「学がない」ギフテッド

過去の記事でも何回か触れたことがあるが、
ギフテッドは自己愛性の高い人々が苦手だ。

理由は、
彼らのアグレッシブなオーラによる不快感と
人に危害を与えうる可能性を懸念しているからだ。

この理由は分かりやすく、
一般人も同じような気持ちを持っている場合が多いはず。


一方、
全く別の側面からギフテッドを苦しめるタイプも居る。

このタイプの人は一般社会からすると
「知識人」のようなイメージとされている。


「知識人」が嫌いという意味ではなく、
「知識人」の中でギフテッドを苦しめる人が居ること。

このタイプの人間の特徴は、
本をたくさん読んだが、
本の知識を通さないと世界を正しく認識できない、
もしくは認識できなくなっていること。

かつ、
本人は自分のそういった問題に、
全く気づいていないことである。


本の知識
をたくさん覚えれば、
必然に人々から評価されやすく
称賛を受けやすい

何故かと言うと、
この社会は本をたくさん読んだほうが有利のように作られたからである。

短期間で再現性を要求する社会、
再現された結果は多数派に納得される必要性
何をしようとしても資格が要る多様性抑止
といった「歪み」が既に「常識」となっている。


また今度記事にするつもりだけど、
ギフテッドは「物事の限界が見える」、
しかも「物事を理解する前に限界が見える」

つまり、
ギフテッドにとって、
どんな本でも完全に信用に値をしないことである。


ギフテッドは意識があってから
「物事を覚える」より、
「そこにある本質をただ見ている」だけで生きている。

「本質」が見えない人々は、
「本」から「世界の質感」を理解するしかないと考える。

しかし質感というものは
理解しづらい、
覚えづらい、
表現しづらい、
比較しづらい、
共有しづらいのである。

世界を理解できていない人々は、
自分は理解していないことに気づけない。

気づけたら既に理解できていることになるため、
分かりやすいジレンマだ。


このタイプの人間は、
ギフテッドに対してものすごく殺傷能力が高い。

冒頭のような異常人格者の場合、
彼らの正体を明かすことができれば、
一般人を味方に付けることができるし、
最悪一人でも戦える。

しかし「知識人」と戦おうとすると、
まず一般人は味方になってくれないし、
一般人を敵に回してしまうケースも珍しくない。

「知識人」は一般人の「憧れ」だからである。


「知識人」と「一般人」からすると、
「知識量」は正しさを測る唯一の天秤である。

その「知識自体」が正しいかどうかについて、
考えたくないし、
考えられないし、
考えようとしても結論は出てこない。

彼らはよく
分厚い本でギフテッドの脳天をカチ割ろうとしたり本が全てという精神攻撃
本を踏み台にして上から目線でギフテッドを睨んだり知識マウント
救済マウントを取ったり自己実現欲求の暴走する。


ギフテッドは「学」がない、
「学」として認識されていない「学」だから。

お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻