心の傷を癒やすということ(安克昌著)
今年の能登地震にショックを受けています。
ただ、何もできず、どうしたらよいのかわからないところに、以前この本のことをどこかでちらっと聞いたことを思い出し、購入しました。
精神科医の安克昌氏が、震災を体験した当事者でありながら、医師としての行動を模索していった経緯、震災と「心の傷(PTSD)」などについて書かれています。
震災が引き起こす問題は、1995年と今、残念ながら大きなところはあまり変わっていないのではないでしょうか。
中でも被災者としての気持ち、避難所にいた人々の気持ち、仮説住宅にいた人たちの気持ちを知り、それは初めて実感に似た気持ちを覚えました(当事者でないならばその気持ちはわからない、これはそうでない者との深くて遠い距離のように思いました)。
今まで震災が起きたらその土地じゃなくて、別のホテルなりに移動したらいいのに、なぜ?
と思っていましたが、災害に遭った方たちは、私たちからみたら想像もつかない「心の傷」を負っており、それ(移動)が容易では無い、ということがわかりました。
私たち(40代以上?)は昔しばしば、「大事」が起こっても、「動じない」「冷静」を保つのが大人物だと言われ、
起こった後も、「何事も無かったのように」「悲しみをこらえながらも前を向く」のが、立派だと言われてきた。
…書いている途中から自分が「古い人間」の1人であることに気がつきました。
現実に人はそのようにできない。
実際に震災が起こったとき、そしてそれから人々を助けていくのは、地道な長い活動、そして人のそのときの営みの繰り返し、毎日の繰り返し、毎日を維持しようという繰り返し、しかしそれを阻もうとするものの力もあまりにも大きい(震災で受けた心身の傷、PTSD)。
私たちがもし被災者に
「少しでも寄り添いたい」
と思うならそれを理解する必要があると思いました。
阪神・淡路大震災のときだったように思いますが、「この有事の際には、普段薬が必要な精神病の方もテキパキと動いてらっしゃいます」というマスコミの報道があったように思いますが、安氏の著書を読むと、薬の無い辛さは当時の患者に発生していました。
震災からいっときが過ぎると、元気にはしゃぐ子どもたち(子どもたちの心の傷は表立って見えにくい)、援助に感謝し気丈に振る舞う大人たちの姿をマスコミが取りたがりそれがメディアに流れますが(取材した全員そうではなかったかもしれませんが)、それは違うものだった。そのとき子どもや大人が何を考えて、感じていたのか、ということにも触れられています。
震災の現実に初めて触れたような気がします。
震災に遭われた方々と、そうでない者の間にはそんなに落差があったのかと衝撃を受けました。
著書を読んでいろいろ考えさせられました。
私の拙い文章ですみませんが、この本は今でも通じるものが多いと感じたので、ここに紹介させていただきました。
そして能登の皆さんが1日でも早くいつもの暮らしに戻ることができるよう、祈っております。
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