雨星立夏 自己紹介
雨星立夏 Rikka Amahoshi プロフィール
SF作家・画家・ポラロイド写真家
2017年ヨーロッパ各地にて芸術修行の旅をする。
2020年5月鎌倉を拠点とし、絵画、文芸作品の制作を本格開始。
主な制作作品
・印象派の画風を基調とした油絵作品。
・幻想物理文芸と称したSF風味の詩、小説とポラロイド写真を収録した文芸本。
影響を受けたアーティストはCy twombly、クロード・モネ、マネ、ゴッホ、カイ・ニールセン、鈴木其一。
好きなものは80年代デザイン、昭和レトロ雑貨、サンリオ、夏目友人帳、黒子のバスケ、ドラゴンボール、しろくまカフェ。
動物、自然環境保護活動に積極的に参加。
<所属ギャラリー>
Andart https://buy.and-art.co.jp/blogs/artists/rikka_ameboshi
アートレンタル「Casie」(https://casie.jp/)
Pexels (https://www.pexels.com/@rikka)オフィシャル写真家
インタビュー記事
Rikka Ameboshi Creates Perfectly Imperfect Instant Photos
SNS
【Instagram】
アート @rikka_rainstar
ポラロイド写真 @rikka_polaroid
【Twitter】
アート https://twitter.com/amahoshi_rikka
執筆・書評 https://twitter.com/rikkaamahoshi
初めまして、立夏です。文芸家、画家です。
文芸では、幻想物理学文芸を称しています。おおまかに言えばSFの一つですがサイエンスというよりフィジックスがメインです。淡々としたわかりにくい小説と、わかりにくい詩を書いています。ミヒャエルエンデの「鏡の中の鏡」に大変影響を受けています。
本のたくさんある家で育ったためか小学校に上がる前から一人で図書館に通うような、本好きの子供でした。8才で小説家を志し小説の執筆を始めたものの、同時に絵を描くことも好きで、マンガや油彩画を描いていました。
学生時代はポスターやCDパッケージ、チケットデザインなどを手掛けたり、小説もローカル文芸誌で絶賛されたりもしていましたが、今一つ自信がもてず、結局社会人になると同時にどちらの活動もやめてしまい、大手企業で昇進することに躍起になっていました。
でも、夢は胸の中でずっと燻り続けるものです。ふとした瞬間にどうしても小説が書きたくなり、絵が描きたくなり、ほんの少し作品制作をしてはやめるということを繰り返していました。その迷いのおかげでいろいろなことに手を出しては挫折し、ようやく本気で文芸家、画家として身を立てる覚悟ができたのが2020年5月です。
現段階で私が言える、文芸と絵画について、ほぼ独り言としてここに書き綴ります。
小説と絵画
1, 小説について
私は幻想物理文芸と称したSFテイストの小説を書いています。宇宙の果て、未来、次元、そういったものを考えると人間の脳が理解し想像しうる限界のその先に挑んでみたくなります。
物理学者(科学者)と小説家はどこが違うのか、という議論が時々交わされます。常識を取り払い、あらゆる既成概念から解放され、全てを疑い、未知の事物を見出し、仮説を立て、論じていくことに違いはありません。そこに証明のための調査と数式があるかないか。などと言って、本気で小説世界の全てが仮説とは思っていませんが、事実は小説より奇なりという言葉もあるので、宇宙や未来の真実は私たちが今想像しているよりもさらに荒唐無稽なものなのかもしれません。
本当に世界は多次元で一瞬一瞬が枝分かれし、巨数の世界が同時に存在しているのかもしれません。
時間が存在していないということに、私は納得しています。しかしそれもまた多くの人にとっては荒唐無稽な話に見えるんです。一般的な事実として時間が存在していないことを人々が理解するまでにこれからかなりの時間を要することは想像に難くありません。じゃあ今までの時空論はなんだったんだと。
私はとても早い段階で、常識や、一般的な既成概念を疑うことを覚えました。ミヒャエルエンデの「鏡の中の鏡」を読んだ、11才の時からです。あの本に出会ったせいで、ありとあらゆる場面で他の人たちと意識がずれて、自己と周囲の間で迷走をすることになったのだろうと最近気付きました。それくらい、私にはこの小説が衝撃的だったのです。
その経験から、私が書くものは他者が感覚的に共感できるものではないということがわかります。けれども私が書きたいものはそこにこそ価値がある。この摩擦をどううまく滑らかにしていくのかが、これから発表していく作品の課題です。
2, 絵画について
絵は、文芸ほど小難しく考えたりはしません。「美しい」または「すごい」そのどちらかの感覚的な受け止め方で十分だと思っています。もちろん、絵画評論家や研究者にはまた別の見方があるのだろうと思いますが、ただ楽しむだけなら、真っ白なキャンバスに描かれた、たった一点の黒い染みにすら芸術を感じることができます。視覚表現はそれほど自由度が高く、しかも自己表現を確立することが比較的容易です。
私が最初に影響を受けたのは、ギュスターヴ・モロー。12才の時に上野美術館へ足を運び、その美しさに言葉を失いました。ルノワール、モネ、マネ、ゴッホなど19世紀の画家たちの絵画に魅入られ、ヨーロッパ芸術への憧れを募らせます。日本美術は水が合わず苦手意識を持っていたのですが、最近それも覆され、日本美術がヨーロッパの画家たちに与えた影響についてしっかり把握しておこうという気になり、絵画を学び直すきっかけになりました。
視覚芸術に関してはかなり雑食で、80年代のパンクロックデザインや、スチームパンクも大好きです。カリフォルニアデザインやレトロなモダンデザインなども大好き。可愛らしいイラストや、絵本絵画など、子供向けのものも好き。
日本のサンリオに代表されるキャラクターデザインは本当に素晴らしい。マンガやアニメも、内容がひどいものも多いですが、そのデザインや絵画技術は世界的にも評価されています。すごいなあと呟いてしまうほど、素晴らしい視覚美術が日本では数多く生み出されています。日本に生まれてよかった。
絵を本格的に初めて間も無くの頃は、日本画、洋画、アニメ画を融合させた絵画を制作していました。日本画は現代アートに大きな影響を与えています。19世紀にヨーロッパで大流行したジャポニズム。ゴッホ、ルノワール、マネ、モネ、名だたる画家たちが日本美術に大きな影響を受けたことは広く知られています。日本美術への理解を深め、西洋画と現代アートの関連性を絵画で表現すること。それが私の作品の思想です。ちなみに、江戸琳派が特に好きで、よくモチーフにしていました。
小説と絵画。この二足の草鞋で芸術家として高みを目指していくことにずっと迷いがありました。どちらか一つを選ぶべきだとずっと考えており、それができないのなら真の芸術家として作品を作り上げることは不可能なのだからやめたほうがいいと言い聞かせ、何年も時間を無駄にしてしまいました。
どちらかひとつを私は選べないのです。だから、どちらも選びました。いずれ、どちらかだけになるかもしれません。ただ、どちらも本気で挑むと決めた時、心がすっと軽くなり、枝分かればかりだった道の中に、一本の道が見えました。
まだまだ修行を重ね、納得できる作品を作り上げるその時まで理想を目指して未知に挑んでいきたいと思います。
文芸論
文芸はエンターテイメントとは一線を画すものです。私にとっては絵画と似ており、曖昧で抽象的な情景もあれば、輪郭がひどく崩れた掴み所のない肖像もあり、書き手の性質によっては稚拙な表現も一つの個性となります。しかし文芸と称するなら欠落してはならない要素がいくつかあり、それも人によって異なるものの、私が考える文芸の要素とは主にこの三点です。
深い洞察による問題提起と結論、または推論が論理的に語られる。書き手独特の文法が随所にみられる。書き手が創作した独自の言葉が使われている。一般的に用いられる漢字、表現以外の語彙が視覚的にも美しく適切な範囲で使用されている。
さらに、文芸として相応しくない要素もあります。これらがあった場合、文芸ではないと断言してしまうほど。
若者言葉、スラング、芸術としての品を損なう現代語や記号の使用。専門知識の過剰説明。劇的な展開の多用。犯罪や暴力を肯定するような下劣な主題。安易なコミカル表現。アニメ・マンガでよく見られる不自然なキャラクター。つまりラノベ。
他にも、書き手が恥じらっていたり、本性を曝け出すのを躊躇っていたりする様子がうかがえるものも、文芸とは言えないだろうと考えています。
文芸とは芸術であり、芸術とは命、魂です。思考し、魂を磨き、自己の完成を目指し、それを作品として現すことこそが芸術の最終地点なのに、自己を隠していては芸術の真似事をしているにすぎません。
ここからは自分のことですが、文芸作品のお手本として研究しているのが、夏目漱石の小説や評論です。「こゝろ」を超える文芸作品に未だ出会ったことがなく、(こう書くと多くの人から反論がありますが私にとってそれは紛れもない事実なのではっきり明記しておきます)かつ、夏目漱石が英語教師として大変優秀でエリートであったことが、優れた洞察に溢れ論理的な文章の礎となっていることに、他の日本人作家の作品から頭ひとつ以上出た文芸であるという確証を得ました。
英語は非常に論理的な言語です。また、英文学(ヨーロッパ文学)では優れた洞察力を奨励する「議論」が文学作品の主な主題となっていることが多く、夏目漱石は英文学者としても数多くの論文を残していることからも、夏目漱石が論理的に論ずることに長けていたことがわかります。
洞察と論理。この二つの要素が文芸としての価値を高めてくれるのです。
洞察といえば、サンテグジュペリの作品も洞察力の点で非常に優れており、遥か上空、雲の上から地上を見下ろすことでこんなにも普通の生活をしている人間とかけ離れたものが見えるのかと感嘆し、人間社会から離れた場所でしばらく暮らすことの必要性を感じたりもしました。
現在私が考えている文芸とはこんなところです。もっと文芸について理解を深め、作品に反映させていきたい。
ここまで読んでくれている人は誰もいないと思いますが、もし読んでくれていたら、それはとても嬉しいことなので、ぜひお知らせください。何かお礼します。
それでは、また。
雨星立夏 2020年5月(更新2020年12月18日)