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#15 失敗が与えてくれるもの

偉人の名言だとか、自己啓発本だとかによく書かれている言葉。

失敗を恐れるな。

過去のひねくれ者の僕は、この言葉に対してこう思っていた。

「いやいやいやいや、怖いでしょ、失敗w
 絶対にしたくないでしょ、失敗ww
 恐れるなっていう人は色々なことに成功してるからだよwww」

だけど今の僕は思う。
失敗というものがどういうものであるかをわかっていれば、思っていたほど恐れるものではないかもしれないな、と。

恐れているのは、本当に失敗?

「失敗は成功のもと」
発明王エジソンの名言として有名な言葉だ。
子どものころは「ふーん」と聞き流していたこの言葉も大人になってみると心に来るものがある。

過去、失敗を恐れていた僕は、この言葉が完全に頭から消えていた。
そして当時の僕は、失敗をこんな風に捉えていた。

「失敗したら恥ずかしいじゃん」
「失敗したら、友達に馬鹿にされちゃうかもしれないじゃん」
「失敗した姿をあの娘に見られてみろ! 嫌われちゃうだろ!」
「失敗してしまって、見放されたらどうしよう」
「失敗したら怒られる……」

よくよく考えたら失敗を恐れているというよりは、
失敗して誰かに傷つけられること、見放されることを恐れていたのだと気づいた。
つまり、恐れていたのは他人の目であり、他人の評価でしかない。
言い方は悪いが、人の失敗を笑う人間など相手にする必要はないと思う。

失敗そのものは決して悪いものではない。
なぜなら、「成功のもと」なのだから。

失敗から得たもの、出会えたもの

上の記事で少し書いたけれど、僕は適応障害になった経験がある。
新卒の会社の風土に合わず、さらにパワハラを受けてしまったのだ。
言うなれば、就職先の選択に失敗したのである。
(この経験については、近いうちに詳しく書きたいと思っている)

しかし、この経験がきっかけで僕は本に救われ、図書館の仕事がしたい、本に携わる仕事がしたいと思うようになった。
図書館の仕事を続けられていることが成功かどうかはわからないけれど、少なくとも今は充実した日々を過ごしている。

それからもう一つ。
友達の大切さを改めて痛感した僕は、この経験から「1人でも多く信頼できる仲間を作っておいた方がいい」と思うようになった。
縁というのは不思議なもので、パワハラに倒れ復帰してから3か月という短い間に、今でも続く親友4人と出会ったり、再会したりしたのである。
もちろん友達を作るために行動を起こした結果ではある。
だが、その行動は適応障害の失敗がなければ起こさなかったと今は思う。

正直、「成功」という言葉もなかなかに難しい。
果たして何をもって成功なのかは、人それぞれだからだ。

けれど、大好きな仕事を見つけることができ、多くの親友を得たこと。
これを成功とするならば、
僕は就職先選択の失敗を成功のもとにできたのかもしれない。

この2週間も失敗の連続

noteにも同じことが言えるんじゃないかと思う。
今日でnoteでの活動を始めて丸2週間が経過した。
はっきり言って、毎日毎日失敗していると思っている。

あれ書きたかった、これ書けばよかった……
あの表現にすりゃよかった、この記事やめときゃよかった……

だけど、日に日に書くことへの意気が強くなっているのを感じる。
それは毎日が昨日のリベンジだからだ。
毎日投稿ができているのも、失敗しているからといえるかもしれない。





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立竹落花
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