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ココロのさけび #1

こんにちは、あしゅと申します。
とてもセンシティブな内容となりますので、
虐待・暴言・いじめ・性的発言
そういった表現が含まれます。
ご自身の体調と相談してご覧ください。










助けてほしい


ずっと心から叫んでいる、誰に向けたわけでもなく、ずっとずっと助けてほしい、ここにいるよと叫んでいる。

この声が届いてほしい人にはもう二度と届かないし、届いたとしても今更遅すぎて、この悲しみや苦しみが消えるわけではない。

これは、小さなあの頃の私のさけび、無くなることもなく、今でも声を涸らしながら、涙を流しながら、唇をかみしめて、身を抱き寄せて泣いている。

そんな私がたまに前に出てきて暴走してしまう、それは抑えの効かない激情となって涙があふれ、怒りになって「なぜ生きているのか?」と私に叫ぶ。

「なんであんたは笑っているの?」
「なんであんたは幸せなの?」
「なんであんたは生きていられるの?」

そんな私の感情は一度あふれてしまうと止まらない。

生きていてごめんなさい、楽しくてごめんなさい、ごはんが食べれてごめんなさい、音楽を聴いていてごめんなさい、ゲームをしていてごめんなさい、恋人がいてごめんなさい、親友がいてごめんなさい、普通じゃないのに普通のふりをしてごめんなさい。

そんな感情と共に希死念慮にさいなまれる。

それは私にとっての逃げ道であり、全てにとっての救いであると今でも心のどこかで思ってる。

何故死んではいけないのか、楽になってはいけないのか、今ここから飛び降りれば楽になれるだろうか、今ここで首を吊れば楽になれるだろうか、手首を切れば楽になるのだろうか、海に沈めば楽になるのだろうか。

私は、楽になりたい。

全ての重圧から逃れたい。

自分自身からさえも逃げてしまいたい。

でも残念なことに、私がそうしてこの世を去ろうとすると悲しんでしまう人がいる、一緒に死んでやると言い出してしまう人がいる。

私は人を巻き込みたいわけではない、私一人がひっそりと、誰にも気づかれず、みんなの記憶からも消えてしまいたいのに、そうはさせてくれなくて。

結局、私は死にたくない理由を探して踏みとどまる。

今、飛び降りたら周りの人や通行人が驚いちゃうし、もし誰かにぶつかったら大変なことになっちゃうな。

今、首を吊ったら事故物件とか呼ばれて大家さんにも迷惑がかかるし、私の親戚などが賠償を求められてしまうのだろうな。

今、手首を切ればずっと痛いだろうし、死にきれなかったら痛い思いをするだけじゃん、損だな。

今、海に沈んだら苦しいんだろうな、服とかを海に流しちゃだめだから脱ぐのはなんだかな、脱いで置き去りにするのもポイ捨てと同じだしな。

衝動的に死にたくなった際に私は案外冷静な部分があって、人に、何より私を大事に思ってくれている人たちに心配や迷惑をかけてはいけないなあと、そんな事出来ないなぁと思いとどまれるのだった。

それに私は楽になりたいのに、楽になろうとすると苦しみが必ずついて回る、何をしていても苦しいのだったら、もう少し生きてみようかな。

だって、死ぬなって、私に泣いて怒ってくれる人がいるから。

ねえ、あの頃の私、今の私の周りにはこんなにも私のために泣いて怒ってくれる人がいるんだよ、知ってた?

だからね、ごめんね、私もう少し生きていくし、たくさん笑うし、たくさん幸せって言葉を使うよ。

あなたは本当に大変な時代を生きてきてくれて、そんな中でも幸せになろうと必死にあがいていたよね。

確かに楽しくて、うれしくて、でもそれと同じくらい苦しくて辛いことで塗りつぶされて、本当に、端から幸せをつぶされていくような人生で。

「幸せは壊れるもの」

って思いながら生きてきたもんね。
私の幸せが少しずつ大きくなって不安だよね、怖いんだよね、守ろうとしてくれてるんだよね、私がもっと傷つく前に、幸せを手放そうとしてるんだよね。

いつもごめんね、いつも苦しいことはあなたにばっかり。

私、あなたにも幸せを知ってほしかったな、幸せって笑い続けてほしかったな、永遠はなくても途切れない物があるって知ってほしかったな。

偽善とか、同情じゃなく、心からそう思うよ。

だから、どうしたらあなたをそこから助け出せるのか、ずっと模索してる。

あなたを抱きしめてあげることは出来ないけど、この小さな幸せにあふれた今にあなたを連れてくることは出来ないけど、あなたにもきちんと今の私を理解される日が来るといいな。

あなたが生きていてくれたから、私が生きてる。

今度は私があなたを助ける番だから、あなたがもう出てこなくてもいいように、泣かなくていいように、私頑張るよ。

人よりも頑張っていくことが多い人生だけど、そんな人生だから今の景色が見えてるよ、あなたが生きたことは何も間違いではなかった。

私が生きていることは間違いじゃない。

ありがとう、死なないでいてくれて。



最後に

ここまで読んでくださりありがとうございます。
ただただ思うがままに書き綴った文章で、見苦しい所もあるかと思います。
でも、こうして書くことによって、文字として言葉に起こして、考えて目で見るというのはとても大事だなと思います。
私は字が汚く、紙に書くこともあるのですが、読み返すときに何が言いたく、何が書きたかったのか分からず、こうしてデジタルを頼っています。

それでも、手と思考が追い付かずに何度も誤字したり、変な言葉を生み出してしまいますが、今後も続けていこうと思って居ます。

私は承認欲求が強めですが、この記事を書いて慰められたいわけでも、同情を買いたいわけでもありません。

あくまでもこれは、私のための独白というか、なら人の目に留まるところに書くなという方もいるのでしょうか。

でも、苦しい、死にたい、助けて、もう嫌だ。

これを私が幼い頃は簡単に口に出せませんでした。

弱音は甘えだと、泣くのはみっともないと、よそに話すのは世間体が悪いと育ったからです。

ネットが広く普及した現在でも、私と同じような人が沢山いるんじゃないかと思います。

警察にいう勇気がなくても、学校の先生に言う勇気が無くても、ネットには、ネットにくらいは言いたいこと書いていいんだよ、言いたいこと言っていいんだよ、そんなことを、私だったかもしれない誰かに向けて書いていけたらなと。

もしくはうまく感情を言葉に出来ない方に共感して頂けたらなと、私は学はないですが思ったことを言葉にして書くということが出来るので、1ミリほどでも誰かの助けになれたらな、なんて。

すこし出過ぎたことを言ってしまいました。

もう二度と、私のような人を生み出したくない、そう思いながら、偉そうなことを言っておきながら、私も現在進行形で自分と向き合い戦っています。

自分のためにしたことが、誰かのためにもなればいいのにな。

長くなってしまいました。

あなたの明日が少しでも晴れやかでありますように。


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