忘録とはまったく意味が違う。ToDoリストは「いつ○○をする」という宣言(コミットメント)である。誰かに指示されて他律的に何かを為すのではなく、すべて自分で「やる」と決めて実行する。これこそがセルフマネジメントだ。 自分で期日を決めてその通りに実行する、自分でやると決めてその通り実行する、それを繰り返しトレーニングすることこそがToDoリストの威力だ。 「やらされる」から「やる」へ、「方法がないからできない」から「やると