言い方ひとつ
伊勢神宮に行った時のこと。
ちょうど身内が厄年な事もあり、厄払いをしてもらう事にしました。伊勢神宮では御饌(みけ)という御祈祷になります。
身内はまあ、あまりご祈祷とか信じていないタチなので、私が行きたいからとお願いして参加してもらいました。なんと言っても神社の総本山。憧れの伊勢神宮での御祈祷です。
気が進まない所を頼んだ事もあったので、つつがなく終わります様にと思っていた所、粛々と儀式が始まりました。参加する方にも作法的な物があるので、ここでお辞儀で良かったかな?とか周りを伺いながら手探りで進んでいきます。
聞き馴染みのない祝詞に思いを馳せてみたり、巫女さんの立ち居振る舞いや衣装捌きに見入ったりしての後半、それぞれの住所と名前を読み上げての御祈祷になりました。ずっと来たかった伊勢神宮での御祈祷なので、心清らかに神聖な気持ちお祈りしたいのはやまやまなのですが、あ、この人近いところから来てるな、とか。経営者多いな、とか。緊急事態中じゃありませんでしたっけ?とか雑念が入る入る。とはいえ、表向きは粛々と厳かに進み、クライマックスに近い時。もう一度名前読み返すのか成程とか思っていた矢先、身内の名前の所でピンポイントでの間違え、からのしばらくの無言でちょっと間が開く事態に。その後は仕切り直す様に名前を読み直して続けられましたが、その展開で私の心の中は大変な事になりました。
え?よりによって身内の所だけ??気が進まない所来てもらったのにどうしたもんか。。。え?みんな反応してないけどよくある事なのかな?祝詞の途中で止まっちゃったらその後の人みんな道連れに的に効果に差がでたりするのかな?せめて他の人でもつまってくれたらいいのに、無事に終わっちゃうよ。いやいや、変なこと考えるとバチが当たりそうだし、無心になれ私。とにかく笑うな私。
表情を必死に固めて、なんとか御饌も終了し、無難な会話をしつつ、5分ほど離れた場所にやってきてようやく。身内が現場から離れるまで我慢を重ねた一言を言った。
「間が空いてたよね」
「そうだね、自分の所だけね」
本来なら、ご立腹したりがっかりされたりする方もいるかもですがここは神様の座す所。下手な事言ってもバチが当たりそうで怖いし、折角の御祈祷を悪いものにしたくない。そうして捻り出した私の返答は。
「きっと厄が大きすぎて祓うのが大変だったんだよ。良かったね、大変な思いをして祓ってもらえて」
そこからは2人して笑い合いながら、そうだよ、きっとものすごい厄だったんだよ。自分の苗字がそもそもに字画が悪過ぎるし、代々引き継いだものすごい厄だったんだよ。そりゃ毎日御祈祷してる読み上げのプロがつまってもしょうがないね。これできっと今年は大丈夫だね。良かった良かったと続いて、そのあとは2.3日その話題で楽しく過ごせました。
言い方を変えたり、表現を変えるだけで一転して楽しかったお参りになったので、逆に記憶に残る良い思い出になりました。結果的にはすごく良かったです。
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