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誰かが作ってくれたご飯を食べたいときに:Soup Stockのスープ

noteの「#推したい会社」の投稿企画を見たときに、頭にパッと思い浮かんだ会社がひとつだけあった。

Soup Stock Tokyoである。(以下、Soup Stockと書いていく)

愛と感謝を勝手にふんだんに込めて「あのスープがたくさんの人に届きますように」と書いてみる。

Soup Stockは「食べるスープ」の専門店。調べてみたら、全国に60店舗展開しているらしい。

この60という数字を見たとき「少ないな」と感じた。もっとあるのかと思ってた。それくらい私の中では大きな存在感のお店。

このnoteでは、出会いと3つの思い出を振り返りながら、Soup Stockになにをもらってきたのかを紹介したいと思う。


Soup Stockとの出会い

出会いは、いまから15年くらい前。通勤で使っていた路線にあったのがきっかけ。最寄り駅ではなかった。

白い店内に黒いロゴで、清潔感があるなーというのが第一印象。「会社帰りのひとり女性がたくさんいるお店」と感じた。

初めて見たときは「スープに1,000円!?たっか!」と思ったのを覚えている。でも気がつくと…いつのまにか、会社帰りに、わざわざ途中下車して寄るようになった。

当時よく頼んでいたのはカレーとスープのセット。カレーはその日いちばん気になったもの。スープはオマール海老のビスク。

当時もいまも、高いか安いかで言えば、高いとは思っている。正確には、高いというよりは「自分には贅沢だな」という感じ。

このスープを提供していくこと、守っていくことにはそのくらいのお金がかかるのだろうと納得して通ってはいる。この価格だから保たれている顧客層もあると思う。なので、安くなればいいのにとは思っていない。

後述するが、いまもたまに行っている。私と同じようなリピーターの多いお店なんだろうなと思う。

Soup Stockにお世話になった私の人生のシーン3つを勝手に紹介してみる。

思い出1:切迫早産で要安静ときの、安心ご飯に

Soup Stockのスープにものすごくお世話になったのが、息子の妊娠中。私は切迫早産だった。

切迫早産は、まだ生まれちゃいけない時期なのに赤ちゃんが生まれそうになること。基本ずっと安静にしていないといけない。人によって安静度はまちまちだが、私は寝たきりレベルの人だった。

息子を妊娠していた頃は、家事代行もいまほどに一般的じゃなく、宅配サービスも種類が限られていて選択肢がなかった。親は他界していたので頼れず、義両親は遠方で頼りにくかった。

なので基本的には夫が作ったものやスーパーの総菜などで乗り切ろうとしていたけど、夫も仕事が忙しくてご飯を作る時間がない日も多く、私たちは困っていた。

そんなときにお世話になったのが冷凍スープのオンライン販売。

湯せんしたスープと炊いたご飯があれば、立派な食事になる。夫が帰ってこれなくてもご飯がある安心感は大きかった。

お腹のなかで赤ちゃんを育てている自分がちゃんと体に良いものを食べられている安心感は、たぶんそれ以上に大きかった。

この時期の私はSoup Stockに「おいしさ」と「安心」をもらっていたのだと思う。

思い出2:子どもと過ごす土曜日の、心のゆとりご飯に

次にお世話になったのが、切迫早産を乗り越えて生まれた子どもが2~3歳くらいのとき。

よく遊びに行っていた公園の近くに店舗があった。朝から公園で遊び、11時にSoup Stockでお昼ご飯を食べる、というのが定番の流れだった。

当時は夫が多忙で土日も家におらず、週末ずっとひとりで子どもを見るのがしんどい時期だった。外に出て美味しいご飯を食べたかった。

店舗でもらう紙コップに、子どもの分のご飯を取り分けて、スープをかける。そのままだと熱いので、フーフーと冷ましてからあげる。「おいしいね」「公園、楽しかったね」と言いながら食べる。

誰かが作ってくれたご飯を食べられる贅沢さが、疲れ切っていた時期の私に必要だった。この時期の私はSoup Stockに「心のゆとり」をもらっていたのだと思う。

思い出3:心が疲れたときの、癒しご飯に

これは現在進行形の話。いまも心が疲れるとふらりとSoup Stockに行く。

仕事で失敗したり、うまくいかなかったとき。
煮詰まって、アイデアが出なくなったとき。
自分なんてダメダメだ…と、どうしようもなく凹んでしまったとき。

このままじゃよくない、自分に癒しが必要だ!と思ったときにはスープを食べに行く。注文するのはスープとスープのセット。片方はオマール海老のビスクで、もう片方は食べ応えのあるスープを選ぶ。

「もし親が生きていたとしたら、親のご飯を食べたいと思っただろうとき」に、私はSoup Stockを選んでいるのかもしれないとも思う。

実家で出てきたスープとはまったく違うけど、手間がかかっているスープだというところに、親の姿を重ね合わせているのかもしれない。

いまの私は、Soup Stockに「癒し」とか「温かさ」をもらっているのだと思う。

誰かが作ってくれたご飯を食べたいときに

店内で流れている「オマール海老のビスクの作り方」の動画が好きでよく見ている。

スープ工場の方が「雑味は旨みにもなる」「やりすぎたらダメになるので、ギリギリのバランスを見極めている」というような話をされていたのが印象的だった。

その動画を見ながら「レシピがあって、同じように作ったとしても、絶対に同じ味にはならないのだろうな」と思った。

10年食べ続けても飽きない美味しさ、家でも食べられる贅沢さ、子どもも食べられる安心感、疲れた心に染み入る温かさ。

私はSoup Stockのそんなところが好き。

これからも「誰かが作ってくれたご飯を食べたいな」と思ったときにはお店に行く。母の日や出産祝いの贈りものに選びたいなと思う。

だれかに、あるいは自分にスープを贈ることは「いつもお疲れさま」とか「たまには休んでね」のメッセージを贈ること。そんな思いやりの気持ちで使うお金が増えたら「お金の良い循環」が増えていくだろうな、と思う。

このnoteを読んで、まだSoup Stockのスープを食べたことがない人が「食べてみたいな」とか「今度、贈ってみようかな」と思ってくれたら、とてもうれしいです。

たくさんの人のところに、美味しいスープが届きますように。

店内に置かれているリーフレット。いつも持って帰ってきてしまう

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