教師になる教え子の話
中学校の教員をしている。
教師をしていると、くすぐったくも嬉しい瞬間というのがいくつかある。一番くすぐったくて嬉しいのは、生徒が同業者になったときだ。
この春から教え子が教員になる。四十手前で教員になった自分にとっては初めてのことで、嬉しくてひとりで酒盛りをしてしまった。このご時世じゃなければ飲み歩いていただろう。
彼女は中2、3で担任した女子生徒で、部活も同じだった子だ。仮にTとしよう。
Tはいつもひょうひょうとしているくせに妙に頑固なやつだった。
中2の進路面談で「将来どうしたいの」とたずねたら、「小学校の先生になりたい」と言う。よくある夢だ。先生ねえ、と生返事を返したら、「そのためには○高に行って、△大の教育学部に入ります」と言った。いつも部活などでは推しがどうの尊いがどうのと適当なことを言っているくせに、こういうときだけ妙に具体的なプランを出してくるから、こちらもそのときは、「はあ、まあ、がんばんなさい」と適当な励ましをした。
だから中3になって最初の面談で「○高を受ける」と言ったときも、「まあ、おまえ前から言ってたしな。いいんじゃない?がんばれ」と適当に励ました。○高は地域でいうところのいわゆるトップ校だから、そこそこ成績のあるやつはみんなそこを目指す。彼女の成績はクラスで一番だったので、そう宣言する資格は充分にあったが、塾の講師をしていた頃からそうだが成績のいい奴が皆受かる学校でもない。プランBが必要になってくるだろうな、とは思っていた。
Tは併願の受験で少し失敗をした。受験前に妙に肩に力が入っていつものひょうひょうとした感じがなかったので、いやな予感がしていたのだが、併願で受けた私立の特進クラスに受からず、補欠の普通クラス合格になってしまったのだ。○高を受けるなら当然特進は受かって当然の点数が取れていなくてはならない。ちょっといやな予感がした。
次の夜Tの母親から電話がかかってきて、「娘がどうしても○高を受けると言って聞かない。親としては冒険させたくない。説得してくれ」と言う。
そりゃお母さん無理なのでは、と思ったが、経済的な面もあり、私学に行かせるのはいろいろと厳しい、冒険させたくない、と言われたのではしかたがない。3人兄弟の長女で、この後の弟妹の進路にかかる費用を考えると無理したくない気持ちもわからないではない。とりあえず話だけはしてみますよ、と電話を切った。
次の日、ふくれっつらの彼女を面談した。
母親の意見を伝えた上で、「どうする?」と聞いた。
「○校を受ける」と言い切った。少しも迷ってなかった。
その晩、電話で母親を説得した。受け皿があるのだから頑張らせましょう、と伝えた。なかなかうんと言わない母親をなだめるのは骨が折れたが(親子よく似ているのだ)なんとか納得してもらったときには10時を過ぎていた、と思う。
学年主任は「つっぱるねえ」と言ったが、最初から引くつもりなどなかったのだ。高校でうまくいかなかったときに、「あのときなんで受けさせてくれなかった」と一生後悔する。他人のせいで後悔する人生を送って欲しくなかった。中学校で初めての進路だったこともあって周囲にはいろいろ言われたが、結果がどうであれこれでよい、という確信があった。
結果は合格で、彼女は無事高校生になった。高3のときにばったり道で会った。「おまえ大学どうするんだよ」と聞いたら、「△大受けます!」と元気よく答えた。
ですよね。
彼女は現役で△大の教育学部に受かり、さらにはストレートに採用試験に受かり、この春から教員になる。
中学校の卒業文集をひっくりかえしていたら、Tの卒業文集に「小学校の先生になる」と書いてあった。本当に言ったことを曲げない頑固なやつだ、と思った。
成人式で酒を飲んでいるとき、生徒に「教師になろうと思って」と言われると、口では「やめとけ」と言ってしまうのだが、顔はたぶん少しにやついていると思う。一時に比べればずいぶん倍率も低くはなったし、労働条件のひどさをみんなが認識してくれたせいで、「先生は大変だから」と言ってもらえるようになった。とはいえ、この仕事を続けていると、やりきれないこと、酒で流さなくては次の日の朝起きることすらできないようなことのひとつやふたつは、ある。いい年をした大人が、敦盛の首をはねた熊谷次郎直実のように、「なんの因果でこんな仕事に」と涙を流しながら酒をあおるのは、みっともないことこの上ない。そんな苦労を教え子にさせるのは、どうかとも思う。それでも顔が少しほころぶのは、自分を見て「教師になりたくない」と思わなかった、ということが、嬉しいのかもしれない。少しは楽しそうに見えたのなら、ちょっとは頑張った甲斐がある、というものだ。
ちなみにTは成人式のあとの飲み会で進路を聞かれて当然のように「小学校の教師になる」といった後、「でも中学校の免許もとろうと思うんです」と言った。なんでだよ、と聞くと、
「先生でもつとまってるなら、私でもできるかな、と思って」
と言いやがった。
めでたく同業になったので、こいつはいつか殴ることにする。
いや、卒業文集をコピーしてそのまま送ってやることにしよう。恥ずかしさに震えろ。
そして、その卒業文集が、彼女が道に迷った時の灯になることを、祈ろう。
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