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#111 幸せはきっとそばにある

「幸せ」ってなんだろうなと考えることがある。
僕の中では、何かを成し遂げて得られるものだと思っていた。

偉業を達成するのもそうだし、仕事で活躍することもその一つ。
結婚というのも、僕にとってはそのうちの一つだった。
僕にとって結婚は成し遂げられないものだと思っている(あるいは思い込んでいる)。
だから結婚式に参加したときに、「こういう幸せは無縁だ」と思ってしまったのだと思う。

何かを成し遂げてこそ、人は幸せを手に入れられる。

それが幸せの正体だと思っていた。
けれど、そんなのは幸せのほんの一部にすぎない。
結婚式に参加して、それを思い出すことができた。

幸せはなんてことない日常にあった

結婚式では新郎新婦の思い出が詰まった写真や、写真が載せられた映像がスクリーンに映し出されていた。
その中で、僕が写っている写真もスクリーンに映し出されていた。

それは、ただの呑み会風景を切り取ったものだった。

その友達とは、もう数えきれないほど呑みに出かけている。
何度となく呑み会では写真も撮っているから、正直その写真を撮ったことすら覚えていなかった。
何枚もあるうちの一枚に過ぎなかったのだ。

しかしスクリーンに映し出された瞬間、その「ただの一枚」が「幸せを感じられる一枚」に変わったのである。

もちろん特別感を出すための演出もしているし、そもそも結婚式という特別な雰囲気によって感じやすくなったことは間違いない。
けれど、その一枚を見たときに思った。

幸せというのは、なんてことない日常の中にあるものなのだと。
そして、それを幸せと認めることができれば、それは幸せになるのだと。

書けている今も、とても幸せ

仕事に行けること、同僚と話をすること、
友達と遊ぶこと、日々何かを書くこと、
起きること、食べること、寝ること——

ごく当たり前の日常に、必ず幸せは潜んでいる。
幸せは自分で見つけるものであり、認めるものなのだろう。

今日書いていることは、ごく普通のこと、なのだと思う。
我ながら、なんだか臭いこと書いているなぁと思ってしまっている。
けれど、それを書くことができることも――
自分を文章で表現できることもまた、幸せなことなのだ。

当たり前を、当たり前だと思うのではなく、
幸せだと思った方が、絶対に人生は楽しくなるはず。

noteで活動することは日常になってきた。
けれど、当たり前だと思わないようにしたい。
毎日こうして書くことができて、とてもとても幸せです。

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立竹落花
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