好きな理由は「野生」と「縁」を感じたから【胡蝶蘭その11】
思いがけず胡蝶蘭の水耕栽培をはじめた私。
根が成長し、花が咲いて枯れる、というサイクルを経て改めて思うのは、私は胡蝶蘭に「野生」を感じるということ。
そして「縁」が繋がったような気がするということ。
これが私が胡蝶蘭に惹かれている根本的な理由です。
対象となるものは、人でも場所でも生き物でもモノでも何でもかまいませんが、相手の内に「野生」や「原始的」と呼ばれるような何か…を発見してしまう。
何か、とは、複合的な意味での「生命力」だと感じていますが、そういうものが垣間見える瞬間が稀に訪れます。
ふとした時にその瞬間がやって来ると、「見ちゃった…!」という感じ。
私はこれが大好きです。
これは最初にnoteのプロフィールにも書きました。
きっと私の人生で最も大事なことのひとつです。
発見を求めて遠くへ行くのも良いと思います。
しかし、毎日の生活の中で思いがけずに出会ってしまうと、何故か無条件に、「生きてて良かった!」と思うのです。
それを胡蝶蘭のなかに感じてしまった。
特に植物を愛好している人でなければ、胡蝶蘭と聞いて思い浮かべるのは、店舗開店などのお祝いで並ぶあの姿でしょう。
同じ大きさに咲いた花が綺麗に針金で曲げられて整えられた姿。
私も長らくそうでした。
そしてそれを見て、華やぐな、とは思うけど、それ以上に何か思うことはありませんでした。
しかし、たまたま胡蝶蘭を育てることなった。
ふとしたことで水耕栽培の姿を見て、隠れていた根にすごい生命力を感じてしまった。
それをきっかけに胡蝶蘭と「目が合った」気がします。
そこから始まった、
「おまっ…?本当はそんなやつだったの!?」
「早く言ってよ…!…いや、何で今まで気づけなかったんだ…私の目は節穴か!!」
という驚きや感動や葛藤をつらつらと綴ってみたわけです。
気づけば10投稿も。
しかも、普段は社会に順応してる風なのに、実は野生でした…その上誰よりも妖艶です…とか…憧れの生き方なんですけど…。
もはや胡蝶蘭になりたいとすら思うんですが…。
こんなふうに思うのは、前に飼っていた、しなやかな黒猫以来かも。
その辺の人間よりもずっとシンパシーを感じてしまいます。
そして、集中して育てていく過程で、植物に対して何かが繋がるような感覚を覚えたのもはじめてのことでした。
私はこれを「縁」だと思っています。
これらの体験そのものが、何か原始的なものだと感じるのです。
アニミズムとかトーテミズムという考えは前々から好きでしたが、それに少し触れたような気さえする…。
しかも普通の日常のなかで偶然出会えたということが、なんか本当に嬉しいのです。
神様ありがとう…!
令和2年10月現在。
我が家の胡蝶蘭は、
水耕栽培が12株、素焼鉢+水苔が4株、陶器鉢+バークが4株、ガラス瓶+バークが2株、
合計22株の大所帯になりました!
胡蝶蘭以外の蘭も10株以上に増えました。
蘭にとりつかれてしまったのでしょう。
【胡蝶蘭その11】までは、はじめて胡蝶蘭がやってきてからこれまでの、約1年半の栽培記録です。
いや、偏愛記録です。
今後はリアルタイムで綴っていこうと思います。