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エコ恐怖症と消費

「エコ恐怖症」という言葉に出会った。
気候不安症とも言うらしい。

気候変動、地球温暖化とか、温室効果ガスとか。大変らしい。大問題らしい。

大問題なのに私はというと、なにか建設的なこととか、ムーブメントに参加するとかに憧れるだけの、どうしようもない引きこもりだ。なにもできないのでせめて家でなにか文章を書くなどしてみる。

グレタ・トゥーンベリに憧れて、ASDで緊張しいの私もクラスで気候変動に関するスピーチをしたことがある。どこかのネットで見た記事で地球が大変だと知ったので、みんなにも知らせたかったのだ。小学校6年生の頃の話で、5年前のことである。

あれは今でも思い出しては泣き出してしまうくらいの失敗で、私はクラスのみんなに「普段は根暗のくせに意識高くて難しい言葉を使う変な人間」みたいに思われて終わっただけだった。

どうやら小学6年生というのは学校や家庭より身近ではないことには興味がないらしかったのだ。とにかく、私の蚊の鳴くような声のスピーチは、朝のホームルームの教室で誰の耳にも届いてはいないようだった。
なんとかスピーチのメモを読み上げながら、自分は地球を救うにはあまりにも小さくて無力なのだと気づいてしまった。

わたしはどうしようもなく非力なのに、この世界は破滅に向かっているらしい。
クラスメイトの無関心とそれが多数派であるという目の前の事実。
毎日の異常気象の報道、海に浮かぶプラスチックのゴミたち。

日常のすべてが地球を壊していくようで、とても恐ろしく感じてしまうようになった。


それから5年、ただ恐怖心と地球に対する罪悪感だけが進行した今のぼく。

自分が発達障害であると自覚したこと、自殺未遂、双極性障害の診断と不登校からの転校。
前の記事で書いたように、ここ数年で私に起こったことはとても楽しいイベントとは言えないことが多い。
不幸自慢が大好きな私にとっては、心配してもらえる事柄が増えただけなので、むしろ嬉しいイベントだったのかもしれないけれど。

それでも発達障害、自閉スペクトラム症を自覚したことはかなりキツかった。そして話題とは離れるけど、診断されてはいないというのもかなりキツい。
そのけがある、と言われただけで、日常生活に支障をきたすレベルではないのだ。自分はただ不幸に縋りたいだけの卑怯者のような気がしてならない。
とにかく、ASDである。言葉を発するのが苦手で、興味が偏っていて、こだわりが強い。人間関係を築くことすらままならない人間が、グレタさん、その他活動家さんのような強い人間になれるわけもなく。私は普通の人間よりもいっそう無力だ。

エコ恐怖症という言葉を知ったのは中村涼夏さんのnoteを読んだ時だったと思う。(時雨の中の人は鹿児島在住の通信制JKである。)とても憧れで、最高にかっこいい鹿児島の自慢の活動家だ。


私は自分のこの感情に名前があることが嬉しかった。感情というか症状というかなんというか。
わたしはどうしようもなく躁鬱なので、鬱のときに酷く感じる。
「今生きている私は、ヒト1人分地球に害を与えている。モノを消費している。資源を消費している。自分がいなくなれば地球の負担が1人分減るなぁ。メリットがあるなら死んでしまおう。」

というような感じ。自然の生態系、食物連鎖に今の人間は70億人も必要ない。人間は居なくなってしまえばいいと思っている。こんなヘンテコな思考に陥るのは自分だけだろうか。いや、全然ヘンテコではない。無力な私は死んでこそ、地球を少しでも救えるという気がしてならない。

それでもなんだかんだ生きてないといけないので。私の夢の話をすると、樹海で首を吊って死ぬことである。希死念慮を消すことも、精神科と薬から脱依存することも諦めている。でも樹海で勝手に死ぬのも少なくとも、親孝行をしてからにしなくちゃいけないなぁ、と余生のような人生を惰性で生き続けることになりそうである。

生きるなら、地球の負担を減らしながら生きなくちゃいけない。これは環境のためとかではなく、自分の生きてる罪悪感を少しでも減らすためだ。


つらつらとした弱音が長くなってしまった。ここからはぼくの消費生活の話だ。

簡単に言うと、「エシカル消費」というやつを無自覚で実践しているのかもしれない。

エシカル消費というのは最近家庭科の教科書に出てきた言葉なのだが、引用すると、
「消費者それぞれが各自にとっての社会的課題の解決を考慮したり、そうした課題に取り組む事業者を応援しながら消費活動を行うこと。」らしい。

後者はよくわからない。CSR企業の商品を消費する、ということだろうか。正直いちいち事業者とか考えてられない!!安い商品を買いたいです!!

前者は分かりやすい。
「各自にとっての社会的課題の解決を考慮」とは、つまりぼくで言う、
「環境破壊が本当に怖くて怖くて仕方ないのでプラスチックがたくさん使われている商品は買いません!!」というような消費生活であてはまるだろうか。
または、鹿児島県産のお肉とか野菜を買うとか。日本製の衣類を買うとかかな。
「輸入物がどんなに安くてもそれは買っちゃいけないよ」と、小さい頃から両親に教わっているので、授業で習うまでもなく地産地消は身についていると思う。 
衣類を買うのにセカストとかリユースショップをよく利用する。安くて同じものはまたとなくて、楽しい。品質のいいものを長く使うといいよと言われて、長持ちしそうな生地の、可愛い洋服を選ぶ。着れなくなったものは雑巾とかにすればいい。

ペットボトル飲料を買わない生活をしてから一年以上たった。マイボトル生活がデフォルトになるとお金が節約できて助かる。ここで気をつけないといけないのは、マイボトルも丁寧に長く使うことだ。プラスチック製の落としたら割れてしまうようなやつではダメだった。

私は他に何をすればいいかしら。
最近はもう不必要なものを消費することが怖くなってしまった。実は、100均なんかで沢山並んでいる少しだけ生活を便利にするらしい、プラスチック商品なんかを見ると気分が悪くなってくる。これ以上なにか便利になってどうするというのだ!!わたしは次洗濯機が壊れたらタライと洗濯板で洗濯をしようかと本気で考えているというのに。人間はもう少し苦労を楽しむ方向に進むべきだと思う。

いつかSNS依存もやめて、スマホも手放せるくらいミニマリズムを極めることが出来るようになるかなぁ。自信が無い。

最近は安かったからと、東京へ行くのに飛行機を使ってしまった。罪悪感がひどいので、罪滅ぼしにバスに乗るのをやめて職場まで走ったりしてる。(マジでなににもならない)次ライブがあったら参勤交代よろしく徒歩で参戦しようかな…。

なんというか、やっぱり意思は弱いのだけど、でもぼくみたいな人があと10億人くらいいたら、少しは消費社会がおさまって、石油消費なんかも減るんじゃないかと思う(自賛しすぎか…)。
そうしたら経済はカチコチに滞ってしまうだろう…()

環境と、経済と、だれか上手く持続可能的に、完璧に回してくれ!!(他力本願)

少なくともドナルド・トランプみたいなのをトップに選ぶようでは、、もう地球が何個あっても足りないですよ…(日本は棚上げ…??)

神様とかいないし。ずる賢く、偉くなってしまった人間は地球の未来をも決めてしまえる。

非力なたった一人の人間だけど、今一度自分の生活から見直していこうよーーという長めの記事でした。誰か読んでくれよぉ…(泣)

ではまた、次の記事でお会いしませう。。。

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