幼い頃の私と小学校

こんにちは、あしゅと申します。
今回は幼い頃の私と小学校生活の事について。
とてもセンシティブな内容となりますので、
虐待・暴言・いじめ・性的発言
そういった表現が含まれます。
ご自身の体調と相談してご覧ください。















私は早生まれだ。
当時も、今もそう珍しいものではないと思うけど、幼ければ幼い頃ほど、出来ることの範囲や限界が周りと少しずれてしまう。
中でも私はマイペースで、のんびりとした性格だったため、気づけば周りが何をしているのかついていけなくなっていた。

野外学習の班決め、授業参観の出し物、運動会の取り組み、私は何かやりたいことがあってもワンテンポ遅く、話を聞くのもそこそこに、無理やり話を合わせるため「聞いていなかったでしょ!」と言われることが多かった。

何とか周りに同調して、顔色を窺って。
そうして人に話を合わせたとしても、私の行動は遅く、置いて行かれそうになるところを、何とかかんとかくっついていた。

そんな中、低学年の時に苦労したのは、給食の時間だった。
マイペースな私は食べるペースも遅く、さらに小食だったため、先生が決めた量の給食を食べきることが出来なかった。

しかし当時の担任の先生は「もったいないでしょ!食べ終わるまで休み時間はなしです!」と言って、食べきらせようとした。
私は苦しい中頑張って食べようとしたが、結局は食べきれず。
先生に仕方なく許してもらい「明日は全部食べなさい」と教室から送り出される。

みんなは休み時間の間、教室やグランド、廊下で遊んでいる。
私はそんなみんなを見ながら、ひとり分のおぼんをもって、給食室までとぼとぼと歩いたのは、とても恥ずかしかった。

給食のおばちゃんに「残してごめんなさい」と言ってから給食のおぼんを渡すのが、とてもつらくて、苦しかったことを今でも覚えている。
それでも先生はよそう量を少なくすることを許してくれなかった、私はそれを泣く泣く食べるしかなかった。

いつしか、きちんと給食を食べきれるようになっていたのは、小学三年生に進級してその担任の先生が外れたころだったような気がする。
その後、給食時間に嫌な記憶やトラウマがよみがえったりすることはなかったが、今でもふと「あの頃の給食はいやだったな」と頭をよぎる。
今では食べることも大好きだが、当時の私はどんな気持ちであの長い二年間を過ごしたのだろうか。
そこまで明確にはっきりとは思い出せないが、きっと沢山つらかっただろう。


他にも工作の時間、私はこだわりが強すぎて、みんなと同じペースで仕上げることが出来なかった。
もちろん、出来なかった分は居残りだ。

一度、あまりにも帰りが遅く母が迎えに来たことがあった気がする。

その時は工作が好きだったこともあり、自分のペースでとことん作れるのは楽しかった記憶があるが、親に怒られてしまった記憶もうっすらとある。

けれど強烈な記憶は残っていないので、怒鳴られた程度だろう。

けれど、そんな特別扱いもそう多くは認められず、私はだんだん「みんなと同じようにしなさい!」と怒られるようになった気がする。
そのころからだろうか、私が忘れ物をするようになったのは。


もともと注意散漫な子どもだったこともあり、時間割や提出物をきちんとそろえることが苦手だった。
教科書を準備したり、時間内に宿題をしたりすることが本当に嫌いで、いつしか勉強机に座ると背中がかゆくなり、イライラして座っていられなくなり泣き出す始末。

そんな私に父や母は大きな声で怒鳴り
「そんな事いっても宿題は終わらないでしょう!!早くやりなさい!ご飯食べれないでしょ!!」
と頭をたたかれた記憶がある。

余りにもぐずって出来ないでいると、頭を冷やせと外に放り出されることも多かった。

そんな私が宿題を完成させられるはずもなく、宿題をやらずに学校へ行くと、そこでも先生に怒られる。

宿題をしない私が確かに悪かったが、当時の私にはどうしようも出来ない状況だった。

楽しくない、分からない、やりたくない、背中がかゆい。

何度も何度も泣いたし、それは6年生になっても治ることはなかった。

あの時の勉強机に座っているときの私は、背中がかゆすぎて、背中を切り裂いて背骨をごしごし洗ってほしいくらいにかゆかったことを今でも覚えている。

そんなことを言っても、信じてもらえることはなかった。

かゆみと戦うため背中が真っ赤になり血が出そうなほどかきむしっていたくらい、私は勉強が、宿題が、勉強机が嫌いだった。


それでも、学校も、勉強も嫌いではなかった。
ただ、自分が興味のない物に対しての集中力が著しく乏しく、暗記系やただ問題を解いていく算数などがだんだんと苦手になっていった。

今となれば私自身がADHDだという自覚が有る為、その症状が出ていたのだなと理解はできる。

けれど、当時の私にとって周りと同じ事が出来ない、みんなが努力して出来ることが私にはできない、好きな事しかしたくない。

それはとても怠慢で、私が劣等生で、何をしても意味がないのだと突き付けられ、だんだん自分がすることに何の意味があるのだろうと考えるようになった。

成績が低いと馬鹿にされ、周りと同じように出来ないと指をさされ、勉強に関係のない日常会話についていけないと一緒に遊んですらくれない。

楽しい学校がいつの日か、ただ家から逃げ出すための場所になった瞬間、私の何かが崩れた気がする。

それ以外にも、様々な理由を付けて私は男子女子問わずにいじめられることが多かった、それに関してもいまだにフラッシュバックしてしまうくらいには心に傷がある。

書き始めると止まらなくなるため、また別の記事で書こうと思う。




最後に

とりあえずはこのくらいだろうか、本当に私は勉強が嫌いな子どもだった。
でも本を読んだり、理科の実験だったり、新しい歴史を知ることは好きだった。

ただそれらをきちんと覚えて、正しく書かなければいけない。
これが苦手だった。

算数なんかはもってのほかだ、何をしても楽しくない、見ているだけで吐き気を催したし、何度も家で教科書を投げ捨てていた。

集団行動も、みんな同じことをしなければならないというプレッシャーがあり、レポートなどの提出物が苦手だった、人と違うことをしてしまったらどうしようと。

今となっては「もう少ししっかり学んでおけばよかったな」と思うが、今からまた勉強をしようなんてことは出来るはずもなく。

気が向いたら、何かを学んでみるのも悪くはない気がする。

とはいえ、もう二度とあの時間に帰りたいとは思わない。
過去の時間に戻りたいものは何一つとしてない。

もし同じような境遇にいた方、いる方へ。
少しずつ、大人になれば解決する問題もあれば、自分の現状に気づいてくれる大人を探さないと現状を打破できることはないだろうけど。
必ずあなたが「幸せ」って思える日は来るから、もう少しだけ人生をあきらめないでいてくれると嬉しいな。

あと、勉強をするのは今後の自分への保険です。
学歴がすべてではないけど、学歴が無いと損することが多いのが現実です。

「いい所に行け」とは言いませんが「卒業」という称号は本当に必要です。

中卒の私は「中卒」という肩書のせいで何度も社会から見下され、あることないことを言われました。

通信でも、夜間でも、「高校卒業資格」は大事です。

それは心のどこかにとどめておいてください。

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