2年半実家に行ってない
ものすごく恋しくて
和歌山と名のつくものを集めてる
『サマータイムレンダ』
すみっこぐらしの和歌山駅
アドベンチャーワールドのパンダ
お酒もまず『和歌山の日本酒ありますか』と
聞いちゃう。
観光に行きたい場所でいつの間にやら
上位になっていたそうで
今 東京にいても
『和歌山』という文字を見ることは増えた。
お嬢が4年ぶり?に
和歌山のじいちゃんばあちゃんに会いに行って
もらってきてくれた地図や冊子を何度も読んで
多分こんなに和歌山が恋しいのは
生まれて初めてだと思う。
それでも『帰る』じゃなく『行く』というのは
私にとっていつか帰る場所ではないからなんだろう。
今はめっきり連絡をとる親戚も減ったけど
将来 父や母がいなくなっても
毎年は無理でも2、3年に一回はきっと『行く』
食べたいものがあるからか
友だちに会いたいからか
体力のある限り。
でも住むことはないだろう。
18歳の時に大学に行くために和歌山を離れてから
京都から帰らずそのまま東京で就職。そのまま結婚。
もう38年。
お嬢ができてからは毎年和歌山に行っていたから
お嬢にとっても『田舎』になっている。
だから私が死んでしまっても
お嬢は和歌山に行くかもしれないと思えるくらい。
それでも彼女も住むことはないだろう。
なぜなんだろう。こんなに今恋しくてたまらない。
今なら父も母もいるのに。
私は行きたいけど帰りたいわけじゃない。
帰りたいという言葉にこだわってしまう。
でも 東京の人であるとも思えない。
結局東京は私にとってどこでもない場所だから
居心地がいいのかもしれない。
2歳くらいの頃
ばあちゃんたちと大阪で遊んで
和歌山に帰る時
『にほんにかえる』と
私は言っていたそう。
和歌山は私にとって
『ジパング』なのかもしれない。
懐かしいけど
あの頃には帰れない。
愛しい場所だからこそ
和歌山には住めないと思うのかな。
それでも愛おしい和歌山。
『み〜んなほったらかして
今すぐ 行きたい!』