『遠足のしおり』
「9:00am 上野 寛永寺を見学」
幼い手書きの文字で、そう書かれた四折りの紙を片手に、池袋から外回りの山手線に飛び乗る。
いかにも子供の“お手製”といわんばかりの、この『遠足のしおり』は、小学生のわたしが病院のベッドの上で、妄想と憧れに委せて書き溜めていたもののうちの1枚だった。
1週間前。
「君のことはキライじゃないけど・・・」
10年来の彼から、まさかの“恋の戦力外通告”を受けた。
晴天の霹靂、だなんて言葉を今まで使ったことはないし、むしろいつ使うんだと思っていたけれど・・・
脳みそにガツンと響き
心臓がぶるんと揺れ
腰がくだけ
膝から崩れ落ちる
こんなときに使うのが一番適切な表現なのだと、自分の身をもって知った31歳の誕生日だった。
そんなわけで、ふたりで暮らした部屋で荷物をまとめているときに、思い出したようにふと見つけたのが、この『遠足のしおり』だ。
焼けて黄ばんだ紙と滲んだサインペンの文字が、時の経過を感じさせる。
あの頃わたしは病弱で、繰り返す入退院の日々のなか、小学校に通った記憶がほとんどない。もちろんのこと、遠足だの運動会だの行事らしい行事には参加できなかった。
唯一参加できた学校イベントといえば、四年生の『おたのしみ会』で開催された、外から噺家さんを呼んでの落語会だけだった。
初めての落語。
噺家さんがお蕎麦をすする仕草は、本当においしそうに食べるので自分のおなかも鳴りそうだったし、煙草をのむ仕草は、煙管の先から本物の煙が立ち昇っているかのように見えて、巧みな技術に驚いた。
これがきっかけで、幼いわたしの趣味のひとつに落語が色濃く加わった。
どこにも行けないわたしにとって落語は、目を閉じて耳を澄ますだけで、物理的な距離も時間的な幅も一瞬にして超えられ、自分以外の何者にもなれる魔法の呪文みたいだった。
擦りきれるほどに繰り返し聴いたお気に入りの噺家さんのカセットテープは、妄想旅行に誘ってくれる大切なパスポートだった。
≪今年の遠足はみんなでディズニーランドに行きました!楽しかったね!≫
同級生がどこに遠足に行ったかは、後から配られる学級通信で知る。
“みんなで”
そんな学級通信の無邪気な見出しに、もやもやした感情を抱かずにはいられなかったわたしは、『“自分だけの”遠足のしおり』をつくることに夢中になった。
“みんなで”
に加われない自分は、
“自分だけの”
をつくるしかなかったのだ。
白い病室の、白いベッドの、白い白いテーブルの上で、わたしはたくさんの『遠足のしおり』を書いた。
白い空間は、わたしだけの白いキャンバスで、それは無限に果てしなく続くカラフルな世界への入り口でもあった。
親戚の海外土産で知った外国
天体図鑑でみた宇宙
テレビで観た人気のアイスクリーム屋さん
おたのしみ会で聴いた自然対数乃亭吟遊という噺家さんの落語
白い世界の外にあるものはすべてが眩しく輝きを放ち、わたしの内を満たす未知への憧憬とが相まって、ピンクの砂糖菓子とキラキラのプラスチックが熔けて混ざりあってつくられた夢の世界そのものだった。
その夢の世界はタイムスケジュールを伴って、いくつもの『遠足のしおり』に反映されていった。
その頃につくった『遠足のしおり』のひとつを片手に、大人になったわたしは今、上野の寛永寺に向かっている。
9:00 上野 寛永寺を見学
11:00 不忍池 のまわりで お弁当
12:30 鈴本演芸場で寄席をみる(自然対数乃亭吟遊さんのをきく)
15:00 新宿高野フルーツパーラーでパフェを食べる
16:00 スタジオアルタで、タモリさんと井上陽水のテレフォンショッピングをみる
17:00 末廣亭で落語をきく
やはり外の世界を知らない小学生がたてる計画だ。箱入りの病弱な子供が、自分の「好き!」だけを集めて思い付きのまま組み立てているタイムテーブルには内容的に無理がある。
「吟遊さんは、大人の諸事情で鈴本には出ないよー」
「しかも、鈴本や末廣亭の寄席って12:00~16:30くらいで1タームなんだよー」
「“テレフォンショッピング”は“通販”だよー。タモリも陽水もアルタには売ってないよー」
「・・・ていうか、『いいとも』もうやってないよー」
改めて読んでみると突っ込みどころ満載でおもしろいし、我ながらかわいいなぁと思うところもある。
子供って本当にまっすぐなんだなぁ。
・・・なんてボヤいてしまうだけ、わたしは、いつの間にか斜めからものをみるような大人になってしまったんだろうな。
「あんたのママね。寛永寺で御百度参りしたらしいわよ。愛されてるね。」
当時、見舞いに来てくれた叔母が、そっとわたしの髪を撫でながら呟いたことがある。
毎日わたしの病室に通い詰めだった母に本当に御百度参りをするだけの余裕があったのかわからないけれど、今もう入院とは無縁の生活をおくれているということは、母の献身的な愛情がご利益につながったのかもしれない。
そんなありがたい母の愛は独り占めのように獲得できたけれど、10年連れ添った男の愛は最後の最後で手に入れられなかった。
学生時代から付き合っていた同い年の彼が、海外赴任になったのは29歳のとき。
1年で戻ってくる予定が2年に長引き、戻ったら一緒になろうと言われ続けて、この有り様だ。
しかも、相手の女は10も歳上の、結婚式場で働く美容師らしい。
毎日人様のシアワセを願いながら髪を結う仕事をしている傍らで、人様のシアワセを壊しながら男を奪うような女の気持ちは、わたしには解らない。
ましてや、そんな女を選ぶ男の気持ちは、もっと解らないし、解りたくもない。
淋しくないと言ったら、嘘になる。
傷ついてないと言ったら、ますます嘘になる。
が。
10年という長い年月が湧き上がらせた憤怒のほうが勝っているぶん、わたしはまだ強く逞しく前を向いて歩いて行けるような気がする。
“不忍池で食べるためのお弁当”はつくってこなかった。
だから、今日は初めての伊豆栄で鰻を食べるつもりだ。不忍池のほとりにある伊豆栄。前から行きたくて楽しみにしていた。ボーナスが出たら行こうと決めていた。
わたしは料理が得意ではない。
“詰めるだけ”だと言われても、お弁当づくりには難儀する。
きっと彼からしたら、こういうところも、わたしを選べない理由のひとつだったんだろうな。
結局、彼の大切なコレクションであるバカラのグラスをワザと割ったことが別れの決定打になった。
他の女の影を感じた胸騒ぎが、グラスを持つわたしの手元を狂わせた。
子供染みていると思いながらも、わたしの手元の怪我と割れたグラスとのどちらを心配するのか確かめてみたかった。
自分でも呆れるくらい“めんどくさい女”である。
もはや、こんなことでしか彼の気持ちを確めることが出来ず、彼の気持ちを繋ぎ止めておく術も持たないのだから、その時点でわたしたちはとっくに終わっていたのだ。
なぜ、そんなことに気付かなったんだろう。
いや、気付いていたけど、気付きたくなかったのだろう。
山手線が上野駅に滑り込む。
到着した駅のホームでGoogleマップをひらいて気付いた。寛永寺には上野駅からよりも、となりの鴬谷駅からのほうが近かった。
今日は快晴。絶好の散歩日和だ。
遠回りの散歩だって悪くない。いや、むしろ好都合かもしれない。
きっとこのお日さまを浴びて歩いてゆけば、わたしにまとわりついた泥々とした黒いものを溶かして流してくれるような気がする。
改めて『遠足のしおり』に目を落とす。
あの頃は“今”を生きることだけに必死だったから、夢や希望を紡ぐだけで精一杯な『遠足のしおり』だったけれど、
まさか
「過去の旅を、未来でたどる」
そんなことができる、『“時空を超えた”遠足のしおり』になるとは思わなかった。
いつか白い世界の外を、自分の足で自由に歩きまわれるようになるなんて、あの頃のあの子は微塵も思っていなかった。
ところが、人並みに仕事をして、人並みに恋もできた。
それが“人並み”なことではなく、どんなに“特別”なことか、あの子とわたしは知っている。
わたしが今、あの子が行きたかった遠足に行くことで、あの子の思いを少しでも叶えて晴らしてあげられると思っていた。けれど、逆だった。
小さくて弱々しかった子供のあの子が、大きく強くなったはずの大人のわたしを包んで励ましてくれている。
今日は泣かないと決めていた。
でも。
たくさんのお客さんで賑わう寄席の客席で、はじける笑い声たちに紛れて小さく肩を震わせて少しだけ泣いた。
思いがけず聴いた演目は『景清』と『崇徳院』。
「あぁ。江戸の清水さまは、病だけでなく縁結びのご利益もあったんだっけ」
嬉しいのと哀しいのとが混ざって、名前の見当たらない複雑な気持ちが涙に変わって流れていった。
今日の演目が『厩火事』でなかったことにちょっとほっとしている。
なんとなく、幸先が良い気がする。
「ママ、これなあに?」
部屋で陽水を聴いていたわたしの元へ、娘が、どこからか引っ張り出してきたわたしの日記帳を持ってやって来た。
「中にね、こんなのが挟まってたの」
「もう、勝手に見たらダメじゃない」
娘の手にはサインペンの文字が滲む焼けて黄ばんだ四折の紙と、1枚のカード。
「このカード、文字しか書いてないよ?」
「それね。百人一首の下の句の札なの。昔パパが海外に行く前にくれたんだけど、しおりがわりに使ってたんだ」
「ふーん。こっちの紙はずいぶんボロボロだね?・・・『遠足のしおり』?」
あの『遠足のしおり』がこんなにも長い旅に活用されたと思えば、きっと“あの子”も満足していることだろう。
ここまで随分と長い長い旅だった。
あの頃のわたしは、見つけにくい探し物を、カバンの中や机の中をあちこち探して見つけられずにもがいていたけれど、今はふわりと踊りながら夢の中にいるのかもしれない。
それでもまだ、きっとここが終着地ではない。
今日も快晴。絶好の散歩日和だ。
=END=
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【注釈】
寛永寺・・・落語演目に頻出するお寺。上方落語で清水寺が登場する演目を江戸で演る場合、清水寺を寛永寺に換えられることが多い。(落語で寛永寺といえば“寛永寺・清水観音堂”のことだが、ここでは主人公が鶯谷駅付近の“寛永寺・根本中堂”と勘違いしている設定)
自然対数乃亭吟遊・・・noteでよくして下さっている“数理落語家”の人。博識でユーモア溢れる執筆作品がわたしのハートを掴んで離さない。
不忍池(しのばずのいけ)・・・言わずとしれた上野恩賜公園内にある蓮で有名な天然池。池の真ん中に寛永寺・弁天堂が浮かんでいます。
伊豆榮・・・忍ばずの池のほとりにある、老舗の鰻屋さん。慶事法事に利用できるくらい格式のあるお店。
鈴本演芸場・・・The 落語の聖地。不忍池のほとりにある、正統派本格落語を堪能できる寄席。職人のアツい魂を垣間みれる。
スタジオアルタ・・・1982年~2014年まで、お昼のご長寿バラエティ番組『笑っていいとも』が生放送されていた。現在もテナントビルのショッピングモールとして営業中。“スタジオ・オルタナティブ”が語源。
新宿末廣亭・・・新宿三丁目にひっそりと堂々と佇む歴史的建造物である寄席。深夜寄席なども開催されいてフラっと気軽に落語を堪能できる。
新宿高野フルーツパーラー・・・新宿に本店を構える老舗高級フルーツ店が経営するパーラー。新宿でパフェを食べるならきっとココ!と言いたいところだけれども、穴場パフェはまだまだあるので知りたい方にはこっそりお教えします。
景清・・・上方落語の演目。目の見えない主人公が願掛けで御百度参りをする噺。さや香が聴いたとある噺家さんの景清はネット上に落ちている台本と異なるサゲで、客席からすすり泣く声が聴こえるほど感動的な人情噺でした。
崇徳院・・・「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」でお馴染みの小倉百人一首77番・崇徳天皇の歌が登場するちょっと恋バナ要素を含んだ噺。良いストーリーなのにちょっと残念な地口落ち。
厩火事・・・歳の離れた年下夫の気持ちを確めるために、夫の骨董コレクションをわざと割ってしまう元祖こじらせ女子が主役の滑稽噺。
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今回こちらの小説は、アセアンそよかぜさんの企画に参加させていただきたく執筆したものです。
今日までに記したnoteの中で、1番多い文字数のnoteとなりました。
初めての企画への参加。初めて(『心灯杯のプレゼント』を除いて)の“創作”となりました。
アセアンさん、素敵な創作の機会をありがとうございました☆
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