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マーティン・スコセッシの映画に惹かれる理由(キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン)

育児をするようになってご飯を食べるのがめちゃくちゃ早くなった。
子供が少し遊んでるすきにキッチンで(なぜか)こそこそ食べることが多い。
食べるものも調理をしなくていい簡単なもので、咀嚼して飲み込むスピードも早くなったような気がする。

そしてそれは、食事だけのことではなく、日常的にみる動画コンテンツにもいえることなのだ。

食事と同じような理由で短い動画に手を出して、とりあえずの空腹は満たすが、短い分もっともっとと手が伸びて、何本も観るうちに一体何を見てたんだっけ?とすぐに忘れてしまう。
もちろんそういう動画にはすごくお世話になっていて感謝しかない。
問題は受け取り手にあるということだろう。


そんな状況の自分が、すごく時間をかけて丁寧に作られた料理を、気の置けない人たちと食べるような上質な時間を過ごせた映画が、今年劇場公開されたマーティン・スコセッシ監督の「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」だった。



これまでもスコセッシ監督の作品は「グッド・フェローズ」や、「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」「沈黙」「アイリッシュ・マン」などを観てどれも面白かった。
特に「沈黙」は長崎五島列島の潜伏キリシタンの話で、これまで教科書で知ってるつもりだったけど、この作品で観て改めてその事実に衝撃を受けた。
実際に現地に足を運んでみたいと思い、五島列島に行ってしまうくらいのインパクトがあった。


マーティン・スコセッシ

シチリア系イタリア移民の家に生まれる。ニューヨークのリトル・イタリーで少年時代を過ごし、ニューヨーク大学で映画を専攻する。卒業後は母校の講師を務めながら、様々な映画関係の仕事をこなし、72年低予算映画の帝王ロジャー・コーマンがプロデュースした「明日に処刑を…」で商業映画監督デビュー。翌年「ミーン・ストリート」が評判となり、76年「タクシードライバー」でカンヌ映画祭パルムドールを受賞、主演のロバート・デ・ニーロとともにアメリカ映画の新世代を代表する存在となる。以後、「レイジング・ブル」(80)、「キング・オブ・コメディ」(83)、「グッドフェローズ」(90)、「カジノ」(95)とデ・ニーロとともに傑作を連発した。

近年のアカデミー賞では、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(02)や「アビエイター」(04)で監督賞にノミネート。香港映画「インファナル・アフェア」のリメイク「ディパーテッド」(06)で作品賞と監督賞を受賞。自身初の試みとなった3D映画「ヒューゴの不思議な発明」(11)でも、アカデミー賞技術部門で5部門を受賞した。

第63回エミー賞ドラマ部門最優秀監督賞を受賞したHBOのTVシリーズ「ボードウォーク・エンパイア 欲望の街」(10~14)、自身の監督作では歴代最高の世界興収を記録した「ウルフ・オブ・ウォールストリート」(13)、長年念願だった企画を実現させた遠藤周作原作の「沈黙 サイレンス」(16)などを経て、19年にはデ・ニーロとの黄金コンビを復活させたNetflixオリジナル映画「アイリッシュマン」を発表し、9度目となるアカデミー監督賞にノミネートされた。

幼少期の頃は、病弱で家に引きこもりがちだったらしい。
当時リトル・イタリーにある自宅の窓からは、カトリックの神父やギャング街を歩いているのが見えた。
ギャング達は悪事を働きながらも、神父に許しを乞うていた。
悪でありながら善をも求めようとする。
その相反するものが混在する様を、窓から一定の距離感を持って眺めていたことが彼の映画に生かされていると思う。


例えば「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の夫アーネストとモリーの夫婦関係を見てみる。
夫であるアーネストは、伯父の指示通りに妻モリーに少しずつ毒を盛っている。
アーネストは罪悪感のために毒を半分飲むのだが、弱っていくモリーにそれでも毒を与え続ける。
夫婦間には間違いなく愛がありながら、それと同時に毒を盛ろうとする。その相反するものが混在している様が、一口に語れない夫婦像を描いている。


そもそも映画作りについても、その視点が生かされているのではないかと思う。
彼は監督でありながら、シネフィル(映画通の意味)で、若い映画作家の作品を未だに数多く鑑賞して、自分の作品に積極的に取り入れている。
当事者でありながらも鑑賞者の一歩引いた視点を持っているところが、御年81歳で巨匠と呼ばれる立場にあっても、作品がどんどん面白くなっている所以であるのではないかと思う。

スコセッシは今回の「キラーズ・・」において、アリ・アスター監督作品「ミッドサマー」に影響を受けたと公言している。若い。


彼の作品はその客観性から、多角的な切り口で捉えることが出来るので、観る人にさまざまな思いを巡らせたり、鑑賞後に誰かに話したくなる余韻がある。
それがスコセッシの映画に惹かれる理由だと思う。




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