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【短編小説】彼はピーターパン

                今秦 楽子


「からつゆ」なんてコトバ知らなかった。
けれどそのコトバがぴったりなほど、
暑い、カラッとした不思議な梅雨の日。

慎悟と出会ってしまった。





人との出会いは偶然という人も
いたりするけれど。

慎悟との出会いは
必然だと確信している。

慎悟はわたしに書かせるため
出会ってくれた。

書かせて発表させて、
今までと違う
夜空にいざなってくれる。

そんな彼は、本当に緑色の風体に
羽の生えた帽子をかぶっていたりする。

「大丈夫、手を伸ばして、波に乗ってごらん」

そんな信じるしかない世界を
知っている慎悟に
わたしは絶対的な思いを寄せている。

わたしたちはわたしの住む町から
750kmも離れた町に慎悟は住んでいて。

まじわることが希有なはずなのに、
ある日SNSで声を交わした。

男性にしては高い声の慎悟は
話しにキレがあって
オシャレなものいいをする。

話すテンポも好きだけど、
彼の書いた文章のテンポも大好きだ。

彼の文章にのめり込んでしまった
わたしの負け。

どうしても逢いたくて、
750kmを乗り越えて。
わたしが慎悟に逢いに行った。

「ここ、ちょっと見える?」

初対面なのに
わたしの顔を両手で挟んで
視線を固定した慎悟は
わたしをドキドキさせる。

もちろんその日の待ち合わせも
緑の風体に羽のついた緑の帽子が目印だった。


♢1


6月に入って
彼の元へと行くまで雨予想だった。
雲も分厚く博多からの高速バスの窓の外は
晴れる見込みが薄い鉛色の世界だった。

「長崎は今日もー雨だったーー」
を言いたかったわたしは
雨が降るだろうと思っていた。

バスが進むにつれて、
みるみる視界が良好になって。
本当にマジックだった。
慎悟はなんでも叶えてしまう。

その日から帰るまで「からつゆ」
という季節がぴったりきていた。
慎悟から教えてもらったコトバ。

「え、どこどこ?あ、黄色のスカートね。
ロックオンした」

「……いちいちきざやぁ」
小声で呟く。

ロックオンしてきた彼とハグをする。
少し小柄だったのは
空を飛ぶには丁度いい身の丈だから
かもしれない。

「海も近いんだよ、
あと夜景が綺麗な山もあったりね」

風光明媚な現在位置をとにかく
案内したいようだけれども、
わたしのお目当ては彼自身とその中身だった。

案内は半分聞いて軽く昼食を取って
少し観光地を歩いて。

そこにはオシャレなデートという文字
はなかった

入った店員のトークに
後から感想を言い合ったり、

何が並んでるか分かんない
骨董品屋の品でものボケしてみたり。

慎悟をもっと知りたかった。
わたしも知って欲しかった。

だから観光もそこそこに
慎悟の愛犬の待つ彼の部屋へ
早々からお邪魔したのだ。

♢2

ドアの向こう側から勢いよく
おかえりと鳴いていたのは
彼の愛犬、に見える妖精だった。

見ため、小型犬だけれど
ティンクと呼ばれる彼女は
空を飛ぶのに必要なアイテムを携えていた。
妖精だけれど人見知りしない彼女は
すりすりとわたしの足元にすり寄って、
小型犬っぽく愛嬌をたっぷり振りまいていた。


「ティンクがこんなになつくなんて
沙良ちゃんのこと脅威に思う」
不意に慎悟が口にしたこのセリフ。
やけに刺さった。

慎悟はお腹が空いたら食べたいものを食べ、
眠りたくなったら眠る。
仕事も自分の時間に仕上げて。
自由に時間を操っていた。

そんな自由な彼が「脅威に思う」  
そんな言葉を残すのはなぜなんだろう。
なにも知らないでいた。


♢3

わたしはその頃はムスメを養う
シングルマザーだったりして。
自分の事情を抱えていた。
ムスメに留守を預けて
慎悟のところへやって来たりしていた。

その頃、
仕事先から突然閉店をつげられた。
わたしは姉妹店への斡旋もお断りして。
一度、書くことに集中してみようと
仕事から離れてみた。

「思うように書いてみな」

そんな言葉に乗ってわたしは
慎悟から譲り受けたMacBookを操作する。
言葉が滝のようにスラスラと浮かんで。
パソコンの画面にコトバを打ち付けていた。

思った物語は最後には形になって、
出来上がったら冊子にして。
それを慎悟に渡す。
そんな関係が心地よかった。
ときどき750kmを越えて彼に
会いに行っては感想をもらっていた。

そんなある日、
わたしはムスメを失い一人になった。

「辛いときはいつでも俺のところに来な、
ウェルカムだから」

そう言ってくれる慎悟に甘えて
彼の元に居座ったりもした。
ただ一人になるとわたしは涙が止まらない日々
に祟られた。
そして何かをやり過ごしていた。

「悲しみを文字にするんだよ、文章にしな。
きっとそれは必ず帰ってくるから」

そう言ってくれる慎悟は優しくて強い存在
だった。

♢4

慎悟の愛は深い。
どれぐらい深いかというと深緑ぐらい深い。
彼のコトバはわたしを照らすたいまつで。

漱石が、I LOVE YOU. を、
『月が綺麗ですね』 
って訳した話を前に聞いていたけれど、
きれいな夜空の日にはわたしを連れ出して

「今夜は綺麗な月ですね」

なんて夜道でサラッと伝えてたり、
離れていても電話をかけてきて、

「沙良ちゃん、今、外の月、見れる? 
きれいんよ。おんなじ月を見てるからね」

とうっとりさせる。
詩の美しいアーティストのデータを
送ってくれたり、
配信動画を勧めてくれたり。
どれもセンスがよくてその時のわたしの心に
響く。


♢5

そんな愛の中でわたしは一つの小説を
書き上げた。

「基本、人の作品は読まないんだ、
沙羅ちゃんだけだよ」

と言って空いた時間に目を通してくれた。
読み終えた慎悟は鼻水をたらしながら、

「よく書いたね」 と一言くれた。

「このあとどうするの? 書いたんだから
出版社に持ち込みなよ、そうするべきだ」

「そんな、簡単にいうけれどどうやって
持ち込むかよくわかってないよ」

「とにかく出すんだよ」

言われるままにネットで調べた「出版説明会」
というものに応募してみた。
それはいわゆる自費出版を扱う出版社の
主催だった。

「なんかね、原稿を丁寧に扱ってもらって、
拝見させてもらっていいですか。って。
読んでいくうちに無言になって。

沙良さんも娘さんも今生きてるって
素晴らしいんですよって。
他の会社に応募してもいいんです。
って言ってもらえた」

「すごいやん。
沙良ちゃんちゃんと読んでもらえて
すごいやん!」

慎悟も一緒になって喜んでくれた。
後日その書評を添えた書類が届く。
一緒に書評を眺める。
慎悟の瞳からポタポタと涙が流れる音がした。


♢6

それから750kmの距離に身を置いて、
夏になって出版を契約する運びになった。
慎悟と出会って一年のこと。

文章を書くことなんて、
物語を書くことなんて、
それを発表することなんて
全く思っていなかった。

慎悟の言葉にしたがってきた結果だけれど、
文章をおこすことで自分が癒やされる。
文章で自分を慰める。
寂しさから救われるということ。

慎悟が教えてくれた書き方だった。
彼も前向きに暮らすために取る手段。

慎悟と出会ったあの日、わたしにこぼした
一言。
「脅威に思う」 という言葉。
わたしに会うまでひとりで文章と向き合っていた慎悟は
寂しさと戦ってきたのかもしれない。
今になって思い返す。
慎悟なりに孤独と対面していたのだ。


♢7

悲しみを起こした文字は、読む側に悲しみを
運ぶ。わたしの書き上げた物語はいつまでも
悲しく儚かった。

荒れた文章にひとつひとつ優しさを込める作業
を行う。こうして最後まで修正を続けた。
愛の文章となって編集作業へと流れていった。
わたしはこの悲しみの作業で、
うなだれていた感情を一掃した。

「この世の中、悲しいことは引き受けて
いいんだ。すべての悲しみを。
けれどそれだけではないんだよ、
そうすることで沙良ちゃんの中から
美しいものが育つから。信じて」

泣きながら悲しみを一掃していたわたしに
慎悟からの言葉は合点のいくチカラが
込められていた。魔法の言葉。

何度もティンクと空にいざなってくれる慎悟。
山々にちりばめられた小箱は光りを放ち、
まるで宝石箱をひっくり返したような景色は
わたしを魅せる。

「これでいいんだよ、このまま、このまま」

「いいの?」

「いいの、沙良ちゃんは自由だから」

感じるままに、慎悟の言葉を受け止めて
わたしはリラックスしていた。

♢8


慎悟の家へ出入りするようになって
しばらくして、ふたりはひとつの居を構えた。
私が750km超えてやって来たのだ。
在宅で活動するわたしたち。
ふたり暮らしにしては広めのフロアーは
ティンクがかけるに十分だった。

「今日はわたしだね、夕飯」

「ちょっと会議が入ってるから
お願いできるとうれしい」

「じゃ、買い物いってくるね」

山を背に歩道を歩く。
長崎の空は晴れ渡ると永遠に続く青の世界。
恐ろしさすら感じる開けた空が
わたしを迎える。

何もかも吸い込まれていく心地で
歩をすすめる。

この土地は斜面に張りついた木々の青さ、
土の匂い、雨上がりには霧に包まれて
神秘的な佇まいを魅せる。
いつも歩くたびこの土地に感謝する。

「ただいま、支度にかかるね、
出来たら呼ぶよ」

「ありがと」

買って来たものを並べながら、
冷蔵庫に片付けるもの、
今日使う食材を分けていると
インターホンが鳴った。
出版社から刷り立ての単行本が届いた。

♢9

段ボールいっぱいに
ぎっちり詰まった新書たち、
今にも溢れんばかりに。

「慎吾さん、刷りたてホヤホヤやよ、
来たきた」

「えー、来た? 一冊、俺買うよ」

「はい! 毎度あり」

食事の準備のあいだ、
リビングで読みふけっている慎悟を見守り
ながら野菜の皮をむいて。
ときどきティンクの鳴き声だけが
空を斬っていた。

慎悟の向こう側のバルコニーには斜陽が射し
茜色が滲んでいる。
少し経って彩りが並んだ大皿をテーブルに
運ぶ。

「ご飯にする? もう少し待とうか?」

「あ、ありがとう。食べるよ」

ご飯と味噌汁をよそって慎悟とテーブルに
つく。

慎悟は書籍は作品という形になるからいいね、といい
肉汁たっぷりの甘酢団子を頬張った。
わたしも同じく小皿に団子を移しながら、
これムスメに送ろうかと思うの、
なんて提案してみた。
もう会えなくなって久しいムスメに今更何で?
なんて思いながら。


♢10

わたしの書いた物語は、
わたしと子どもとの今までが描かれている。
ノンフィクションと銘打っていないが、
事実を基にしたフィクションという程を
とっている。わたしが子どもを失った時、
そう、児童相談所が介入したところの話まで。

わたしは本当の愛を知らずこの10何年、
親子をやってきたのかも知れない。
ムスメを失って、慎悟に守られてはじめて、
親子とは、愛とは、を考えさせられた。
考えざるを得なかった。
わたしが子供に抱く愛、それは信愛に尽きる。

「わたしの子どもだからもう大丈夫」 

それはわたしがムスメに向ける愛でしかない。

仮にムスメがこの本を手にした時、
どんな感情を抱くのか。
思い出したくないストーリーなのかも
知れないし、
母が自らの弱さに誠心誠意向き合いながら、
ひとことひとことを紡いだ事に理解を
しめすのかも知れない。

もう会えないムスメに届けたい。そう、
わたしの子どもなのだから信じるしかないと。
心に願った。

♢11


「送ってみたらいいじゃん。
沙良ちゃんの子どもだよ。
いいように受け取ってくれるよ。俺も本、
読んだけれど、沙良ちゃんの愛のコトバ、
ムスメちゃんに届くよ、きっと」

新書と茶封筒をにらめっこしていると
慎悟が口をついてこんな言葉を並べた。

「よし、そうだね、送ってみる」 

ダイニングに茶封筒と新書、便箋を用意して。
茶封筒にムスメの住む町の宛名をすべらせる。
封筒いっぱいに整った文体を眺めながら、
それに新書と手紙を詰め込んだ。
テープで封をして
胸の中の空気いっぱい吐き出した。

その夜も星空たちは瞬いていてわたしたちを
見守る。
宝石箱をひっくり返したような坂の家々に
灯る明かりも揺らめいていて。
慎悟はティンクを連れてわたしに手を
差し出す。

「ほら、行ってみよう。大丈夫だから」

今夜も慎悟のいざなう夜空に身をよせて
大丈夫、大丈夫、と唱える。
なぜなら、それは必ず叶うのだから。


ママへ

「ことり合戦」 届きました。
わたしが生まれてたくさんの苦難があったのだと、
今だからわかります。
わたしは今、幸せだと言えます。
けれど昔も幸せだったと言えます。
ママの子でよかった。
体に気をつけて暮らしてください。


                沙都


数週間してこんな書簡が届いた。
慎悟と涙を流しながら読んだ。
そんな夜も慎悟は緑の風体で
わたしを包み込んだ。                              

                 (了



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