自立とは食うこと
きょうの読書
「もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓」稲垣えみ子
電気を使わず、従って冷蔵庫を持たない生活。
シンプルは好いけれど、一汁一菜過ぎるこの人の食生活には倣いたいとは思わない。
わが家の台所の武器もかなりミニマムな装備に減らしている。けれど、レシピ本もネット情報も使ってあれこれ料理して食べるのは、私には暮らしの彩りで、愉しみで。今のところ手放したくない。
40代後半で自立した
唯一、賛成!と思ったのは、自立とは食うこと、というところ。
私自身については、自分で食材を手に入れて料理して食べたいものを食べられるという状態になったのは30代になってから。さらに自由度が高くなったなと思えるのは40代後半になってからだと振り返る。
実家で暮らしていた高校生のころまで、たまにカレーを作るのを手伝うくらいで、ほぼ全く料理というものをしたことがなかった。大学生で自炊を始めたけれど、学食に頼って、たまに"エサ"のように空腹を満たす食事を作ってみるだけだった。就職したところも大学で、学食や学校周りの食堂があった。
40代後半、瞑想トレーニングのためにインドに滞在して、日本人の瞑想仲間がインドで手に入る食材であまりにも美味しい食事を作り続けていて、食べさせてもらえたのに感激した。むしろショックを受けた。そこから帰国して、急激に自分で自分を食べさせることに関心が向き始めた。
そのときが私が自立し始めたときなのだろう。
老いても自立している母
実家の母、87歳。
「きつかー」と、これまで朝に作っていた妹の弁当は作らなくなったようだけれど、今でも晩ごはんは料理している。たくさんのレシピ本を積み上げていて、今でも新しいレシピを試している。「今日は何にするかねー」と毎日毎日献立を考えている。
これができる間は安心。自立しているなーと。
経済活動としても「食う」のだ
もうひとつの意味で、経済活動として「食う」こと。
今年、年金の受給資格が生じる歳になる。
年金生活もまた自立なのだろうか。
それでもまだまだ事業で食いたい。
私を使って日々出会う人に触れて食っていたい。
手か口が動く限り。
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