落夏

ちりづか

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最近の記事

甘えられたらいいなとも、強くいられたらいいなとも思う

夜の繁華街を歩くと、全身で誰かに甘えている人を見かける。 だいたいがお酒が入っていたりして普段よりも鈍った思考を抱えていて、その行為も鈍った思考の産物だったりする。 こういった景色について、見るに耐えないなんて声も聞くけど、私は素直に羨ましく思う。 その中にはきっと、私が飲み過ぎを後悔するみたいに、翌朝後悔する人もいるのだろうけど。 物わかりがいいように振る舞うことで私は自分のことを守っているのだな、と気付いたのはいつだったか。 私の友人にもいる。 全身で感情を表せる彼

    • 夏の終わりに反省と、わずかな希望と展望を

      秋の風が吹き始めて、外を出歩く際にぼんやりと考え事をするようになった。 暑い、早く日陰に入りたい。そればかりに埋め尽くされていた脳に、別のことを考える隙間が生まれだしたのだ。 先のことや、これまでのこと。 考えたらきりがなくて、もはや私は悩むことが趣味なんじゃないかと笑ってしまうくらい、今週は考え事をしながら歩いた。 無心で足を進めているうちはまだ体も心も健康でいられた。まだ振り返るには早いかもしれないけど、今年はそんな夏だった。 茹だるような暑さの隙間に、隙間が入り込

      • ココアじゃなくて、母の作ったココアを、母と飲む空間が好きだっただけ

        もう久しく飲んでいないココアを、久しぶりに買ってみた。 母との距離感を掴むことが、昔から下手くそで、諦め、切り捨ててしまった私は、幼い頃母が気まぐれで作ってくれるココアが好きだったことを思い出した。 ココアの口当たりの良さとか、たまにチョコを入れてもらえる特別感とか、そのあたりを子どもらしく期待して、最後の一口まで惜しくてたまらなかったような記憶があったのだけど、 今思えば、母が作ってくれたココアを私が飲む間の、母と私との空間が好きだったのだろう。 甘すぎるくらいのココ

        • 蝉が鳴く理由に毎年驚く(そしてすぐ忘れる)

          さっきイヤホンを外したとき、想定より(想定ってなんだという感じではあるのだけど)蝉の声が大きく聞こえてきて思わず上を見上げた。 名前も知らない木に茂る葉っぱが、陽の光に照らされてきらきらしていただけだった。 こんなに彼らの声は聞こえるのに、ぱっと目をやるだけでは姿は見当たらないものだ。 それにしてもこんなに音おおきかったかな、と耳に響く夏らしい合唱に驚いて、それから蝉が鳴く理由ってなんだろうと気になり、調べることにした。 検索フォームに「蝉」と入れると、他の人も気になって

        甘えられたらいいなとも、強くいられたらいいなとも思う

          明滅する電気と私

          茹だるような暑さに飲み込まれてしまって、毎日同じだけのモチベーションを保つことが難しい。 というか、暑い以外のことを考えられない瞬間が日に何度もくる。 夏は好きなんだけど、さすがにここまで暑いと明るい気持ちだけではいられない。 昨夜、1DKの私の城の照明がちかちかとまばらな音をあげて間もなく、力尽きてた。 ただの替え時だけど、一瞬「暑すぎてやられた?」とも思った。 私のやる気の波みたいだなと思い、しばらく眺めて、眺めたあと、なんらかの接触不良とかで、実は壊れてなくてもう一

          明滅する電気と私

          習慣を変えるのってめんどくさいよりも怖いのほうが強い

          私は高校生くらいの頃から外出時はイヤホンをつけることが習慣になった。 もともと音楽を聴くのが好きで、それは今も変わらない。 当時は百均の有線のイヤホンを、今はワイヤレスイヤホンを使っている。 線が切れて壊れてしまうこともなく大変便利なのだが、家の中でつけたまま外出すると、ごくまれにケースを忘れてしまう。 充電ができないから場合によっては帰宅時とか移動時とか、イヤホンがつかえないときがあるのだけど、そういうとき、ほんとうにそわそわする。 心もとない、とか、不安、怖いとかその

          習慣を変えるのってめんどくさいよりも怖いのほうが強い

          空想する、

          わるいことをするとサンタさんがこない話。 大きな雷がなるとおへそを隠さなければ取られてしまう話。 スイカの種を食べるとお腹からスイカが生えてくる話。 子どもの頃の大人におどかされた経験は、いくらでもあげられそうだ。 おかげで私は小さい頃、「そんなことないだろ」と思う気持ちも抱きつつ、悪いことをしたらどこか遠くに連れて行かれてしまうと思っていたし、その時見ていたアニメの登場人物にしまわれてしまうと思っていた。(某しまっちゃうおじさん) 幾度となくしまっちゃうおじさんの夢を見

          空想する、

          【舌打ちについて考える】

          先日ひさしぶり(というか初めて?)に舌打ちをする大人を見かけたので、舌打ちについて考えたい。 見かけたというか、仕事で出会った。 関わりの薄い私から見ても多忙な人で、その人の多忙さがピークにきていたときだったのだと思うのだけど、 静かなオフィスに舌打ちが響いた。 そのとき私の頭に浮かんだのは、 舌打ちに対する突発的な嫌悪感と、 「私が原因の一つだったりするのかな」という心配と、 失礼ながら「いい大人なのにな」という呆れだったように思う。 中でも保身に走りたい私は真ん中

          【舌打ちについて考える】

          失恋が暑さでごまかされた話

          失恋というほどのものではないかもしれない、というかそう思いたい。 でも少し、ちゃんとへこんだから、失恋に分類しようと思う。 大人になってから、余計臆病になってしまった。自分の感情を飲み下すことも、上手に言葉にして相手に伝えることも、子どもの頃のほうがまっすぐにできていた気がする。 できなかったときも、できない自分にきちんと傷つくことができていた。 ここまで続いた足跡を否定したくないけど、虚しさで消えたくなる時がある。 すきかもな、いいなと思っていた人が結婚した。 無粋な趣

          失恋が暑さでごまかされた話

          思い出すと自分が脆くなってしまうものの取り扱い方法を探し中

          早朝、朝の4時とか5時とか、まだ人がまばらな時間帯。 すっきりした明るさのある道を散歩することにハマっている。 単純な私は、それだけで頭もすっきりしたような感覚になれている。 ただ、そうしてすっきりして何かを考える余白が生まれたとき、ふとたまに普段は考えないようにしている自分の弱みが、頭をよぎる。 よぎるどころか、支配されそうになることもある。 せっかくの透明な空気が、急に淀んだように感じる。 協調性がないとか計画性がないとか、そういう私の属性的な弱みではなくて、思い出す

          思い出すと自分が脆くなってしまうものの取り扱い方法を探し中

          好きになりたくないのだと思う

          知人に、「本気で人のこと好きになったことある?」と尋ねられたことがある。 自分でもびっくりするほどするっとでてきた返答は、「なりたくないからならない」だった。知人は納得したか返事に困ったかわからないけど、そのあとすぐに寝息が聞こえて、会話は終了した。無意識のうちに私の脳は、私についてそう結論付けていたのだな、と声に出してから納得した。 例えば、その人がまるで自分の生活の一部みたいに思えるようになって、 ぼさぼさの頭も、かさかさの踵も、飲みかけのコーヒーも吸いかけのタバコも

          好きになりたくないのだと思う

          幼い頃好きだった黄色と、大人になってからいいなと思う青色の話

          小さい頃、私は黄色が好きだった。 きっかけというか導入は単純なもので、両親が私と兄弟の私物をわけるときに、兄弟にはそれぞれ別の色をあてがい、それと同じように私には黄色をあてがったことからはじまっている。 歯ブラシとか、コップとか、そういう日常のものから私は黄色が私の色であることを教わった。 そのあとは自分の手元に馴染んだ黄色が宝物みたいに大事に思えて、まんまと気に入った。 ひまわりやたんぽぽがお気に入りの私は、トウモロコシも好きだった。 靴や服は、まるでそれしか見えないみ

          幼い頃好きだった黄色と、大人になってからいいなと思う青色の話

          文字が読めなくなったらそろそろやばい

          読書は飽き性の私が唯一続けられている趣味だ。 というか私は、文字を読む行為自体が好きなのだと思う。 言葉を知ることも、表現を知ることも、知らない人が無数のそれらを組み合わせて成立させた文章を読むことも、すべてが好きだ。 それでも自分の生活に余裕がなくなったり、うまくいかなくて何も考えたくなくなってしまったりしたときには、どんなに好きな作家の好きな文章でも目に留まらなくなる。 文字を目で追い、脳に落とし込んで感情を抱く一連の流れができなくなる。 水を弾くみたいに目が滑って、同

          文字が読めなくなったらそろそろやばい

          茹だるような暑さに「夏」が恋しくなる

          私は概念としての夏が好きだ。 子どもの頃、田舎の祖母の家に泊まりに行き、トウモロコシを食べた。 畳の上で、扇風機の風を浴びながら、用意してもらった麦茶で喉を潤しながら、夏休みの宿題に取り組んだ。 プール開放の帰りには氷砂糖をもらって、口に含んだそれがなるべく長く残るようにと転がしながら、サンダル焼けした足を見つめた。 私の子ども時代の夏にはそんな思い出がたくさんあって、それにひきずられるように、私は今でも夏が好きだ。 汗ばんだ腕に張り付く課題のプリントも読書感想文の原稿

          茹だるような暑さに「夏」が恋しくなる

          返信をするのが嫌なのではなくて、返事が来るのが嫌なんだな

          デジタルネイティブの世代(のはず)だけど、人との連絡が苦手だ。用事があったとしても連絡がくることそのものが億劫だし、喜ばしいような内容の連絡であっても、人からの連絡で自分の感情が動かされている感覚がとても苦手だ。 でも誰からも放っておかれてしまうのは耐えられない。 文章にするとなんて面倒な性分なんだろうと思う。 それはさておき。 連絡無精であること自体は悪いことではないはずなのに、「冷たい」「人に興味ないでしょう」などと言われてしまうから、私は後ろめたさや煩わしさから逃げら

          返信をするのが嫌なのではなくて、返事が来るのが嫌なんだな

          自分を疎ましく思うときの感情処理について

          自分の苦手や我ながら疎ましく自分の質を自覚したとき、その感情の処理が不得意だ。 ああ私はやっぱりこうだ。 だからだめなんだ。 自分を否定してしゃがみ込むための言葉は尽きることがなくて、その言葉の量に押されるように、元気もやる気もモチベーションも、加速度的に失われていく。  一度、ちがうちがうと情けなくなって、どうにか口に出して消し去ってしまいたくなって 「なんで私こんなにだめなんだろう」と打ち明けたことがある。 打ち明けたというか、抱えきれなくなった自己否定が口から漏

          自分を疎ましく思うときの感情処理について