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うまい話1~天然鮎「松月」

 暖簾をくぐり土間を抜けるとあまり広くない煤けた店内で豊かな体格の女将がにこやかに迎えてくれた。まずビールと背ごし、塩焼きを頼む。カウンターの中の水槽が青く光り、中では二十匹以上の鮎が激しく泳いでいた。大将が毎晩高知に行って物部川などで釣ってくるとのこと。なかなかすくえず気性の激しさが伝わってくる。

 大将が準備をしている間に自家製のウルカを貰った。箸ですくって口に入れると塩の粒がジャリジャリいい、かなり塩っぱい。ところが味を感じようとすると急に涙が滲んできた。うまいのだ。しかもそれを表現する言葉が出ない。過去に体験したどのうまさとも異なっている。おなじみの快美感はなく純粋な感動だけが残っている。

 隣で同僚が飲んでいた冷酒をもらうがイマイチだったので氷水をもらって食べることにする。うまいねぇと言うと女将がうれしそうに「これも」と言ってウルカミソと胡瓜を出してくれた。これもうま い。ただの赤味噌にしか感じないのに感動が残る。 不思議だ。たまらずご飯をもらう。

 女将が焼く前の生き鮎の香りを嗅がせてくれた。スイカのような胸のすく香りだ。生臭さは一切ない。陶然としていると、ほどなくして背ごしが出た。鮎のはらわたを取りのぞきぶつ切りにして氷にのせたものをポン酢で食べる。少し透明な身で皮が銀色に光っており、美しい。淡泊極まりないのにその底から大自然の力強さが沸き上がってくるようだ。背骨の歯ごたえが快い。小ぶりの鮎でないとこういう食べ方はできない、という話を聞きながらじっくり味わって食べる。

 次に塩焼きが出た。骨抜きの仕方を女将がレクチャーしてくれる。まず尾やヒレをむしっておき、身の前・中・後を裏表とも少し押さえてから頭を持って引っ張るときれいに抜ける。やってみると熱くてなかなかうまくいかないが何とか抜けた。骨にはらわたが残り、それから味わうことにする。口の中にわずかな苦みと、言葉にならない味わいが残る。次にスダチを絞って身を食べる。しっかりした皮と柔らかい自身の身が淡泊な上品さとともに歯と舌の間でほぐれる。これが天然の鮎なんだ。無心に食う。

 四万十川よりも吉野川の方が水質もよく鮎もおいしいと大将。なぜスダチを絞るのか尋ねると徳島でもポピュラーでありタデ酢は客の評判が悪かったから、と言う。香りが身上の天然鮎なのだからスダチなしの純粋な塩焼きはどうかなあ、と言うと少し考えて、じゃそれで食べてみますか、サービスするから、と新たに二匹焼いてくれた。うれしくって貪り食う。なるほど、肝はうまいが身はやはり淡泊すぎるため普通は物足りなく感じるのだろう、と思う。

 皿に残った骨をみて、随分キレイに食べましたね、と大将がうれしそうに言う。おいしいから、と笑って答えた。女将がシャモジに付いたウルカミソを、このまま洗うのも勿体ないからと差し出すので、ありがたく箸でこそぎ、皿に残ったものも残ったご飯を使ってきれいに拭って食べてしまった。

 満足。素晴らしい体験だった。
                         (1995/6/22)

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楽水
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