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時に感情にのまれそうになりながら、何とか理性を絞り出し物事を決める事。これが成長なのだろう。


人間関係において、どれだけ人との接し方を勉強してみても、「他人」というのは、往々にして良く分からないものです。

私は仕事柄、昔から「人の心」や「コミュニケーション」に関する本などを読んできました。けど、「自分が人との接し方が上手くなったなあ」なんて思った事がありません。(笑)そもそも、人と接するのが苦手だから、こういう本を読んでいるわけで、他の人は違うのかもしれないんですが。だいたい、「感情」ってのが邪魔して、全然思い通りに行動できないもんだな、と日々痛感します。

人と人とが接していると、必ず「思いもよらない事」が起きます。自分の想定外の出来事が生じます。「Aを渡したらAAが返ってくる」と予測していたところ、「Aを渡してZZZが返ってくる」みたいな現象が起きるんですよね。「こう返ってくるパターン知らんぞ!」っていう。

こんなことがあると、すぐに「情念」が精神に波を立てます。動揺・不安・恐怖・欲求・執着…いろんな強い感情が湧いてきます。


そうして、ついその場しのぎの感情でいろんな選択や発言をしてしまうんですね。けど、人間関係において感情的な言動というのは、だいたい悪く作用してしまうなと感じています。

けど、どんな身体の器官も絶えず「緊張」と「弛緩」を繰り返しているように、精神にも「良」「悪」の状態が日々訪れます。

そんな、情念に呑み込まれそうになりながらも、何とか理性を絞り出し、その時の最善を選択する。それが、人間関係における自身の「成長」なのだろうな。と感じます。ま、それに失敗は付き物な訳なんですが。(笑)

いろんな失敗や、後悔、過去への抵抗もありながら、少しずつ、その時々の「最善」を選ぶこと。そしてその「最善を」アップデートしていくこと。そういう事を繰り返し、もどかしくなるようなスピードで私たちは成長しているんだな。と思った日曜の夜でした。



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