本当に使える「実用性」とは

結論

実用性を論じた文章だから、最初に結論を書いておく。
・とにかくすぐに着手できる指針が示されていること
・指針の背景を問わずに済むお膳立てがなされていること

本文

実用書と銘打っていなくても、「実用性」を論ずるのであれば、そのもっとも望ましい形態は即着手できること、いうなれば着手性だ。しばしば即効性と混同されるが、必ずしも同じではなく、即効性というよりは即時性を重視するのが実用性を整理したり求めていく上では大事である。

たとえば料理のレシピ本は具材とその比率と手順が書かれており、そのまま実行すれば概ね同じことを実現できるから、即効性が高い。そして表面的には即時性がある。しかし、たとえば必要な調理器具がなかったら? あるいは具材や調味料が足りなかったら? そうなれば買うところからスタートしなければならない。こう考えると、これは状況起因的な要素で「即時性が低い」場合がある、ということになる。

即時性を発揮するためには準備が大事なのだ、という教えでもあるが、一方で準備とは無縁に即時的でない「実用性」ぶったものも多くある。たとえば東大合格者の何割が使用、というような帯がついた参考書を買ったからといって東大に合格できるわけではない。そもそも東大合格という巨大なプロジェクトは即時には行えない。したがって、即時性というのは極小のプロジェクトを対象にして発揮されるものであり、問題設定の問題になるが、着手性を上げるためには巨大なプロジェクトであっても細分化しなければならない。

着手性を上げるには独特のコツがある。このコツを放棄した多くの本は、クレペリンが言ってもいない「作業興奮」とかいう概念をでっちあげて、「とりあえずやってみればそこから進み出す」などと言ってのける。それはそういう場合もあるかもしれないが、全くもって神秘的な言説である。

こういった手続きのコツは、心理的な問題と事務的な問題があり、しかしともにプロセスが大切だ。やる気が出ないというのは心理的な事情だから、それを主眼においた手続きを踏む必要がある。一方、事務的な問題というのは、やることがわかっているようでどう始めたらいいかわからない、という場合で、こちらの方が簡単だが深刻である。たとえば成績を上げたいが何から手を付けたらいいかわからない、というのはわかりやすい例かもしれない。あるいは、流行のトレンドを把握したいからリサーチしたい、と思ったとして、ではどうやってリサーチしたらいいのか? 心理的な問題もそうかもしれないが、事務的な問題もまた、「何をやったらいいかわからない」という着手性の低さによって起きている。

これは目的を掘り下げるだけでは意外と駄目で、やはり独特のコツがいる思考プロセスだと思う。実用性を提供する側としての究極的状態は、背景がわかっていなくても使えるツールがある状態だ。たとえばあるポーカー指導法では、自分の席順が何番目で、手札が何ランク以上であればコールする、というような基準が明示化されている。これは、「なぜそうなのか」がわからなくても実行することができ、しかも効果がある。

これは奴隷を生む発想にも思えるかもしれないが、なぜSNSなどの言説で断言が好まれるかもほとんどこれである。「なぜそうなのか」は問わず、しかしそれに従うことができるような言説こそが「実用的」なのである。そう思えばいかにも実用性というものを批判したくもなってくるが、僕は実用性を追求することは嫌いではない。

神頼みや占いは基本的には物理法則的実効性がないと思うが、なぜそれがありがたがられるかというと、「なぜそうなのか」を問わずに済む体系だからであって、それを指針にすることができる。そのような指針があると人は着手をすることができる。そういった意味では、たとえば「筋トレは裏切らない」というような言説も同じニュアンスを感じる。神頼みは万全のものではないが、背景を問わずに実行できる指針の補給先というものは、多ければ多い方がいいだろう。そうすればどこかでは当たりを引くことができる。

純粋に実用性という観点だけでいえば、たとえば自己啓発書の『スッキリ!』という本では、確か「靴を揃える」ことを生活改善の第一ステップにしていた。靴を揃えただけで生活の全てが変わることはないが、靴を揃えることは誰にでもできる。その積み重ねが次に繋がる可能性を生み出す。

これが重要なのは、心理的な干渉を最大限除外しているところだ。「靴を揃えるのに何の意味があるんだよ」と思うかもしれないが、思ったとしても靴を揃えることはできる。それくらい簡単なことだからだ。しかし、規模感が大きくなってくるとそうもいかなくなってくる。たとえば食事制限とか運動とか日々の勉強とか、明確な成果が見えないものはすぐに「こんなことをしていて何になるんだ」という悪魔がささやく。そして、ことが大きくなるほど悪魔の発言力も大きくなる。

心理的な面をドライブするためには物語を用いるしかない。それは実用性のもう一つの形ではあるが、別の着手性の理論でもある。物語を噛みしめるためには一定程度の時間が必要であり、そのような物語を生み出すためにも、大きな労力がかかる。とはいえ、そのような物語にこそが価値があるのだ、と僕自身はもちろん思っている。

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