欲しい理由は1つしかない

こんにちは、レインです。

今日は私が参加している思考訓練グループの最終日。
「私にとって大事な問いを立ててみて下さい」とのお題が出され、
それについて考えてきました。

今日はその時に得た気付きを纏めて行こうと思います。


そんな感じで付けたタイトル「欲しい理由は1つしかない」
これ…皆さんはどう思われますか?

「そんなの人それぞれだろ」とか、
「欲しいものによって理由が違うんじゃないか」とか
「1つしか理由が無いものって大してほしくないんじゃないか」とか

あれこれ思われるかも知れません。

ただ、私は、
誰にとっても、何を求めても、これしかないと思います。

「人が何かを求める理由は、その何かが手に入っていないからだ」と


「元も子もねぇ~~!!!」

という反応を頂けるとありがたいのですが、実際そうですよねこれ。
でも、こんなに当たり前な事でさえ、言葉にしないと気付けていなかったんです。私。


もしかしたら「手に入っていても、求めるものはある」と思われる方がいるかもしれませんので、そこに対するフォローだけ先にしておきます。

恐らく、この場合って、「この時間がずっと続けば良いのに…」みたいな話で…つまるところ。

「既に手に入っている状況や状態、物、それらが失われない事を求めているから、手には入っている。」

そういう解釈かなぁと思います。

ただ、この場合の求めているものは
「手に入っているそれ自体」ではなく
「手に入っていない、この先も失われないで欲しい、という補償」じゃないですか。

この保証が求めているもので、それは手に入っていない。だから
「この時間がずっと続けば良いのに…」という言葉が生まれる

だって…
それが非常に困難な道であることが分かって居るから。
簡単ではないと気付いているから。

だから「だと良いのに」と言葉にする。


今の現状を表す「本質」と
自分自身の「想い」や「理想」

これらは多くの場合、真逆の位置にある事が普通です。


私が敬愛する漫画、ちはやふるから一節…若宮さんの台詞をお借りしましょう。

「言葉は大事にせんと、言葉にした瞬間分かるのは、それが無い事や」
「勝つ、勝つ、言うんは負ける人や」


勝負ごとにおいて「絶対勝つ!」というのは意気込みですよね。
まだ分からない。結果は出ていない。絶対なんてない。
だからこそ、「絶対勝つ!」と叫ぶわけです。

それが無いから、求めている訳です。


…難儀な生き物ですよね。


しかし、それも一転。
こうして改めて理解してしまえば。

本質(自分自身の現状)と理想が逆位置にあるというシンプルな事に目を向けてしまえば。

自分の本質を正確に見つめる為のヒントになる。
理想という目的地に向かう時必要になるもの…「現在地」を理解することが出来る。

その差がどこにあるのか?
どうやったらその差は埋まるのか?
この方向で本当にあっているのか?

こうやって、近づいていく事が出来る。


本質は、想いに向かっていく。


だから、本音とか、自分がどうしたいとか、そういった事が大切なのだと叫ばれるわけです。

それは、目的地を知る為に必要だから。

そして、その目的地が言葉に出来れば、
その地点からどれだけ自分が離れているのかも理解できる。

だって、「逆位置」にあるはずなのですから。

そして、その事に気付くのが怖くて、辛くて、痛いから。
「本当は、こんなはずじゃなかった…」と思ってしまう。

その理想とのギャップが苦しさを生む事を知っている。


それでも、理想を見て、現状を見なければ、前には進めない。


私は…進んでいきたい。
進んでいく人間で在りたい。

だから、何度も、何度も、理想を語りたい。
そのたびに、何度も、何度も、現実を直視したい。
考える痛みと引き換えに、目的地への地図を描きたい。
歩く痛みと引き換えに、目的地へ近づいていきたい。

例え、その目的地が近づいて来たところで
「自分が求めていたのってこんなのだったっけ?」と思い。
何度となく、その地図を書き直す事になったとしても。
そのたびに、痛みが襲うとしても。


だって、それが、楽しいから。
面白いから。続けていける。
筋トレにはまる人っているじゃないですか。
ランナーズハイとかあるじゃないですか。

フロー体験、ゾーン体験ってめっちゃ爽快じゃないですか。

そういうものがあるから、歩いて行けるし、
歩いた先には、求めているものがある。

少なくとも、近づいていく実感がある。


これが、私にとって、生きるという事。
自分の人生を生きるって事。

ようやく、見つけた。
いや…ようやく、言葉に出来た。

今は逆位置、でも動かせる足がある。
歩き方を知っている。
地図の書き方は教わっている途中だけれども。

一歩一歩… 今日も…  
きっと、明日も明後日も。

さぁ、まずは今日、生きようか。

多分死んでも、悔いはない…  とまで潔くはあれないけれども。

出来る事は、やっているのだから。
悔いは残っても、悔いる事はない。
後悔などはあり得ない。

その場合は、先の時間を生きる俺は死んでるから、悔いれないし(笑)
死ぬ瞬間に、過去を、走馬灯を見たとしても、
多分。笑えると思うのです。


まぁ、そう思える一日がどれだけあるかって話なんですけどね(笑)
でも、増やしていこうとすることはできるから。

つまりは、そういう事だと思うのですよ。

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