幼い頃の私と父親。
愛してくれた父親
私には大好きで大嫌いな父親がいます。
大嫌いなんて表現は可愛すぎるくらい、心底憎くて、何よりも恐ろしい父親です。
機嫌のいい時は構ってくれて、遊んでくれて、良い父親だったと思います。
しかし、自分の応援している野球チームが負けたり、仕事で嫌なことがあったり、なにか虫の居所が悪い時にうっかり失言でもしてしまうと。
「やかましいんじゃい!ボケが!!」
そういった暴言とともに、蹴ったり殴ったりする人でした。
当時の私は「自分が悪いタイミングで話しかけたのが悪いんだ」「自分が気に触ることを言ってしまったのが悪いんだ」そう思ってただ謝ることしか出来ませんでした。
ご飯を食べている時も、テレビを見ている時も、出かけている時も、自室にいる時も、常に父親の機嫌を伺い、顔色を見て過ごしていました。
「おいあしゅ!ちょっとこい!!!」
そう言われるだけで、身体の震えは止まらず、頭の中は真っ白になり、泣いたらもっと怒られるため歯を食いしばるしかありませんでした。
晩御飯の時、無意識に父親に対して「なんやねんそれw」と軽口を叩いてしまった時。
「父親に向かってなんていってんねん!!」
と怒られ、食べていた熱々のカレーを顔にひっくり返されたこともありました。
父親が幼い弟を抱いて寝室からリビングに来た時に「おはよう〇〇(弟)、おはようお父さん。」と言った時には
「父親に先に挨拶しないやつがおるか!!!」
と、髪を掴んで外に放り出された事もありました。
全てを書き出すとキリがないくらい、たくさんたくさん「躾」を受けてきました。
私は歳を重ねるにつれ「なんて理不尽な!」と心底腹がたつこともありましたが、それは私が間違った選択をしたせいであり、それらは全て「私を思っての事」だと信じて疑いませんでした。
なぜなら、父親は怒ったあと必ず「お父さんも怒りすぎたな、でもお前も嫌なことされたら怒るやろう?次から気をつけろよ」と言われ続けてきたからです。
今思えば「ああ、洗脳ってああするんだな」と、他人事のように考えれますが、当時の私にとってそれは絶望的であり、何よりそれが正しいという歪んだ常識に囚われ、抜け出せない状況でした。
それでも父親は、私を大切に育ててくれました。
「お前は頭が悪いけど、お父さんに似て顔がいいから何とか生きていけるよ。妹みたいにお母さんに似なくてよかったな。」
よく聞かされた話です。
今思い返せば、なんて酷い父親なのだと、げんなりしてしまいますね。
父親は兄弟の中で唯一自分と同じふたえの私を、大変可愛がってくれました。
何かあればすぐ「あしゅ、おいで」「あしゅ、今何してるんや」と気にかけてくれ、そんな父が私は大好きでした。
好かれているから厳しいのだ、大事だから厳しいのだ、愛されてるから仕方ないんだ。
きっと、そう思っていないと潰れてしまうから、私は父親が大好きだったのかもしれません。
幼い頃の話も、書き出すとキリがないので、この辺で終わろうと思います。
今は親とは縁を切り、連絡先も全て消し、相手からも連絡が取れない状況にしてあります。
もう二度と、今世で会うことは無いでしょう。
でも、幼い頃の私は、今もあの頃に囚われていて、誰かに助けて欲しいのに上手く言葉で伝えれなくて、ずっとずっと泣いています。
忘れることも出来ないし、助けてあげることも出来ない。
たとえ小さくても、大きくても、つけられた傷が消えることはなくて、その事実が無くなることは無いんです。
よく「そんなの忘れて今を楽しく生きようよ」なんて、他人事のように言う人達へ。
忘れられないからトラウマなんだよ。
あの頃の私へ、10年、20年後は、
割と「普通」に生きれているよ。
最後に。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
大変重苦しい話でしたが、上手に言葉にできていたでしょうか。
これからも、幼い頃の私への手向けとして、書き出していきたいと思います。
そして同じような境遇の方へ。
いま生きて、読んでくれてありがとう。
生きることを諦めないで偉すぎる。
これから自分のために、楽しいことや美味しいものを見つけて、幸せって思いながら年老いていきましょう。
またのんびり書きます。
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