社会学:当たり前を疑う学問

新大学生の皆様、社会学ってご存知ですか?

突然だが、私の専攻は「社会学」だ。

社会学って何をする学問なの?とよく聞かれるが、タイトル通り「当たり前」を疑う学問だ、としか言いようがない。

というのも、幅が広すぎて何とあらわしていいかわからないからだ。社会意識だったり、福祉だったり、階層だったり、ジェンダーだったり、教育だったり、情報だったり、家族だったり、生活だったり。

社会学は多岐にわたる。自分の問題意識がどこにあるかを探り出し、自分は何に一体興味があるのかをゼミで繰り返してきた。

ゼミの同期のテーマはてんでばらばらだ。それも面白い。

議論をすると、全く違う視点からの切り口で意見をもらうことがある。
それもそれで面白いのだ。

そんな中で、私は、「父親と娘の関係性について」をテーマに掲げてしまった。多様性を無視した、父親と娘という関係性だ。

ある一点から見ると、父親と娘は普通かもしれない。一方で、子どもがいない御家庭や父親がいない、娘がいない家庭もある。

このような家庭を調査対象に一応含めるが、調査の結果にはもちえないことを考えなければならない。

一歩踏み込むと、心の傷に触れてしまうかもしれない話題だ。

社会学は当たり前を疑う学問でもあるが、「嫌われる」学問でもあるのだ。

有名な階層社会学では、調査対象者の出路を見ていくために、対象者の年収・親の年収そして親の育ち方などパーソナリティの部分まで聞いていかなければならない。じゃないと、どんな人がどんな行動をとるのかをはっきりと調査結果として示すことができないからだ。

こんな人がこんな行動をとる、と明確に示すために私たち社会学を学び、携わる人は人のプライベートやバックグラウンドまでずけずけと入っていかないといけないのである。

これは嫌がる人がたくさんいるだろう、特に親の年収とか、親の出路なんて知っている人も少ないのではないか、それを親に今更尋ねたりするのも違和感があるし、親がもういない人もいる。

パーソナリティに踏み込む勇気がないと、社会学はやっていけない。社会なんて見えて来やしないのだ。

流動性があり、かつ不確実性を持つ社会を見るためには条件をそろえて、分析する。

話しが逸れるが、人間は完璧に同性愛者、異性愛者と分けられることはできないといわれている。

例えば、自分は異性愛者だと思っている人が、同性を「好き」と思った時、性的な意味を含まずとも、恋愛感情がなくとも、少し異性愛者から離れることをご存じだろうか。日によって変わったり、人によって抱える感情が違ったりすることで、もしかしたらマジョリティと思っている自分は、そうでないのかもしれない。ふとした時に、マジョリティとマイノリティの境目はあやうくなることを多くの人に知ってもらいたい。

ここで「当たり前」を疑うと、そもそもマジョリティとマイノリティって誰が決めたの?マジョリティとマイノリティはなんで生まれたのか?などのソクラテスの「なんで?」という疑問が続いていくと、あなたは答えられるだろうか。

余談だが、私のゼミの同期は矛盾点やこの「なんで?」を引き出すのがとてもうまい。私はそれができないかわりに、「そもそも」という素朴な疑問がわいてくることが多い。

話を元に戻すと、当たり前「だと思っていたこと」を疑っていくと、自分が何者なのか、何のために生きているのかわからなくなっていく。

私は体の性別が女だ。恋愛感情はある。男性を好きになるし、男性の体のパーツであるのどぼとけを見たり、血管が浮いた手を見るのも、女性と違って低い声も、好きだ。男性をかわいいと思ったりもするし、かわいい女性をみるのも好きだ。スカートをはくことに少し抵抗がある。ロングはいいが、短いのは結構勇気がいる。でもショートパンツは履ける。
この違いは何かを考えると、経験の差だったり、固定概念だったりするかもしれないし、もしかしたら思いもしないだけで男性性というのがはみ出ているのかもしれない。

女性性、男性性というのが少し違和感があるが、私は言ってしまえば男がどうとか女がどうとか、そんなことはどうでもよく感じられる。

体の一部分が異なるだけで、それも個性として捉えられるような、そんな社会になってほしい。

社会学は当たり前を問い、社会に投げかける学問だが時に批判を浴びることもある。しかし、なぜそれでも学問を続けるのかと問われれば、誰でも生きやすい社会にするために私たちは学問を究めている、

そんな意識をもって学べ、と教授に言われたことを思い出しました。

さて、各大学が入学式を延期や中止にし、よく知らないまま授業の履修を組んでいるとみて、この話をさせてもらった。

社会学は、ある意味自分の価値観がぶっ壊れ、視界が広くなる学問だ。それを楽しめる人はどんどんのめりこんでいってほしい。

一方で、自分の価値観が壊れ、今まで正義だと信じてきた自分の行為に絶望するかもしれないと一瞬でも考える人はやめたほうがいいし、一瞬でも触れたら戻ってこれないかもしれない学問だ。

つまり、社会学はメンタルの強さも関係してくると私は考えている。

今まで見てきた世界を180度転換して、もう一度振り返ってみたい人、ぜひ社会学を学んでみてはいかがでしょうか。

何か変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

学問に触れ、自分の視野が広がったときのゾクゾクを味わえるのは、自分だけです。大変だと思うけど、頑張れ、新大学生!

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アールグレイ
いろんなことに興味があるのでいろんなことに手を出します。ストップかけたほうがいいときは言ってください。