彼の言葉
以前私が文章を“書く”理由を書いた。今日はなぜnoteという媒体を選んだのか、そのきっかけになった話をしたい。
文章を読んで感動するとき、その感動の理由や対象は様々だと思う。例えば、物語の登場人物の温かさに感動するとき。瀬尾まいこさんの『夜明けのすべて』や森沢明夫さんの『おいしくて泣くとき』なんかがこれにあたる。次に、文章から想像される自分の感性でつくりあげたものに感動するとき。恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』や砥上裕將さんの『線は、僕を描く』など。そしてもう一つが、言葉そのものの持つ美しさに感動するとき。例を挙げるなら野呂邦暢さんの『愛についてのデッサン』だろうか。私がnoteを知るきっかけとなった彼の文章もまた、言葉の美しさをもって人を惹きつける類のものだった。
彼の名前は「山口雄也」さん。彼は2つのブログ「ヨシナシゴトの捌け口」、「或る闘病記」とnote「ぐっちのおと」、そしてTwitterを通してたくさんの言葉を残してくれた。彼の言葉はとても美しかった。美しい文章というのは望んで、練習して書けるようになるものではないと思う。頭のいい文章は、知識があって語彙力があれば書けるかもしれない。実際京大生でもあった彼の文章は機知に富んでいた。でも言葉の美しさというのは、そこに計算があったとしても、その計算こそが天性のものではないだろうか。少なくとも私には彼のような文章は書けない。どんなに知識を付け、文章の書き方を学んで、経験を積んでも書けない。
人は、自分より優れたものに出会ったとき、様々な感情を抱く。まずは尊敬。尊敬は自分とは全く違う領域にいる人にも抱くし、また自分が将来そうなりたいと思う相手にも抱く感情だろう。尊敬に自分の弱さが入り込んできたら羨望。この時、もう自分にはその域に達せないと思っている。自分の弱さが強くなると嫉妬。これらは紙一重だなと常々感じる。
そして最近台頭してきたのが「推し文化」だ。それは崇拝にも近い。ただその人の存在が尊くて、その人の為すことにありがたみを感じる。自分がその人のようになりたいというわけでなく、ただその人にいて欲しい。私の彼への感情はどちらかというとこちらの感情に近かったかもしれない。私は彼のように書きたいと思うことはなかった。ただ、彼の紡ぐ言葉をできるだけ長く読んでいたいと思った。
彼のブログ「ヨシナシゴトの捌け口」はこんな言葉から始まる。
彼はただの大学生としてブログを始めた。強いて言うなら京大生というラベルが貼られるくらいだった。彼の思考は興味深く、表現は圧巻だった。理系学生らしく理性的でありながら、同時に抒情的でもある。ただただ美しかった。
この次のブログは「無題」だった。彼は癌を宣告された。それも予後不良の癌だった。ブログを更新する前彼はTwitterにその思いを投稿した。
1か月ほどを開けて更新した「無題」のブログは彼の決意が込められていた。
この辺りから彼はもう一つのブログ「或る闘病記」を始める。彼の思いや治療の様子を“ユーモアを交えて”書き記す。SNSというものを意識した、計算された空白の取り方、読み手を惹きつける文言、何時間もかけて書いたことが分かる知識、やはり真似などできない。
彼は病と勇敢に戦った。何度も窮地を脱した。奇跡と思われるようなことも何度も起きた。自らの生死に向き合い、周りの人々の死に寄り添い、死を意識しながら、生に向かって生きた。
日本では、「死」に対するタブー意識が強い気がする。「死」を口にすることは「生きる」ことを放棄しているかのように捉えられる。しかし、「死」を捉えて「生きる」というのは最も困難で、最も力強い生き方ではないだろうか。例えば、献体制度。大学の研究や、医学生の解剖実習に役立てられる御献体は、御献体本人の意思によるものだ。生前に献体の意思を表明し、近くの大学等に自分の死後に献体できるよう登録する。死後に迅速に対応するため、周囲への説明も必要になる。なにしろ、死んだあと、親族が拒否すれば献体は叶わない。死んだ後の話を生前にし、理解を得て、死後きちんと対応してもらわなければならない。自分が死んだ後のことを生きているうちに話すことは不謹慎だろうか。私は、「死」を意識した生き方ほど強い生き方はないと思う。それを聞く人も含め、「死」を考えることは、同時に「生きること」を考えることでもある。当たり前のことだが、死ぬまで人は生きている。生きていることと死んでいることの境界は一瞬だ。その一瞬は「死ぬ」という行動であり、行動である以上、生きているうちに「死ぬ」と捉えることもできる気がする。その一瞬を隔てた先のことを考えないのは、その瞬間だけでなく、周囲の一定の生きている時間を考えられないようにすることだと思う。タブー視し、生きていることだけを考えるのは無理がある。死ぬことと生きることはある意味同義だと思うのだ。
彼は生前、自分が死んで、残される人たちへの思いも綴っていた。
私はこの言葉を読んでもなお、なぜ彼でなければならなかったのかと思わずにはいられない。彼の感性も表現する能力も、他の誰にもない素晴らしいものだった。死に対する向き合い方も、それでも生きようとする姿も、感服するものがあった。病と闘う人は皆そうだと言われてしまえば、そうかもしれないが、私は彼の言葉を読んで、彼の言葉をまだ読んでいたいと思った。
彼の言葉は時に批判を集めた。「がんになって良かった」という言葉がYahooの記事になれば、人々は容赦なく叩いた。彼が献血を呼びかけるために書いたブログにはいくつもの修正の跡と謝罪の言葉が残っている。SNSというのは人との距離感を見失いがちだと感じる。実際に手で書かれた文章や紙媒体になった文章とは違う印象を持っている。それは読むのにかかる時間が違うからかもしれない。自分で手に取って、めくる文章とは違い、SNSでは指先でせわしなくスクロールし、たまに目に入ったものにハートマークやグッドマークを押していく。読むのに苦労がいらないからこそ、書いている方も苦労なく感情そのままに書いているかのように思われる。実際にその時思ったことをすぐに発信したものも多いが、彼の言葉がそうでないことは、冷静になれば分かるはずだ。『「がんになって良かった」と言いたい』という題名こそが彼の思いを表している。SNSで読んだ彼のブログと全く同じ文章も、本を通せばまた違う印象になった。SNSでは、どこか近しい間柄のような、彼の人間味が感じられた。そのため、批判をする側も容赦しなかったのかもしれない。しかし、本を通すと、彼が本当に遠い存在に感じられた。本自体は彼の病気が一旦区切りを迎えた時点で出版されている。未来への希望を感じさせる余韻が残っている。それがたまらなく悲しく、やるせない気持ちにさせた。当時彼に批判を浴びせた人が、本を読んだらどう感じるだろうか。その人たちの数年は、その人たちの感受性をどう変えただろうか。
彼は生前自らが恐れていることを綴った。
私は、眠れない夜、彼のTwitterを遡り、リンクからブログに飛びながら彼の病との数年を感じる。私が、生きることを放棄してしまいたくなった時、あるいは生きることに安住してしまいそうな時、彼の言葉は大切なことを教えてくれる気がする。自分の甘さを痛感し、もう一度生きることに向き合う。私は、彼のような体験をしていないし、彼の気持ちが分かるとも思わない。でも、彼が感じて残した言葉を、自分の中にとどめておきたいと思うのだ。感情は間断なく生まれ、流され、時に逆流し、どこに行ったか分からなくなったと思ったらすぐそこに迫って来ていたりする。でも、人間にはその一部を書き留めておくことができる。どこかに埋もれてしまわないように、つなぎとめる手段を持っている。語彙力が少ない私には、自分の感情を十分に言い表すことはできないし、きっとどんな辞書をもってしても、それは不可能なのだろうと思う。でも、書き留めた感情の切れ端は、後で読み返した時、私にやるべきことを教えてくれる気がする。私は、今日残したこのnoteを読んで、きっとまた彼の言葉を求めに行く。そしてまた、そこで得た感情をフレッシュなものに塗り替えていく。ずっとその繰り返しなのだろうと思う。私は、彼を忘れかけてしまう日があるかもしれない。すなわち、殺しかけてしまうことが。そうしたくはなくても、そうしないとは言い切れない。だからこそ、今日、このnoteを残して、彼の存在をいつでも思い返せるようにしたかった。私は、彼に生きていてほしい。物理的な生でなくて、生きていてほしい。そして、これがきっかけで、誰かの心にも彼が生きるようになれば嬉しい。
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