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理不尽な子育てと『母性』2

父は再婚した母親においていかれて
父親より親戚の叔父の家で育った。
母は仕事に走り回る両親に
祖父の家においていかれて育った。
そんな二人の間にできた私だけど
離婚の時、
母はのちに継母になる女性に
育てさせない条件で
私を祖母が再婚している山本家に
おいていった。

ここから私を育ててくれた女たちの
話をしよう。

血の繋がりのないひいおばあちゃんは
旦那さんの面倒をみることに懸命で
自分の一人息子(祖父)をお手伝いさんに
任せっきりで 
わがままに育ってしまったことを悔いてた。

祖母の姉も前妻の息子、養子にした息子を
大事にしていたけど 
やはり自分の子どもに
愛を注ぎたかったんだと思える。

祖母も仕事優先で父や叔父に
何かをしてやれたかと
特においていった父にどう接すればいいか
わからないことがあったんだと思う。

継母は子どもを産めない人で
私にはずっと優しくしてくれたけど
祖母たちに取られている状態でいつも
遠慮していた。

彼女たちは皆
自分の人生を
仕事も恋も懸命に生きていた。
そして
私には無償の愛を与えてくれていたけど
それも
『母性』という言葉で
表すことはできないように思える。

そこには後悔や自責の念や
理想や嫉妬やドロドロモヤモヤしたものが
きっとマグマのようにわき出すものを
愛という袋に押し込んで
私に向き合ってくれていたんだと
今になってわかる。

表向きには優等生でお利口さんで
天真爛漫を装っていた私だけど
きっと彼女たちが理不尽だと感じるような
振る舞いはしていたと思う。
いやきっとしていた。
まあ反対もしかり 
おいおいと思うような理不尽なこともあった。
それでも『大人』な彼女たちは
いつも
凛として笑ってくれていた。

そんな女たちの思いが私の中で生きていて
私がお嬢を愛するのだと思う。

そして父。
離れてはいたけれど
いつもあった父の愛。
彼こそ 
父親からも母親からも
愛を注がれた記憶がないのに
叔父とその周りの人たちの大きな無償の愛を
ちゃんと受け取って
私を愛してくれたんだと思う。
そしてそれは『父性』ではない。

私が受け取ってきた多くの愛
それは『母性』『父性』と言われるような
本能として持っているとされているものではなく
彼女たちがのみこんでものみこんでも
溢れてきた
自分の一部を伝えられる
小さきものへの願いなんじゃないかと思う。

そしてそれはまた
どんなに理不尽であろうとも
私から お嬢に 伝わっていく。


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