ある女子高の国語教師の落語がエモかった話。
『エモい』
なんて言葉を使う年代ではないのだが敢えて使ってみようと思うのは、その言葉が似合う世代のとある先生の話だからだ。
某女子高の国語教師が“新作落語”を披露している動画を観る機会があった。
年の頃なら、27、8、30デコボコ・・・とまでいかない20代半ばの可愛らしい男性教師である。
ゆるーくて、おだやかーな口調でやさしそうな雰囲気の彼はきっと生徒たちからも人気なのだろう。
まあウワサによると、いかにも女子高の男性教師らしく、たくましい女生徒たちから弄られて“愛”と称された洗礼を浴びているらしい。
女子高あるあるだ。
この先生は『天然かわい子キャラ』を前面に押し出しておきながら、きっと本当は生徒たちからのウケも、その保護者のママたちからのウケも良いことをよくよくわかっているんだろうなと思う。
クスっ♪
そこも含めて、なんだか可愛らしいなと思う。
この学校では、他に“キラキラ女子”の延長線上で“こじらせ女子”を発症してしまったであろう『The 女帝』と言わんばかりのアラフィフ先生が、やはり国語科の教師として君臨している。
相手が若くて美人な女性教師ならば、細かいことを持ち出して、とことん詰めて容赦しないようなわかりやすいタイプとお見受けする。
たぶん気に入らない相手には狂犬並みに噛みついてしまうから、『天然かわい子先生』としかタッグを組ませられないのだと思う。だから、ふたりで一緒によく授業をしている。
「もおう、やめてくださいよおう~☆」
と、可愛いげのある若い男子を困らせたいだけで、授業中にムダにいらんちょっかいを出して弄るお姉様。
健全な教育の場にあらまほしからずな構図だが、外野の第三者として眺めているぶんにはいとおかし、だ。
さて、この『天然かわい子先生』がとある日の古典の授業のおしまいに演ったとおぼしき落語が実にエモーショナルだった。
演目は『正直の徳』をアレンジしたもの。
『正直の徳』とは、鎌倉時代の僧侶・無住道暁が編纂した『沙石集』という説話集に入っているはなしのひとつだ。
大体のあらましは以下の通り。
だいぶ噛み砕いているので、詳細を知りたい人はGoogle先生にお尋ねください。知っている人は割愛してください♪
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ある男Aが6枚の銀貨が入った袋を拾った。
無くした銀貨が見つかって喜んだBは、半分の3枚の銀貨をAにお礼で渡そうとした。
が。ちょっぴり惜しくなってきたBは、
「この袋に銀貨7枚入ってたんだけど1枚足りないのよ。知らない?」
とAに言いがかりをつける。
もちろんAとの間で揉めることとなり、事は大きくなって、国主の裁きを受けることに。
この国主は審美眼の持ち主で、
Aは正直、Bは嘘つき
と見抜く。
ここで国主はこう言った。
「証拠がないから判断が難しい。でも、A、Bともに正直者と見受けられる。
『銀貨は始めから6枚だった』というAの主張も
『銀貨は始めは7枚だった』というBの主張もどちらも正しいと思う。
だから・・・
この袋には銀貨が6枚しか入っていないのだから、Bの探しているものではない。
Bは“銀貨が7枚入った袋”が見つかるまで探すと良い」
そして、6枚の銀貨をすべてAにくれたとさ。
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とまぁ、このいかにも落語らしい噺を『かわい子先生』が演ったのだ。上手いとは言えないにしても、素人ながら味のある高座であった。
やはり、口調も声も独特でかわいいから、なんとなく人の気をひく。
一生懸命元ネタから新作落語につくりかえたんだろうなぁ。
コロナ禍でかなり練習したんだろうなぁ。
若くして落語大好きなんだろうなぁ。
わざわざ着物姿で決め込み、手拭いまで使って演る姿に熱い想いを感じることができて、とても好感を持てた。
さらに、「ニンテンドーSwitch、欲しいな。ゴンチャのタピオカ飲みたいな」という女子高生にわかりやすく響くワードを噺に織り込んでいたのも良かった。
頼まれてもいない落語を演ったのは、先生自身が落語好きで“演りたくて演った”という理由が大きいと思う。
そう思えるほどの熱演ぶりだった。
が、それ以上に、
古文が苦手な生徒にもわかりやすく伝えたいし、興味を持ってくれたらなという計らいがあるのだと思う。
そして、『沙石集』は“仏教”の説話集なので、道徳的な教訓めいた話を子供たちに聴かせることで、何かしらの気付きを促したかったんだろうな。仏教における『十悪』についても授業内で触れていたしね。
こうゆう“落語手当て”なんて発生しないところで、
『先生自身の好きなこと×生徒の学習に役立ちそうなこと』
に一生懸命になれる大人って素敵だと思う。
教えてる方も教わっている方も楽しいと思えるwin-win な状況は教育現場には必要不可欠だ。
あ、でも。
盲点だったけど・・・
単に若い世代に『落語ファン』を増やす狙いだったのかっ?
“可愛くて知的なボク”を演出したかっただけなのかっ!?笑
だって、この『かわい子先生』、前述の『The 女帝』に弄られておきながら、自らその役を買って出て
“弄られてあげてる”
ができちゃう処世術の持ち主。
“そういうフリ”ができちゃうタイプ。
でも『The 女帝』はもちろんのようにそれに気付いていないし、人生経験の浅い学生の中で気付いている子もほとんどいないと思う。
サラリーマンやOLさんの中にもよくいるけども、とりわけ落語家のなかには『弄られてあげてる』が得意な人って多いよなぁと思う。笑
そういう“人たらし”が大体どの業界でも出世しやすい。
『かわい子先生』が“そういうフリ”で落語をしてみせたとは思わないけど、たとえ“そういうフリ”だったとしても、将来有望な、教育現場に必要な逸材であることに間違いない。
落語を含めた、この先生の在り方が実にエモかった☆
・・・ところで、『三方一両損』と『井戸の茶碗』以外で、この『正直の徳』が元ネタになっていそうな落語演目ってあるのだろうか。
知っている落語ファンの方がいらしたら、ぜひ教えてください♪
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