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誰かの肩にのっかって生きること

おはようございます、お久しぶりです
わたしは最近、誰かの肩に乗っかって生きていってもいいんじゃあないか、と思ってる。

他人に迷惑をかけないように生きなさい、よく言われる
自分一人で生きていけるようになりなさい、よく言われる
自立しなさい、よく言われる


もうこんな言葉聞き飽きた、わかってる
自立しなくちゃいけないのも、一人ででも生きていける強さを身につけるべきなのも。

でも、本当にそれって人生を捨てるかどうかを悩むまで、心と体を壊してまで身につけなくちゃいけないスキルなのか

学歴だってそう、あるに越したことはないしあったほうがこの後の人生がスムーズにいきそうなことだって周りを見ていればわかる。でも、ずっとずっとがんばり続けなくちゃいけないんだよ

大学受験が終わったらゆっくりできるかな、なんて思ったってそのあとはすぐ就活の準備が始まって、じゃあ就活が終わればゆっくりできるのかなって、まあ次の課題がふりかかってくる、先輩たちを見ていたらそんな現実に絶望してしまった


そんなにがんばり続けてまで、この世の中にわたしがいるべきなのか
いまは積極的にしにたいわけじゃないから生きているだけで、苦痛に耐えてまで生きたいと思えないのが現実で。

こんなことを言ったら怒られちゃうのかもしれないけれど、

それでも人は死んではいけない、とみんな言うよね
周りが悲しむのがわからないのか、とか
死ぬ勇気があるならなんでもできただろ、とか

そんなのは頭では勿論わかっていて、想像だってできる
でも、それでも、そんな未来のことなんて考えられないぐらいに追い詰められていていまの自分が次どうするかで精一杯

生きてたらいいことがあるなんてそんなのは生存者バイアスでしかない


moral luckという言葉があるんだって
道徳的な判断を迫られる場面に運悪く居合わせてしまうことってある
頭では、道徳的にこれはよくないって分かってるけど実際自分がその場面にいたら道徳的に善いと言われる判断ができない状況。経験したことあるとおもう

しにたいと言っている人がいたときに、
もちろん死んでほしくないという気持ちはあるけど、
自分がしにたい側だったらどんな言葉をかけられても納得できないしなにも心に響かない
生きてといわれてじゃあ現実的な問題が全部片付くかといったらそんなことない全部山積みのままなわけで
そんな状況で無責任な言葉かけられないよね
なんの言葉も出てこない

わかるよなんて言えない、なにもわからないから
わたしがしにたかったときの話をしたところで、そんなのいまの相手には関係ないしな、とかよくわかんないこと考えちゃうし。

話がとてもずれていってしまった、なんだったっけ

あ、そう
そんなに無理して自立しなくていいんじゃないのかな
選ばずとも孤独になることはあるかもしれない、その場合はどうしたらいいんだろうね、自分が自立しないで済む場所を探し続けることを人生の目標にしてみてもいいのかもしれない。

いま依存できる先がある人は、そこをひとつじゃなくてだんだんと増やしていけばいい
依存先は、増えれば増えるほど依存じゃなくなるから
依存って、言葉がよくないよね〜。寄生的な意味合いを感じる
頼り先を増やすにすればいいのにね


多くの人に頼れるひとは、一人で生きていく強さがあるのかというと違うのかもしれないけれど、多くの人を信じることができる強さがある

それぞれちがった強みがあるんだなーそれでよくない?
別にみんな同じ強みをもつ必要なんてないし、無理して一人で頑張ろうとしなくてもいい

まあでもこんなのも、頼れる先があるひとからした話やろ〜って思うよね
そうなんだよ、みんな自分が見た側からの意見しか言えないから、できるだけ知識をつけて想像力を持ちたいけど所詮経験からしか理解できない

自分の経験に当てはまりそうな、しっくりきた意見だけしっかり取り入れればいいんじゃないのーって思う
それ以外は知識程度にこんなひともいるんだね〜ぐらいで。

ばばばって打ち込んだから読みづらい部分も、趣旨が捉えづらい部分もあるかと思いますが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

あなたの今が、すこしでもあたたかいものになりますように。🥛

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