もし、「神様」がいるなら、なぜこんなにも訳の分からない事ばかりを起こして、人生を複雑にするのか?と問いたいと思っていた。
私は看護師をしているのですが、「病院」という場所は様々な人の人生の節目で織りなされた不思議な空間だなと思う時があります。
そして、そこには答えのない、理解の出来ない事が多くありました。
というか、そもそも、生活の中には、とても理解できないような「エラー」が発生することがあります。病気や事故、犯罪、災害・・・。何の悪いこともしていない善良な人が、一瞬にして人生を変えられてしまう。そんな「エラー」が起きますね。この、コロナだってその一つのように思います。
人は、そこに意味や価値を見出そうともがいたりしますが、そう、簡単に納得のいくことばかりではありません。悲しいことがたくさんあります。そして、意味も価値もわからないまま時間が過ぎていく。
私も看護師として働いていくなかで、特に、病気の理不尽さ・残酷さを痛いほど感じ、私自身、いつもそれに悩んでいました。
「なぜ、こんなことが起こるのだろう」「どうして事故に合わなければならなかったのだろう」「どうして病気になる人とならない人がいるのだろう」。
そして「もし、世間で言われているような神様が居るのだとしたら、どうして、こんなにも不規則に、そして、不理不尽に、人生を複雑にするのだろう。」と。
しかし、今になって少し考えます。
その「エラー」自体に、意味を求めても、答えはいつも分からない。けど、そこから、進み、生きていく過程において、得られるものは確かにある。これは真実だと思っています。
「なぜ私が」「これにどんな意味が」「どんな価値が」。
様々な苦難にぶち当たった時、そんな考えが頭をよぎります。そして、どんなに考えても、考えても、その理由の、答え合わせは出来ないし、教えてくれる人も居ません。
その「エラー」が自分に起こった理由は分からない。
だけど、「ここから進んでいく過程で、何かを必ず得ることは出来る」と思うのです。
病気になったり、事故になること、そのほか理不尽な悲しい出来事に遭遇すること。それらは、時に私たちを追い詰めます。だけど、その立場になって初めて分かる事、得られるもの、知り合う人、そして、自分の変化が必ずある。
「起こるすべての出来事に意味がある」。これは私にとってはあまりに綺麗ごとであるように思います。意味なんて、見いだせない、訳の分からない事が多くあります。けど、得られるものが、必ずある。それだけは思います。
訳の分からない事が多いですけど、それはそのままで。なんとか、かんとか、そこに生まれた事物を感じてみようかな。と、延長された自粛期間一カ月を乗り越えたいと思ってます。
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